聖大ゲルトルードと聖母信心

 

教会認可


聖大ゲルトルードが規則に従い、「サルベ・レジナ」を歌い、聖母に致すべき崇敬をもって御仕えしていないと、天主の御前に嘆いて、自らの弱きに対し、イエズスの聖心によって、この聖歌を捧げました。

すると我らの主は、聖女の欠けしものの為に、黄金の細い管を、主の聖心より、童貞マリアの御心に通され、そして主の、子の愛情の優しさを注ぎ出されました。

我々はまた、おのが怠慢に対し、(聖女のように)次の祈りによって届けて頂くことが出来ます。

 

祈願

「ああ、いと甘美なるイエズス、いと清浄なる童貞の御胸において、肉を受けられし御身の起こされし御愛によりて、我らの要せし一切において、母的優しさもて、我らを助け給うために、常に備え給う、このいと平穏なる御母に仕え、光栄を帰し奉るにおいての、我らの弱きが為に、届け給わんことを、御身に切に願い奉る。

彼女に捧げ給え、ああ、いと甘美なるイエズス、御身のいと甘美なる御心の、すぎるほどの至福よ、一切の被造物の前に、全き永遠より選ばれ、御身の御母となり給い、一切の聖寵と御徳とによりて飾られし彼女に、御身の天主のひとえなる御愛を示し給え。

地上において、御身が彼女に明示し給いし全ての優しさ、すべての御事におけし御身の子としての彼女への従順と、とりわけ、彼女を慰める為に、御身が御自らの御苦をも忘れ、必要なる子を備え給いし、御身の御死去の時の御深慮を、彼女に思い起こさせ給え。

また、天使の全隊を超えて高められし、彼女の被昇天の御喜びと栄光と、天地の元后に任ぜられ給いしを、思い起こさせ給え。

かくして、ああ、善きイエズス、我らの為に、御身の御母に、慈悲深くあらせ給え。
彼女が我らの生涯と臨終において、我らの代願者にして、保護者となり給わんことを。」

 

 

<「サルベ・レジナ」の御約束>

聖大ゲルトルードが、このいと優しき御母に、「サルベ・レジナ」の中の「Eia ergo」の語をもって呼びかけし時、紐のようなものが、聖母から聖女に向けて引き下ろされているのを見ました。

それによって聖女は、我らが信心深く、聖母を我らの代願者として呼びかけし時、聖母の母的優しさが非常に動かされ、我らを支え給う事を止める事が出来ないという事を理解しました。

Illos tuos misericordes oculos」の語を唱えた時、祝せられた童貞は、御子の御まなこを地上の方に傾けられ、言われました。
「これらは、私に信心深く呼びかける全ての者に向けし、わが仁慈のまなこであり、これより彼らは、永遠の救霊(たすかり)の実を得るのです。」

そうして聖女は我らの主より、毎日少なくとも、主の祝せられた御母に、「
Eia ergo Advocata nostra(ああ我らの代願者よ)」の語をもって
御礼を為し奉るならば、その者の臨終において大いなる慰めを賜う事を保証されました。

 

 

<臨終の委ね>

聖大ゲルトルードは、我らの御母に、自らの臨終において、母的優しさによって助け給うように願い、150回の「天使祝詞」を捧げました。

それぞれの「天使祝詞」は、金のかけらのように現れ、我らの主がそれらを、聖女の死去の時に、それを助けと慰めの為に用い給うであろう聖母に捧げられていました。

そうして聖女は、我らの臨終を委ねるために、どの聖人にであれ、祈るならば、その聖人に捧げられた祈りは、主の審判の法廷の御前に置かれ、
己を委ねたその聖人は、我らの代願者として任ぜられるという事を知りました。

 

 

 

 

 

つづく

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