祝別されたローソクを燃やす益

 

その聖なる祭儀においてのみならず、迫害の時代の間、キリスト信者への特免によりて夜間に賛美されるのみならず、日中においても使用が続けられました。
初期の時代にはランプとローソクの扱いに選ばれた人々には、殊にこの事が命じられました。
公教会によりて、下級聖品は今なおこれにたとえられています。

またローソクとランプが天主への御仕えに用いられるゆえに、公教会はそれらを祝別します。
燃ゆるランプ、もしくはローソクは永遠の光なるキリストを意味し、また現世を去りし者達の光り輝かんと祈りのうちにこいねがい奉ると同時に、それらもまた身罷りし者達の息づきし事を、生けし者達が想起する様に説き続けます。
それらは慈悲を象徴し、苦しめる霊魂のための施しにして、また炎のゆえに祝別されたローソクは徐々になくなりますが、かくの如くして慈悲は浄火の責め苦を減じます。

聖アタナシオはこの敬虔なる習慣を大いに力説します。聖人は言います。
「身罷りし者は地に葬られども、その墓において油とロウを燃やすのを決して厭うてはならぬのである。
これは天主を喜ばせ、大いなる功徳に値するゆえである。
油とロウは捧げであり、聖なる犠牲は贖罪であり、貧しき者への施しは報いの弥増しである。」

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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