カトリックの信仰と「救霊」

<聖アルフォンソ・リゴリオ 司教教会博士の記述 >

「我々は聖なる公教会の子供として我々を迎え入れて下さり、我々に真の信仰の賜物をお与え下さった天主に、絶えず感謝すべきである。どれほど多くの不信心者、異端者、教会分裂者が真の信仰の幸福を喜べずにいるであろうか!彼らは地上に満ち、全てを失ったのである。貴方がキリスト教のある土地で、真実の教会に生まれることを可能にされた天主の貴方への特別なる御愛を考慮しなさい。更に、どれほど多くの人間が、偶像崇拝者、ユダヤ教、イスラム教、あるいは他の異端の教えから生まれるかをも考慮しなさい。彼らは全てを失ったのである。」

「我々は公教会が唯一の真の教会であると信ずるべきである。従って、我々の教会の外にいる彼ら、あるいはそれから別れる彼らは救霊を得る事が出来ぬのである。」

「マリアは御自分に依り頼むすべての者の為に、救いを得させるであろう。ああ、もし全ての罪人がマリアに依り頼み奉るならば、一体誰が失われるであろうか…もしマリアが彼を保護されるならば、彼は救霊を得るであろう…彼が失われる事はないであろう。」

「もし貴方が死におけるまで、マリアへのまことの信心を行い通すのであるならば、貴方の救霊は確実である。」

「革新者らは、主は各々に聖書についての正確な、明確な知識を与える、と言う。そのようにして様々な信条を生み出した異端者らの”個別の解釈”!そうして、かつて開催したすべての大会及び教会会議の後に、一定の確信の定義を引くことが出来なかったのである。そうして誰でも、宗教改革者のうちに、信ずる個人がいるのと同数の公式があることを知っているのである。このことだけで彼らが誤っており、真の信仰を持たないことを示すのに充分である。」

「神は真の信仰がローマの教会のみで保つように整えられ、そうしてそこに1つの教会、1つの信仰、1つの完全なる正確な教義があるのである。」

「カトリックの信仰のみが奇跡を生み出す。これは異端者の間には見られぬのである。この種の植物は、天主の呪われておられる土壌の中では育つことが出来ぬのである。それらは、真の信仰が宣言されるその教会においてのみ定着することが出来るのである。天主は御好みになられる真の宗教以外において、奇跡が行われるのを御認めにはならぬのである。」

「災いは、偉大な愛から生命のものまでに発生する。この心の病は理解と永遠の滅びへの鉛板を弱めて暗くするのである。もし彼らがそれらを癒し、それらを清めようとするならば、彼らは間もなく光、それは救霊の唯一の公教会に加わる必要の示しを受け取るであろう。」

<あるプロテスタント信者の改宗>

ある6歳のプロテスタントの少年は、しばしばカトリック信者の友人が「天使祝詞」を唱えるのを聞きました。少年はその祈りが非常に大好きだったので、それを印刷して記憶し、自分も毎日唱えるようになりました。

ある日少年は自分の母親に、「お母さん、この美しいお祈りを見て下さい。」と言いました。彼の母親は「決してもうそれを唱えてはいけません。」と答えました。「それは偶像を崇拝し、マリアを女神と考えるカトリック教徒達の迷信的な習慣です。結局彼女は他の女性と同じような女性です。さあ、この聖書を取って読みなさい。私達が行うべきもの、行わざるを得なきものすべてを含んでいますから。」

その少年はその日から「天使祝詞」の祈りを止め、代わりに聖書を読む時間を自分に与えました。ある日聖福音を読んでいる間、少年はマリアへの天使の受胎告知に関する部分を読みました。喜びに満ちて少年は母親のもとに走り来て言いました。「お母さん、僕は聖書の中で”天使祝詞”を見つけ出しました。”恵まれた者、喜びなさい。主があなたと共におられます。”なぜそれを迷信的な祈りと呼ぶのですか?」

また別の時には”いつの時代の人々も、私を幸いな者とよぶでしょう。”とマリアが預言された素晴らしい”マニフィカット”と聖エリザベスの童貞マリアへの美しい挨拶を見つけ出しました。少年の母親は、もう何も言いませんでした。少年は以前のように「天使祝詞」の祈りを唱え、我らの救い主、イエズスの御母に対し美しい言葉でお話することに楽しみを感じました。

さて少年が14歳になった時、家族の者達が聖母マリアに関して論じ合うのを聞きました。他の者達は皆、マリアが他の女と同じく普通の女であると言いました。その少年は彼らの誤っている推論を聞くことに耐えかね、憤慨し、このように言って彼らを止めました。「マリアは罪で汚されたアダムの他の子供とは似ていません。いや!天使はマリアを”恵みに満ちた、女の中で祝された方”と呼ばれたのです。マリアはイエズス・キリストの母であり、従って神の御母です。被造物の中で上げられうるそれより高い尊厳はありません。福音書は”いつの時代の人々も、私を幸いな者とよぶでしょう。”と宣言していますが、あなたはマリアを軽蔑し、マリアを見下しています。」母親は答えました。「あなたの精神は、福音書をキリスト教の基礎であるとする聖書の精神ではありません。」

この少年の言葉に深く印象づけられた母親は悲嘆におちいり叫びました。「おお神様!私は息子がいつかローマ教皇の宗教、カトリックに入信するのではないかと心配しております。」

そしてその言葉通りに、少年は新教とカトリックの両方を熱心に研究した後、彼は後者のカトリックが真実の宗教であると理解し、入信した後は、最も熱烈な使徒の一人となりました。

改宗の後、少年は結婚していた姉と会いました。姉は少年を非難し憤慨しながら言いました。「私が自分の子供達をどれほど愛しているか、あなたは少し知っています。彼らのうちの誰かがカトリックになる望みを持ったならば、ローマ教皇の宗教に入信することを可能にするよりむしろ彼の心臓を短刀で貫くことを望みます。」彼女の怒りと気質は、彼の改宗前の聖パウロのものと同じ位猛烈なものでした。しかし聖パウロがちょうどダマスカスへの道を変更したように、彼女もまた自分の道を変更しました。それは以下のようにして起こりました。

彼女の息子の一人は病にかかり、命が危うくなりました。回復の見込みもなく、医者はさじを投げました。少年は姉に近づき優しく言いました。「私の愛しいお姉様、あなたは当然息子が治って欲しいですね。そのために僕があなたに願うことを行って下さい。僕に続き一つの”天使祝詞”を祈り、もし彼が健康を回復したならば、あなたはカトリックの教義を真剣に学ぶことを神に約束して下さい。そしてカトリックが唯一の真の宗教であるという結論に達すれば、どんな犠牲を払ってでもそれに入るでしょう。」姉は最初はあまり乗り気になれませんでしたが、息子の回復を望み、彼の提案を受け入れ、共に「天使祝詞」を唱えました。翌日、息子は完全に回復していました。聖母マリアは姉の約束を完全に満たされました。姉はその後カトリックの教義を学び、長い準備の後に彼に感謝して家族全体で洗礼を受けました。

この話はタックウェル神父が説教中に語ったものでした。そして神父様は更に続けられ、「兄弟の皆さん、その少年はカトリックになり、彼の姉を改宗させ、神への奉仕に生涯全体を捧げています。その彼は今あなた方に話している司祭です。私が聖母に対しどんな負債があるか、私の親愛なる子供達よ、あなた方もです。聖母への美しい完全なる「天使祝詞」の祈り、またはあなたのロザリオをせずに決して一日を終えないで下さい。ペトロの巌に基づいて建てられたキリストの真実の教会から分かれたプロテスタント信者の心を啓蒙して下さるように、またこの教会に決して地獄の門が優勢とならぬように、聖母に願いましょう。」

<聖アルフォンソ・マリア・リゴリオ司教教会博士の「革新者への反対」>

聖アルフォンソ・リゴリオが御生まれになってすぐ後に、聖フランシス・イェロメは聖人の両親を訪れこのように預言しました。「この子は長い日々に恵まれるでしょう。彼は90歳の前に死を見ることはないでしょう。彼は司教となって、イエズス・キリストの為に偉大な事を行うでしょう。」そしてこの預言は確かに実現し、諸聖人の中で最も偉大な事を成し遂げた一人が聖アルフォンソでありました。この世における91年の生涯において、修道会を設立し、100冊をこえる著作を著わし、法律家であり、高名な説教者であり、近代道徳論の考案者でもありました。聖人は以下の様に著述しました。

 

一つの教義と信仰のうちにない教会は真の教会ではあり得ぬのである…従って全ての異なる教会は、真の一つにならなければならない…ただ一つのみが真の唯一のものであり得るのである…この教会の外に救いはないのである。

さてどれが、この真の唯一の教会であるかを決めるために…調べることが必要であり、どれがイエズス・キリストによって最初に設けられた教会であるか、これが確かめられる場合にこの唯一のもののみが真の教会であるということが認められるに違いないのであり、前から真の教会であったということは、常に真の教会であるに違いないのであり、永遠に真の教会であるに違いないのである。この最初の教会は救い主が地獄の門は決してこれを打ち倒す事が出来ないと御約束されたのである。「あなたはペトロである。私はこの岩の上に私の教会を建てよう。黄泉の国の門も、これに勝つ事は出来ない。(マタイ16:18)」

…宗教の全歴史によって我々は公教会のみが最初の教会であり、他の誤った異端の教えが後に出発し、母から分離したしたことを知るのである。これは母を超える様に使徒自身が任命した牧師によって管理されて、使徒らによって広められた教会である…

「洗礼を彼らに授け、私があなた達に命じた事を、全て守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなた達と共にいるのである。(マタイ28:20)」この言葉は、公教会のうちにてのみ見出すことが出来、この世の使徒らから途切れることなく正当な順序に従って、司祭は保証されて下されるのである。

革新者らは、彼ら自身公教会がイエズス・キリストの設立された教会であるということを否定しないのである…しかしながら、彼らは「それは5世紀までは真の教会であったが、公教会信徒によってそれは悪くなり、堕落したのである」…と言うのである。どの様に聖パウロが「天主の家とは、真の柱であり土台である、まことの天主の教会のことです(一テモテ3:15)」と呼ぶ教会がどの様にして堕落するのであろうか?
…いいや、公教会は堕落してはいないのである…事実はそうである…ローマの教会から分離した誤った教会は全て堕落し、罪を犯したのである…しかし異教の分派全てに対し誤りを確信させる為には我々の公教会がイエズス・キリストによって設けられた最初の教会であることを示すより更なる方法は無いのである。この立証の存在によって、それは全てをこえて証明され、我々が唯一の真の教会であり、それ以外の残りの分離した他の全てが確かに誤っているかどうかを疑われるのである…

しかしこの議論に苦しみ、革新者らは答えを考案したのである。彼らは可視の教会が失敗し、不可視の教会はそうではないと言うのである…しかしこれらの教義は完全に福音書に反しているのである。革新者らは発案した不可視の教会の存在を証明するために、聖なる聖書の原典を生み出さんと幾たびも試みたのである。そうして我々は彼らから、任意のそれらの原典を得ることが出来ないのである。彼らはどの様に原典を引用し、いつ教会の宣教者として残された使徒達に話しかけたのであろうか?イエズスは言われる。「あなた方は世の光である。(マタイ5:14)」従って主は、教会が人々から見えずにはおかれないということを宣言されたのである…

必ず教会は常に存在し、永遠に存在し、必然的に可視のものであり、その結果、各人が主の聖職者らからまことの信条に関するまことの教義を学ぶことが出来るのである…直に救霊の道の示しなる秘跡を受けるために、また万一彼らが過ちに陥ったならば啓蒙され正されるために、常に隠された不可視の教会では、人々は何を信じて行うことであるかを学ぶ為に、誰に対し信頼を持つべきであろうか?…教会と母の聖職者は、特に絶対的な誤りのない審判者である為に、明確な可視のものであることが必要である。…疑問を全て解決する為に、その決定に誰もが必ず従うべきである。そうでなければ、キリスト信者の信仰上の規則や、信仰の信条や道徳の真の教えを知ることの出来る確かなものは無く、その信仰の中で終わることのない論争や議論があるであろう…

また「そして主は、使徒、預言者、福音宣教者、教師としての牧者を与えて下さいました。それは聖なる人々を奉仕の働きが出来る様に準備し、キリストの体を築きあげるためです。私達は皆、信仰によって、また天主の子を深く知ることによって一つとなり、成熟した大人のうちに満ちているもので満たされて、その背丈いっぱいに達するようになるのです。(エフェソ4:11−14)」とある。しかし我々はこれらの誤っている教師らから何の信仰を学ぶ事が出来、教会から分離した結果の中で、いつ彼らが信仰の物差しを持つのであろうか?

カルバンはどれほどしばしば自分の見解を変更したであろうか!またルターは生涯の中で絶えず矛盾していたのである。一つの御聖体の論説の上で、彼は33もの矛盾に陥ったのである!

一つの矛盾は、彼らが神の聖霊を持たないことを示すのに充分である。「私達が真実でなくても、彼は常に真実である。(二テモテ2:13)」要するに、教会の権威を追い払い、そうして神の啓示も、当然の道理そのものもどちらも役立つものではないとして、各人の自分の気まぐれによる、完全な個人的な解釈となるかもしれないのである。彼らは莫大な数の異教と無神論の分派の種類が発生し、この良心の呪われた自由が起こったことを理解しないのであろうか?

私は繰り返す。あなたが公教会への服従を取り去るのであれば、全ての過ちが含まれるであろう。

<尊者アンナ・カタリナ・エンメリックの言葉>

「教会は唯一、ローマカトリックのみであります!そしてこれは地獄の門が打ち勝つことの出来ないとするイエズス・キリストの地上に一つだけ残された、彼のものである普遍的な教会です。」

「その後、私はマリアが教会であり、教会と、我らの御父なる神と、私達の兄弟であるイエズスの御母である甘美な保証を得ました。」

「ああ、誰がマリアの美、純潔、潔白を知るでありましょうか!彼女は何事も御存じであられますが、何も知らないというかの様な、非常に子供らしくも見えます。彼女は視線を落としておられますが、御目を上げられた場合、彼女の一目は光線の如く、純粋な光の筋の如く、それ自体が真実であるかの如くにしみ通ります。これは聖母が完全に潔白であられ、神で満たされ、御自分に報いられることがないためです。彼女の聖寵に逆らいうる者は誰もおりません。」

「天主の御前における人間の価値は、彼の御心の御意向によって算定されます。それは、その正しさ、その良き意思、その慈善、そして知識の範囲ではない知性の鋭さです。」

「私は世界中の無数の精神への吹き込みを見ました。時々、稲妻の一撃の様に教会の信徒達の上に降りかかり、また彼らの中で聖寵を受け取りし者がある事がわかりました。あるいはまた、突然に光と強さを賦与されて、彼らの家で個人的に祈るのを見ました。その光景は私に大きな喜びと、公教会は彼女の常に増大する苦難に対して屈することがないという確信を起こさせました。この世の全ての場に対し、私は防御者達が聖霊によって彼女に向かって上げられたのを見ました。私はこの世の力の圧迫が、彼女の強さを高めるために役立つと感じました。」

「それらは善を生み出さず、そうして非常に軽く尊ばれ、非常に不注意に永遠に向かって非常に速やかに飛ぶこの短い人生の逃げ去る瞬間と同じく、人類の大多数の人々によって費されます。」

 

<ヨゼファ・メネデンス修道女への啓示>

修道女によって最後の啓示が書かれたのは、1923年12月6日、木曜日の事でした。我らの聖主がこれをポアティエの司教に伝えられる事を望んでおられる旨を書き留めて、修道女はペンを置きました。

「限りなき愛の年史において決して期日を忘れてはいけない。我らの時代における、イエズスの御心の無数の富に基いて投げかけられる光、これは贖いの道上における転機である。それは間もなく世の不正を打ちのめすであろう憐れみのほとばしりなる隠された源である。

それはこの世への新しい生命及び霊に与えられるであろう炎を発する火山であろう。それは夜明けの始まりにして、日の出前の天主の王の偉大な日に輝くであろう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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