天国について

聖ドン・ボスコはある日天国の幻視を得、そこが一定の気候を持つ様に見えた事を語られました。
「全ての木々と植物に対し優しく、また適したものでありました。」
また不思議な湖がイエズス・キリストと殉教者の血で満ちたのを見ました。
この湖は聖なる山(聖なる公教会)を守りました。
湖の東方には巨大な谷が見られました。
また天国の真中に美しい旋律の声で歌う数え切れぬほどの天使がいました。

聖ベルナルドは言います。

「ああ荘厳なる天使の軍団の、彼らの翼をもて至聖三位一体に向いて黙想せし所、祝せられこの上なき御徳なりし御者の住まい給う所、絶え間なく"聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の天主なる主よ"と賛美されし、太陽よりも大いなる光輝もてひとえに輝ける喜びの所よ!
永遠なる御者によりて冠を与えられし言語に絶する喜びの所よ!
一つとして望むものを欠かざる豊かなる所よ!
快く、語り得べからざる甘美にして主の御功徳の全てにあまねきし所よ!
平穏にして、静けさの堅固に確立せられし所よ!
崇むべくして、驚くべき天主の御働きの現れし所よ!
祝福を与えられし、いと高き御者のいと限りなき驚くべくものを黙想せる所よ!
ああ豊かさに満てし荘厳なる軍団は、この涙の谷より我らの御身への嘆息を参らせ給う!
そこで英知は一切の無知より解放され、記憶は一切の忘却より解放され、知性は誤りを、理性は一切の不明確さを晴らさん。
至美なる軍団は主の選び給いしものを主の食卓に据えさせて彼らに仕え、また更に言うなれば彼の光輝の一切を彼らに給わん。
そこで天主は万物のうちに在し給うのである。」

<聖ドン・ボスコの母の御霊魂の幻視>

聖ドン・ボスコの母、ママ・マーガレットは聖人の養育において重要な役割を果たされ、聖人の働きに大きな力を与えられた事でよく知られています。
そして誰もが彼女を優しくママ・マーガレットと御呼びしました。

彼女が息を引き取って後、彼女は聖ドン・ボスコの前に現れました。
聖人はその事を御自身の回想録に書き残されています。

1860年の8月、聖人は夢の中で、慰めの御母の礼拝堂の近く、道角の聖アンナ修道院を囲む壁に沿ってホスピスから祈祷所に後戻りする道において亡くなった母親に会われました。

彼女は美しく見えました。聖人は尋ねました。
「あなたは本当にここにいるのですか?あなたは息を引き取ったのではないのですか?」
「私は死にましたが、まだ生きております。」
「あなたは幸福ですか?」「大変幸福です。」

他の幾つかの質問の後に聖人は直接彼女に天国に入ったかを尋ねました。
彼女はつつましく答えられました。
聖人は次いで幾人かの少年達の名前を挙げ、彼らが天国にいるかを尋ねました。
彼女は肯定的に答えました。

聖人は更に尋ねました。
「そして、教えて下さい。天国におけるあなたの喜びは何でしょうか?」
「私はそれについてあなたに伝える事は出来ません。」
「福楽についてせめて一つの考えを下さいませんか。どうぞそのかすかなものを示して下さい。」

そうしてママ・マーガレットは威厳を放ち荘厳なローブを着て現れました。
彼女の後ろで大きな聖歌隊が歌うと共に、言うに言われぬ甘美さで心に直に届き心を満たし、愛と共にそれを運び去る天主の御愛の歌を歌い始めました。
その声音はあたかも1000の声と最低音から最高音までの1000の音階が一つの音声を形成するかの様であり、また大胆にして繊細に調和して混声されたかの様でありました。
聖人は非常に喜び、またこの最も旋律的な歌を歌うには感覚が足りないと考えました。

聖人はもはや尋ねる事はありませんでした。
彼女が歌い終えた後、聖人に言われました。
「私はあなたを待ちましょう。我々二人は常に共にいるに違いありません。」
彼女はこう言われると姿が見えなくなりました。

 

<諸聖人の御印象>

聖テレジアはイエズス・キリストの一方の御手をわずかに一瞥した時、その美に全ての感覚を失った様になったと言われます。
鼻には楽園の芳香が、耳には天上の調べがあったと言います。

聖フランシスコは一度天使達よりバイオリン曲の一章を拝聴しましたが、喜びのあまりにもう少しで息絶える所であった、と言います。

聖アウグスチヌスは言います。
「彼らは全き王である。楽園の全てより更に美しく見ゆるマリアを見奉るは何たる喜びであろうか!
しかし天主の子羊なる天的浄配なるイエズスを見奉らねばならない。」

 

<聖マリア・マルガリタ・パッヂ童貞の御話し>

聖マリア・マルガリタ・パッヂ童貞の修道院に、ベネディクタ童貞がおりました。
セパリ神父の言うには、修女は非常に信心深く、あらゆる種類の過ちにおいて、謙遜によってしばしば自らを非難しました。
修女は称えられ、聖人と見なされる事を望まず、却って自らを慎重さと識別力に欠く者であると皆に確信させようと試みました。
また幼な子の如き信頼、それらの英知の信頼と、弁解の要なき服従をもって至高なる御者への服従を修練しました。

彼らは言います。
「それは修女が疑問なく速やかに応ずるに充分でありました。
臨終において我らの主は、彼女と御苦難を、あまたの聖人が彼と御父にの御前に参り奉る前に受くる苦悶を共有し給いませんでした。
修女は御もとに呼ばるる少し間の病のみを受けました。」

修女が息を引き取った後の朝、童貞達と共に聖祭を拝聴した聖女は他の童貞らがサンクトゥスを歌う間に恍惚に陥りました。
天主は聖女に対し、かの善にして聖なる童貞が最後の審判の後の如くに栄光を与えられし肉身を見奉る聖寵を与えられました。

修女はいかなる状況においても他者への行いのうちに寛容にして優しきがゆえに星の如き報いをもって栄光に覆われていました。
修女の全指には貴石の指輪がはめられておりました。
我らの主は聖女に対し、これらの指輪は彼女の召命に対する忠実さと、掟に対する妥協なき服従のためであると仰いました。
そして修女の愛し奉る十字架に磔にせられ給いしイエズスは、修女の頭に黄金の冠を授けました。

 

<モンテファルコの聖クララ童貞の霊魂の審判の示現>

聖女は天国の幻視をしばしば降誕節の間に得ていました。
一度は主の公現の祝日においてであり、天の情景の中に自らが再び引き込まれるのを感じました。
彼女はかくして携挙の如くして進み、それより丸一ヶ月間を費やしました。

この間、聖女は天主の霊魂の審判の目撃者となりました。
しかしこれは聖女がかつて見聞した事のないものでありました。
そこには怒りも罪罰の宣告も辛苦も存在しませんでした。
事実、天主は何者をも裁き給わず、彼ら自身がおのれを裁くのです。
聖女は彼らの罪と、おのれの罰に対する厳格なる罪の裁きゆえに、おのれの生前為しし総ての中において罪を悟るのを見ました。

光の中で万物を覆い隠す闇黒の時、聖女はおのれの罪を見る事を得ました。
いたらぬ種々の点は、過つ前に熟考を欠いており、突如墓を表すものが載せられると、恐ろしい結果がもたらされました。

聖女は自分の目前に何千もの何千もの悪魔共がいるのを見ました。
彼らは聖女にわめきました。
「お前はここに降らなければならない!我々はお前を待っているのだ!」
同様に定められた一つの霊魂が急いで聖女の前を横切るのを見ました。
それは熊手とフックによって悪魔共に引き捕らえられ、彼らはそれを暗闇の中に投げ込み、巨大な鉄をもってその霊魂を打ち砕いた巨大な悪魔も彼らの中に加わりました。
その激怒のわめきと激しき抗いは記述する事が不可能なものであり、それは大変恐ろしいものでありました。
それは聖女を恐れさせ、その霊魂が煉獄へ、はたまた地獄に行ったのか、定かではありませんでした。

しかしこの恍惚の間、聖女はまた美しき山を回り、その美しく素晴らしいのを見ました。
空中ではあたり一面に向かってお辞儀し、一部は光線の如くありました。
他のものは虹色の如くありました。
それらは聖女に、かくの如き喜びをもって聖女を満たしている事を悟らしめました。

そこで聖女は助けを行う事が出来なくとも善が自然と為され、聖女が天主に光栄を帰し奉るを望むならば、全事物のうちにそれを為しました。

聖女はまたその山の中央を見ました。
光の源なる天主は諸天使に取り囲まれ、諸聖人は聖女を「来たれ!来たれ!」と歌い招きました。
しかし別の柔和な声が語りました。
「彼女は天に来たるであろうが、今ではないのである。」

 

<聖ルトゲルドと説教師デ・リエレのヨハネ神父>

説教師であったヨハネ神父は修道会の催しのためにローマを旅し、丁度アルプス山脈で臨終を迎えました。
ヨハネ神父には旅行より戻ってからの、聖ルトゲルドとの面会の約束があり、聖ルトゲルドの前に現れました。

聖女はヨハネ神父が息を引き取った事を全く知らず、語り合うためにヨハネ神父を招きました。
すると彼は、「私はもうこの世にはおりません。
そして私の約束の履行においてのみ、ここに来ております。」と言いました。

この言葉で聖女は膝にうなだれ落ちて、しばらくの間狼狽しました。
そし善き友であるヨハネ神父に目をあげて言いました。

「なぜ、あなたはそのような見事なものを装っておられますか?
私が飾られているあなたを目の当たりにしている、三重のローブは何を意味しますのですか?」

ヨハネ神父は答えました。
「白い衣は、私が常に保った貞潔の清浄を意味します。
赤いチュニックは、私の力の消耗を早めた労働と苦しみを意味します。
そして全体を覆う青い外套は、霊的生命の完成を意味します。」

このように語ってヨハネ神父の姿は消えました。

<天国の福楽>

(死への備え)

聖アルフォンソ・リゴリオ教会博士

今生における最大の苦は、孤独にありし天主を愛し奉る霊魂が、彼によりて愛されざる恐れに起因するのである。
「人は彼の愛され、もしくは憎まれ給うに値せるかを知らず。」
しかし天国においては、霊魂はそれを天主が愛し給うを確信し、これの全き永遠に拭い去らるる事なく、彼は全く至愛なる子としてそれを受け入れ給うのである。

これらの祝せられたる炎はいや増したる知識によりて増し、霊魂はかくして人となりて至聖なる秘蹟を設け、我らのために御愛のうちに死去し、哀れなる人間の餌食となり給いし天主の御愛への大いなるを得るのである。
かくしてまたその霊魂は明確に、天主のいとも数多の危機と誘惑よりこれを救い出し給いし際に用いられた全ての聖寵を見奉るのである。
これはそれよりかつて不幸、天主の懲罰と呼びし苦難、弱き、迫害と損失の全て御愛でありた事を思うのである。
全ての手段はこれを天へと導く天主の御摂理による目的なのである。

(つづく)

 

<聖ヴィアンネと天国>

アルスの主任司祭聖ヴィアンネは、子らが天の御国に入ったという吉報をしばしばもたらしました。

一人の少女が母親を亡くして悲嘆にくれて聖人のもとを訪れました。
その母親というのは大変な苦しみと犠牲の生活を送ったので、少女は慰めようもない状態でした。

聖人は少女に近づいて言いました。
「ああマドモアゼル、そうして、君のお母さんを亡くしたんだね?
彼女は天国にいる!」

少女は泣きました。
「私は全霊を挙げて彼女のために祈りました。」

聖人は答えました。
「そう、彼女は天国にいる!」

別の時に、ある者が聖祭を生前にいとも慈悲深くして、敬虔なる一生を送り、苦しみに満ちた病にかかって死去したある婦人のために捧げる事を聖人に願い出ました。
聖人は答えました。

「聖祭は誰か煉獄にある惨めなる霊魂のために唱えよう。
彼女は聖祭を唱える事も、あなたの祈りも要していない。
彼女は天国にいる!」

 

 

 

 

 

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