ヴァッスーラ・ライデンの伝達に関して

 

ギリシャ正教会信徒であるヴァッスーラ・ライデン夫人はある出来事が身に起る以前には葬儀や挙式以外に教会に足を運ぶ事がなかったと言われる。

1985年11月、43歳の時に、買い物リストを書きながら突然手に見えざる力が加わって霊的伝達が始まったと言われる。
それは普段の筆跡と異なるものであり、更にキリスト内面的な語りかけが聞こえ「これまであなたは自分のためにしか生きてこなかったが、しかしこれからは私のために働くようになるであろう。」と語ったとも言われる。

それより彼女は常に三位一体の天主からの導きを受け、毎日書き留め続けた伝達を"命じられた"として出版物で公表する事となった。
この伝達の記録は"True Life in God"と題されて英語で出版され、現在日本語でも"神の内の真の命"として出版中である。

 

<私的啓示としての認識の可否>

1966年10月14日、教皇パウロ6世によって認可された宣言によって教会法1399と2318の条文は廃棄されました。
従って"聖なる公教会に反しない限り"新しい啓示や預言に関する記事を自由に出版する事が出来る様になりました。

しかしながら、その後の流れとして"聖なる公教会に反しない限り"という条件が完全に忘れられ、公教会の信仰や教義に反する私的啓示や預言を真正なものとして一方的に公表される事が多くなりました。
ヴァッスーラ・ライデン夫人は自身が受け取った啓示として次の事を公表しています。

「カトリックの教義に反して、一種の全キリスト教の共同体の教会となる事が近い内に達成される事を預言」しました。

「キリストの決定的な到来と平和の時代と普遍的な繁栄の前にさえ、至福千年期において神は最終的な栄光ある介在を地上で真っ先に着手される事が預言されました。」

2006年8月6日に出された"ドミヌス・イエズス"において、聖なる公教会の信仰の教義のための集まりと全ての教会が、等しく救霊に結びつける事が出来るという信条を非難されました。
また公教会はこれまで現世的な至福千年期への信仰態度を常に戒めてきました。

 

<ライデン夫人の立場>

彼女は離婚歴と再婚歴があり、また婚姻に関する立場を明確にしていません。
また公教会に対しては教義を勉強中であるとしています。
また彼女は習慣的に聖なる公教会の秘蹟を共有し、公教会の内に波紋を広げました。

彼女はキリストに対し
「秘跡は同じですのに、私共ギリシア正教徒はあなたの体を分かち合うことが許されています。
ローマ・カトリックの教会に行っているので破門したとさえ言われそれ以上も言われましたが、贖罪師がカトリックの方なので両方の側から迫害されています! 」
と語ったとされています。

それに対しキリストは
「しかし、一つの祭壇でパンを分かち合う日が来る。それに誰もわが子達が私のもとに来るのを止めないであろう。
誰もあなたはギリシア正教徒か?とは尋ねなくなる。」

と伝えたと主張します。

これはこれまでの公教会の教義や信仰に対する明確な否定、拒否とも受け取れます。

キリストは常に各教会の一致を強く求めていると伝えます。
「イエズスは、主を真実に愛し教会を一致させようとして働いている人々、友人に話しかけておられるのです。」

そしてキリストの啓示として
「一致を求めるなら、あなたがた全員が曲がらなければならない」
「いつでも、どの教会であっても私のもとに来ることができる、他の人々のように区別してしまわないように。
それらは皆私に属している。私は唯一の神であって一つの体を持っている。」
と伝えます。

つまり"キリスト教"であるならばその間で区別するべきではなく、いかなる派も全て同じ(対等)であると語っています。
そして公教会に対しては"自ら曲がる(折れる)事"を要求しています。

それが事実であれば新教との一致の為に、カトリックの教義を全て放棄し、告白、聖母をはじめとする諸聖人への崇敬、全ての信心業も放棄せねばなりません。

「あなた達の心の中に一致をなすには、あなた達の心が必要です。
ヴァッスーラ、二人の姉妹(聖なる公教会と東方教会)の一致には犠牲が必要なのです。」
「一致しなさい! 集いなさい! 共に私の名を呼び求めるように! 共に私の体と血を献げなさい!」

 

ライデン夫人に天の御父がこう言われたと伝えます。
「来て学びなさい。朝は愛の種を、昼は平和の種を、そして夜は一致の種を播きなさい。
その後自分の収穫をしに行き、天の父の私に捧げなさい。
そうすると天の父の私はあなたにこう言うでしょう。
"わが子よ、あなたの誠実さによって天での御褒美をもらったのですよ"。」

ライデン夫人の伝達において天主、キリスト、聖母が何にも増して宗派の一致を強調している点が特徴的です。
また"誠実さによる天に於ける御褒美"を天の御父が直接一個人に対し申し出る点も不可解です。

 

<ローマの見解>

(L'Osservatore Romanoより)

1996年12月にローマは次の見解を発表しました。
「信心深い人々はヴァッスーラ・ライデンの伝達を啓示としてではなく、
彼女の個人的黙想としてのみみなすべきである。」
「これらの黙想録は告示の知らせの様に、カトリック教義に照らし合わせて肯定的な様相と共に否定の要素を含んでいるのである。」
「従って、聖職者と信徒はこの問題に慎重な霊的見極めを行い、啓示と称するものによってではなく、天主が啓示された御言葉と教会権威の指導に従って信仰と倫理と霊的生活の純潔さを保持すべきである。」

「1966年10月14日に教皇パウロ6世が認可され、また1966年11月15日に通告された決議を啓示と称する物から出る著作とお告げを教会内で自由に頒布出来ると解釈している人々がいるが、これには全く根拠がない。
これは実際には"禁書目録の廃止"に関する決議であり、妥当な禁止令が解かれても、信仰と倫理を危険にさらす著作を流布、読んでもならないという倫理的義務は保持されると決議されている。」

「啓示と称する文書を流布させることについては、現行教会法の823条の1の"教会の司牧者は信徒が出版する信仰と倫理に関する文書を彼らの判断に委ねを求める権利"を持つ事を想起すべきである。」

「超自然の啓示と著作と称する物に関してはまず地元司教の判断に委ね、特殊な場合においては司教団と信仰教理聖省の判断を仰ぐべきである。」

ライデン夫人の伝える言葉を真正の啓示として受け入れるならば、公教会の信仰と教義を危険にさらす事になるのは明白です。
もしこれらの言葉を受け入れるならば、聖なる公教会は誤りであり、いずれ近い将来に現在と大きく異なる共同体に変わるという事になります。

現在私的啓示と称されて大々的に公表されていますが、超自然的な真正の啓示として伝える姿勢の誤りはローマの見解からも明らかです。

 

<一致≠改宗>

夫人は度々「一致」と断言していますが、それはイコール「聖なる公教会への改宗」ではありません。
もし一致=改宗であるならば、ライデン夫人がまず改宗しなければなりません。

ライデン夫人は教会認可が得られる前に出版活動や世界中を飛び回っての講演活動を行っていますが、ここでは1972年に司教認可を受けた1968年の近代のカルメラ・カラベリに対する私的啓示と比較してみたいと思います。

 

マリア 公教会の御母

(1968年11月25日 我らの主より、貧しきやもめカルメラ・カラベリへ)

「わが子よ、しばしば公教会の御母として呼び求め奉るによりて、わが御母に依り頼み奉れ。我は連祷における"聖なる天主の御母"の後に"聖なる公教会の御母よ、我らのために祈り給え。"の呼祷が加えられる事を望む。

今日これまで以上に熱心なる者と我らの御母の絶え間なき御活動が欠かすべからずものとなっているのである。
愛と信仰もて彼女に向い奉る者のみが正しき道より逸脱しないであろう。

ああ!わが神秘的体の統一したる保護手段において、あまたの信者は聖霊と彼女に依り頼み奉る事なくこの生涯を捧げ、しばしば実りをなすのであるが、しかしその木はその全長を巡る滋養や樹液なしに生存する事能わず、もし霊魂がそれを明らかにする聖霊を欠くならば、また天の御母なるそのマリアより来る食物もないのであれば、その公教会の木が生存する事は不可である。

わが子らよ、公教会のために祈り、御母にして教師なるマリアにあなたの絶えざる嘆願を加えよ。」

 

ライデン夫人へ「同じ我らの主」はこの様に伝えたと主張します。

「一致を求めるなら、あなたがた全員が曲がらなければならない」
「いつでも、どの教会であっても私のもとに来ることができる、他の人々のように区別してしまわないように。
それらは皆私に属している。
私は唯一の神であって一つの体を持っている。」

また「カトリックの教義に反して、一種の全キリスト教の共同体の教会となる事が近い内に達成される」ならば、何故公教会の御母ではなく、全キリスト教会の聖母と言われなかったのでしょうか。
また全キリスト教の共同体=聖なる公教会ではありません。

「貴方達の心が私がこれから言うことを良く聞くように。一致を得るには償いが必要です。」
公教会に対し"一致を得るための償い"を求めています。

「私はあなたのうちにこの時代を一致へと引き寄せる。安心していなさい。
共にいる。
あなたの額には私の印がある。
それでこの印と恵みによって、地上の王国は私の望む通りに建設されるであろう。」
一人の人物が受けた額の印と恵みによって地上の王国が主の御望み通りに建設されるとする点も不可解です。

 

これらの比較に関しましては、また「メジュゴリエの啓示と称するもの」にも適用出来ると思います。

 

<一神学者の考察>

彼女の多くの"キリストからの啓示"なるものが、サタンが加えんとする危害を誇っている様に見うけられます。
この邪悪な事を誇らんとするのは
間違った私的啓示の共通の特色であり、幻視の一部における偽り、もしくは精神病の結果ではありません。例を挙げますと、

1991年7月16日:「娘よ、至高なる我はわが教会の裏切りと、わが身体の受くる試練とを予見するのである。
サタンは彼の煙で全地上を多い、あなたは背教を抱え…あなたは絶え間なきわが犠牲への嘲笑と、憎悪の災いなる不義の模倣を解したのである。

あなたは偽りをもって真実を匿し、涜聖の罪を有するのである…わが王座より我を強要させ、あなた自身の法を創造せし如くに、わが神殿の聖なる現存はあなたを阻むであろう。
それを為す前にわが同意を願いし事があったであろうか?
しかしこれは時のしるしであり、あなたの大なる背教と謀反の精神、あなたの時代における反キリストと憎悪の災いである…。」

1991年11月24日:「わが息子らと娘らの罪なき血がサタンに対し流されるのである。
この罪なき血はその邪悪なる者に対し、大虐殺の如くにして捧げられるのである。
サタンの計画は被造物より世を剥ぎ取り、あなた方全員を滅ぼして炎で包む事である。
彼はあなた方全員の大虐殺を望んでおり、私は叫び大声で泣き、血の涙を流すのだが、注意を払う者は少ない。」

1991年12月24日:「サタンはわが子らの心中に入り、彼らはか弱く、眠っているのである。
私はファティマの啓示を語り、世に警告したのである。わが日においては、私は正午に太陽を沈ませ、地上を真昼間に暗闇とさせるのである。
私は竜にこの時代の罪深き者を噛み、世がかつて見ざる火を浴びせる事を認め、また彼女の数え切れぬ罪が燃ゆるのを再び見んと絶えず進むであろう…。」

この"啓示"なるものによると、世が直面するであろう種々の艱難は天主からではなくサタンからであるという事になります。
それは「黙示録」の記述とは大きく異なっており、それらの艱難は全て人類を正すために天主より送られるものです。

従って彼女の「私的啓示」なるものは天からのものではありません。

 

<全ての司教に対するウィリアム・レヴァダ枢機卿の書簡>

2007年1月25日にウィリアム・レヴァダ枢機卿は、ヴァッスーラ・ライデン夫人の捏造の主張に関して公的な警告を発表し、教会の司教らや上長方に通告しました。

御存知のように、これについては1995年10月の公教会の当初からの否認の判断が変わっておらず、従って公教会信徒のライデン夫人の祈祷会の参加などは認められませんが、ライデン夫人はこの発表を受けてレヴァダ枢機卿を攻撃しています。


全ての司教に対するウィリアム・レヴァダ枢機卿の書簡


2007年1月25日

54/92/24945

ヴァッスーラ・ライデン夫人の創作と活動の説明に対するリクエストで、信者の教義に対し、聖なる会衆に来たり続ける事を依頼する有効性に関し、
特に1995年10月6日の通知と、ヴァッスーラ・ライデン夫人の創作を普及する事の適否に関し、地元教会の提供を定める際に従うべき基準。

この尊重にて、会衆は以下の如くに明記するを望む。

1) 調査された著作の教義上の見解に関する事は1995年の通知は有効なままである。

2) 信仰の教義に対する会衆との対話は続けられ、ヴァッスーラ・ライデン夫人はしかしながら、彼女の著作に書かれている特定の問題を含む点で説明を提供し、その上で啓示の性質に関して、「神のうちの真のいのち」の第10巻の、2002年4月4日の書簡で、これは個人の黙想録として、天主の啓示として提供しないようにとしている。
規範的な見解から、それより上述の説明に従った慎重な評価のケースバイケースで、そうした説明のフレームワークの範囲内でそれらの著作を読む事に対し、信者の具体的な可能性を考慮するようにする事が望ましい。

3) 最後に、それはヴァッスーラ・ライデン夫人によって組織される祈祷会の公教会信徒の参加が望ましくない事を思い出させるのである。
信仰者は教会法によって与えられる教会の条項、そして教区の聖職者に従わねばならない。

あなたにこの情報を送る中で、私は主への信心において敬意を表します。


ウィリアム・レヴァダ枢機卿

 

 

 

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