我らの主イエズス・キリストの聖なる御受難

20世紀の神秘家 ヨゼファ・メネンデス修道女(1890−1923)

「わが霊魂達の為に書きなさい。そうして、渇く者は元気づけられ、飢える者は満たされるであろう。」

(1923年四旬節中に、我らの主からメネンデス修道女に)

「あなた自身が謙遜であれ。自分を低くし、私と共に来れ。共にゲッセマニに行きて、あなたの心を私が沈められた苦しみと悲嘆の感情に浸せ。

多くの群集に説教した後に、病者を癒し、盲人に視力を与え、死者をよみがえらし、わが使徒達と共に3年間生き、彼らを教育しわが教義を教えた後に私は最後に手本となって彼らに、いかにして互いに愛しあい、互いに示しあうかを、またいかにして相互に仕えあうかを教えることを意図したのである。そしてこれにおいて、私は彼らの足を洗い、彼らの食事を私自ら得させたのである。その時間は人となった神の子、その血を流しこの世に生命を与える人類の救い主のために来たのである。また私の御父のみ旨に、私自身を明渡すことを願いて、私自ら祈りに赴いたのである。

深く愛される霊魂は、一つの必要なる事である神のみ旨のうちにおける謙遜な服従、神への明渡しの自然な結果がどうであるかを、来て、あなたの模範から学びなさい。いかなる状況においても神のみ旨を遂げる意思のこの上ない行いによっても。祈りによって力を与えられたことは、全ての重要な行動に勝るべきであることも彼から学びなさい。生きる困難における必要な強さを祈りの中でのみ、霊魂は得られるのである。祈りの中で天主の御働きを感じないとしても、天主御自身が知らせ、助言され、奮い立たされるのである。すなわち、私はゲッセマニの園において孤独に陥ることが予定されていたのである。

天主は気晴らしや雑音から遠ざけ、内側を探し求めるようになされたのである。天主を見出すために霊魂は自己愛及び官能にによって吹き込まれた議論の上で、自然が恩寵にしばしば逆らう全ての妨害の中で静寂を強いねばならない。

私はあなたに見本を与えるために、あなたの霊魂の三つの力があなたの祈りに伴い助けなければならないことを学ばせるために、私の最愛のものなる弟子の三人を共に連れたのである。記憶にあなたの神の恩恵と完全とを思い起こしなさい。神の御力、御徳、御愛と御あわれみである。あなたの理解に彼があなたに与えられた素晴らしい恵みにこたえる道を探し出させる。彼のためにより良く、行う決心の中で強くなるであろう。罪人への働きと使徒の労働、もしくは謙遜な隠れた生活の祈りと沈黙のうちにあなた自身を捧げなさい。」

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system