聖母の御悲しみへの信心T

 

<聖母の七つの御悲しみ>

聖ブリジッタを通して与えられし信心。「私の御悲しみと涙を崇敬する為に、毎日七回の”天使祝詞”を唱え、黙想をする者に七つの聖寵を与えましょう。」

<七つの聖寵>

1.私はその家庭に平和をもたらすでしょう。

2.彼らは天主の神秘について悟らされるでしょう。

3.私は彼らが苦しみにある時慰め、彼らのはたらきに、共に進むでしょう。

4.私は、彼らの願いが、尊崇されるべきであるわが天主の御子の御旨に反せず彼らの霊魂の聖化さるるものならば、求めるだけずっとそれに等しく与えるでしょう。

5.私は彼らの地獄の敵との霊的な戦いにおいての守りとなり、彼らの人生のいかなる時においても保護します。

6.私は彼らの臨終において、目に見えるほどの助けを為し、彼らは彼らの御母であるわが顔を見るでしょう。

7.この私の涙と悲しみへの信心を広める者は罪が赦され、現世の生より直ちに永遠の福楽、そしてわが御子と私の慰めと喜びに入れますよう、御子より聖寵を頂きました。

<七つの黙想>

1.シメオンの預言を受け給う。(ルカ2, 34-35)

2.エジプトへ避難され給う。(マタイ2,  13-14)

3.イエズスを見失われ、神殿において見つけられ給う。(ルカ2, 43-45)

4.イエズスが十字架を担われる途中にてお会いになられ給う。

5.イエズスの十字架上の御死去を見届けられ給う。

6.十字架から降ろされたるイエズスの御肉身を御腕におかれ給う。

7.イエズスが葬られ給う。

 

 

<天主の御母の七つの御悲しみ>

(この祈りに1915年9月28日、教皇ベネディクト15世によって100日の免償を与えられ、1年後には300日に延ばされた。)

「天主よ、我が助けに御意を傾け給え。▲主よ我が助けに急ぎ給え。 栄唱1回。」

1.シメオンの預言

「悲しみを極めませる聖マリア、御身のやさしき御心が、老人シメオンの予言を聞き給いし時、感じ給いし御悲しみの故に、我は御身に深き同情を抱き奉る。
愛し奉る御母、この深き悲しみのため、我に謙遜の徳と敬畏とを乞い求め給え。」<天使祝詞1回。>

 

2.エジプトへの避難

「悲しみを極めませる聖マリア、御身がエジプトへ避難し給う時、又かしこに滞在し給う間やさしき御心が忍び給いし、不安と苦痛との故に、我は御身に深き同情を抱き奉る。
愛すべき御母よ、この憂慮の故に、我に寛大の徳、殊に貧しき人々への寛大と考愛の賜を乞い求め給え。」<天使祝詞1回。>

 

3.イエズスは神殿におられ、御子を見失う

「悲しみを極めませる聖マリア、その愛し給えるイエズスを見失い給いし時、御身の御心が受け給いし御心痛の故に、我は御身に深き同情を抱き奉る。
尊き御母よ、この大いなる不安と心痛との故に我に潔白の徳と知識の賜とを乞い求め給え。」<天使祝詞1回。>

 

4.十字架の道にてイエズス、マリアに出会う

「悲しみを極めませる聖マリア、十字架の道にてイエズスに会い給いし時、御身の御心の受け給いし驚きの故に、我は御身に深き同情を抱き奉る。
愛し奉る御母、この驚きの故に、我に忍耐の徳と剛毅の賜とを乞い求め給え。」<天使祝詞1回。>

 

5.十字架上の御死去

「悲しみを極めませる聖マリア、イエズスの御死去の戦いを目前にし給いたる時、寛大なる御心が忍び給いし、殉教の苦しみの故に、我は御身に深き同情を抱き奉る。
愛し奉る御母、この激しく深き御苦しみの故に、我に節制の徳と賢慮の賜とを乞い求め給え。」<天使祝詞1回。>

 

6.イエズスの御体が十字架より降ろされる

「悲しみを極めませる聖マリア、槍もてイエズスの御脇がさし貫かれ、その拝すべき御心の裂かれし時、愛に充てる御身の御心の受け給いし深き御傷の故に、我は御身に深き同情を抱き奉る。
よき御母よ、御身の御心のさし貫かれ給いしによりて、隣人愛の徳と、聡明の賜とを乞い求め給え。」<天使祝詞1回。>

 

7.イエズスの御葬り

「悲しみを極めませる聖マリア、イエズスの御葬りの時、愛に充てる御身の御心の湛え給いし、烈しき御苦しみの故に、我は御身に深き同情を抱き奉る。尊き御母よ、御身の御心の極まりなき御悲しみの故に、熱心の徳と上智の賜とを乞い求め給え。」<天使祝詞1回。>

 

「悲しみを極ませる童貞、我らの為に祈り給え。▲キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。」

祈願

「主イエズス・キリスト、我らの臨終の時、御憐れみによりて、御母なる祝せられし童貞マリアが、我らのとりなし手たり給わんことを。
主の御苦難の時に当たりて、苦しみの剣は聖母の尊き御心を貫き給いたり。
世の救い主イエズス・キリスト、我らの願いを聴き容れ給わんことを。御父と聖霊と共に世々に生き、かつ統治し給う主よ。 アーメン。」

 

 

<七つの御悲しみに光栄を帰し奉る修練>

七回の「天使祝詞」を唱え、各「天使祝詞」に続けて、
「ああ、祝せられし御母よ、十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、我が心に深く印し、我に負わせ給え。」の呼祷を唱えます。

 

 

<天主の御母の七つの御悲しみのチャプレット>

祈り方は上記と同様で、メダイで各御悲しみへの祈り、各珠で「天使祝詞」を唱え、最後の一つの珠で、
「悲しみを極ませる童貞、我らの為に祈り給え。▲キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。」の祈り、そして「祈願」を唱えます。

 

 

 

<苦しめる霊魂の慰め手>

聖十字架のドミニカ・クララ修女は1897年に聖性の誉れの評判のうちに息絶えました。
彼女はしばしば煉獄にありし霊魂の示現の恩寵に恵まれました。
それらの霊魂のうちの一人は、自身の救霊をただマリアの御悲しみへの信心に負っているのであると、この天主のしもべに語りました。

その霊魂の生涯は、天主からの特別なる聖寵なくして救霊は不可能である、いとも悪しきものでありました。
しかしマリアは御自分に光栄を帰さるるうちに為されし事に報いを与えられずに取り残されるという事はありません。
生涯の間、この者は御悲しみの聖母に優しく同情しました。
そして彼女(その霊魂)が御悲しみの御悲しみの聖母を表しし肖像を目にした時は、いつでも彼女に光栄を帰し奉るために七回の「天使祝詞」を唱えました。
しかし彼女はしばしば内面の信心よりも多く習慣としてこの信心を行った事を認めました。
彼女のために信心深かった母親は、放縦な人生であるにも関わらず常にそれ(信心)に忠実なままでありし事を心中深くに留めていました。

そのわずかな崇敬の報いとして、天主の御母は彼女の臨終において、彼女のために特別なる母の心遣いを示されました。
最後の瞬間において、鮮明な方法で七つの御悲しみの心象を思いこさせ給い、この改悛者は自らの罪深き生涯に対する深大なる痛悔に襲われ、その理由によって彼女は全ての罪の赦しを得ました。

この霊魂によって伝えられし情報によると、御悲しみの聖母の御とりなしによりて自らの罪に感ずる悲しみは、彼女の罪のみならず、地上の罰の多くの贖いの如くに大なるものであり、またこの比類なき大いなる聖寵に加えて煉獄での間、この霊魂は天主の御母の度重なる御訪れによりて慰められました。
それらは彼女の苦しみを和らげました。
聖なる童貞マリアが私的に在しました時、責め苦の種は完全についえました。

何千もの何千もの霊魂が永久に失われたと彼女は主張しました。
ある者は彼女の二十分の一も悪を犯しませんでした。

「ああ。」と彼女は叫びました。
「私が我らの親愛なる天の御母が、わが人生の最後の瞬間にわがために為し給いし御事を考えます時、感謝のわが思いはどれほど波打ちましょうか!
マリアに対しそれを持たざれば、私もまた天主に見放されし者の定めを共有せねばなりませんでした。
全き永遠に渡ってわが舌はこの甘美なる童貞に愛、善、気遣いを宣言致します。
絶え間なく、わが声は賛美と感謝の聖歌で彼女を称え奉ります。」

聖十字架のドミニコ会のクララ修女は、殊に御悲しみの聖母に信心を行い奉りし数多の霊魂が、煉獄に殆ど留めらるる事はなく、ただ天主を見奉るわずかな時間を奪われるのみであると記述しています。

 

<聖母の御悲しみへの愛によって救われた霊魂>

聖ブリジッタへの啓示の中で、私達はある裕福な、高貴な家柄に生まれながらも不道徳な罪深い生活を送り、また特別な契約によって自分を悪魔に与え悪魔の奴隷となっていた男の話を読む事が出来ます。

この男は60年間もの間、我々が想像しうるような生活を送り、悪魔に仕え、決して秘跡には近づきませんでした。
しかし彼も臨終を迎えることとなり、イエズスは聖ブリジッタに対し主の御慈悲を示すために、聴罪司祭を彼のもとに行かせ自身の罪を認めさせるようにお命じになられました。

さて聖女が送られたこの聴罪司祭はその男を訪れましたが、彼はゆるしの秘跡にしばしば近づいた時に告白することを求めなかったのでした。
聴罪司祭は再び彼のもとに行きましたが、この地獄の貧しい奴隷は頑なに告白を拒み続けるのでした。
イエズスは聖女に司祭が戻るのを待つように命じ、3度目に訪れた際には彼に対し慈悲を示すことを御望みになられた主が、聖女に対し啓示し、それによって自分が何度も訪れていることを伝えるように命じました。

これを聞くと男は感動して泣きはじめ、「しかし、どのように!」と叫びました。
「私は救われうるのだろうか?私は60年間もの間悪魔の奴隷として仕え、私の霊魂は無数の罪を負っているのだが?」
「わが息子よ。」司祭は彼を励まして言いました。
「疑うべきではありません。あなたがもしそれらを後悔するのであれば、神の側であなたの罪の赦しを約束致します。」
そうして信頼を得て、彼は聴罪司祭に語りました。
「神父様、私は自分自身を失ったかのように見ており、すでに救霊をあきらめておりました。
しかし今、私の罪に対する痛悔が私に確信を与えました。
天主はまだ私を御見捨てになられていらっしゃらないようですので、私は告白致しましょう。」

彼はその日最も大きく痛悔している罪にねらいをしぼり4回も告白を行い、翌朝には御聖体を受け取りました。
6日目に彼は罪を深く悔い、罪を捨てて息を引き取りました。

男の死後、イエズスは聖女に語られ、彼が現在煉獄おり、聖母マリアの御とりなしによって救霊を得し事を伝えられました。
この男は生前常に不道徳な生活を送り続けていました。
しかしながら聖母マリアの御悲しみに対し大きな愛と同情を持っていたのでした。

 

<エクアドルにおける奇跡>

1906年4月20日、エクアドルのキートのイエズス会修道士司祭の寄宿学校に通う36人の生徒達がアンドリュー神父と共に、御悲しみの聖母の有名な御絵の最初の奇跡を目撃しました。
彼らの目前でその御絵の祝せられた童貞がゆっくりとまばたきをしたのです。
同じ奇跡は生徒達の前にこの後も数回続きました。

この時に写真を撮影され、続いて教会当局によって正規の調査が行われました。
また教区司祭はその御絵を学校から教会に移すように命じられました。
教会に多くの人々が集まる前にも奇跡は繰り返され、また多くの回心が起こりました。
奇跡は幾度も起こり、またある時は3日間続けて起こりました。

 

<悲しめる聖母に対する祈り>

「悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子のかかり給える十字架のもとにたたずみ給えり。
▲歎き憂い悲しめるその御魂は、鋭き刃もて貫かれ給えり。
天主の御独り子の尊き御母は、いかばかり憂い悲しみ給いしぞ。
▲尊きい御子の苦しみを見給える、慈しみ深き御母は、悲しみに沈み給えり。
キリストの御母のかく悩み給えるを見て、たれか涙を注がざる者あらん。
▲キリストの御母の御子と共にかく苦しみ給うを見て、たれか悲しまざる者あらん。
聖母は、イエズスが人々の罪のため、責められむち打たるを見給えり。
▲聖母はまた最愛の御子が御死苦のうちにすてられ息絶え給うを眺め給えり。
慈しみの泉なる御母よ、我をして御悲しみのほどを感ぜしめ、共に涙を流さしめ給え。
▲わが心をして、天主たるキリストを愛する火に燃えしめ、いつにその御心に適わしめ給え。
ああ聖母よ、十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、我が心に深く印し給え。
▲我がためにかく傷つけられ、苦しみ給いたる御子の苦痛を、我に分かち給え。
命のあらん限り、御身と共に熱き涙を流し、はりつけられ給いしイエズスと苦しみを共にするを得しめ給え。
▲我十字架の側(かたわら)に御身と立ちて、相共に歎かんことを望む。
童貞のうちいともすぐれたる童貞、願わくは、我をしりぞけ給わずして、共に歎くを得しめ給え。
▲我にキリストの死を負わしめ、その御苦難を共にせしめ、その御傷を深くしのばしめ給え。御子の御傷をもって我を傷つけ、その十字架と御血とをもって、我を酔わしめ給え。
▲聖なる童貞女よ、我の地獄の火に焼かれざらんため、審判の日に我を守り給え。
ああキリストよ、我この世を去らん時、御母によりて勝利の報いを得しめ給え。
▲肉身は死して朽つるとも、霊魂には、天国の栄福をこうむらしめ給え。 アーメン。」

(1934年8月1日認可 唱える毎に7年の免償。月に一回通常の条件下で全免償)

StabatMater dolorosa,Juxta crucem lacrymosa,Dum pendebat Filius.Cujus animam gementem Contristatem et dolentem,Pertransivit gladius.O quam tristis et afflicta,Fuit illa benedicta,Mater Unigeniti!Quae moerebat, et dolebat,Pia Mater dum videbatNati poenas inclyti.Quis est homo qui non fleretMatrem Christi si videret,In tanto supplicioQuis non possit contristariChristi Matrem contemplariDolentem cum Filio Pro peccatis suae gentisVidit Jesum in tormentis.Et flagellis subditum;Vidit suum dulcem natumMoriendo desolatum,Dum emisit spiritum.Eia Mater fons amoris,Me sentire vim dolorisFac, ut tecum lugeam.Fac, ut ardeat cor meum,In amando Christum Deum,Ut sibi complaceam.Sancta Mater, istud agas,Crucifixi fige plagasCordi meo valide.Tui nati vulnerati,Tam dignati pro me pati,Poenas mecum divide.Fac me tecum pie flere,Crucifixo condolere,Donec ego vixero.Juxta crucem tecum stare,Et me tibi sociare,In planctu desidero.Virgo virginum praeclara,Mihi jam non sis amara,Fac me tecum plangere.Fac, ut portem Christi mortem,Passionis fac consortem,Et plagas recolere.Fac me plagis vulnerari,Fac me cruce inebriari,Et Cruore Filii.Per te, Virgo, sim defensusFlammis ne urar succencusIn die judiciiChriste, cum sit hinc exire,Da per Matrem me venire,Ad palmam victoriae;Quando corpus morietur,Fac ut animae donetur Paradisi gloria.
Amen.

我らの主は以前ビナスコの聖ヴェロニカに言われました。「わが娘よ、あなたがわが御苦しみへの同情のために流す涙は私を喜ばせているが、我が御母への私の限りき愛ゆえに彼女の御苦しみへの同情のうちに流す涙はさらに貴きものであるという事を心に留めておきなさい。」

聖エリザベスは啓示によって、聖ヨハネ福音記者が彼の母マリアが被昇天によって天国に入られた後に再び御目にかかる事を望み、その願いが聞き入れられた事を知り、書かれました。
また聖女は、マリアが御子に御自分の御悲しみに信心を行なう全ての者に特別な聖寵を与えられる事を御求めになり、イエズスは御母に聖ブリジッタに御約束された様な主な四つの聖寵を与えられる事を御約束なさった事を知りました。

 

 

<悲しめる聖母のチャプレット>

このチャプレットは十字架と環状の10個の小珠より構成されています。
もし専用のチャプレットを御持ちでなければ、一般のロザリオを数を調節されながら用いられて構わないと思います。
10個の小珠は伝統的な四旬節中の聖歌の10の節を記念するためのものです。

はじめに(十字架で)「天使祝詞」を一回祈ります。

各小珠において「悲しめる聖母に対する祈り(Stabat Mater)」を祈り、チャプレットのしめくくりに「主祷文」を一回唱えます。

 

 

<童貞マリアの御悲しみに光栄を帰し奉る祈願>

「至聖にして苦しめられたる童貞、殉教者の元后よ、御身は十字架の下に立ち給い、死去され給う御子の御苦悶を見届け給いたり。
母たる優しさもて御前にひざまずき奉る我をあわれみ給い、みそなわし給わんことを。
我御身の御悲しみを崇め奉り、御身の傷つきたる御心の聖域に子たる信頼もてわが請願を置き奉る。

十字架の御足元における御身の御苦難と共に、主の至聖なる御受難及び御死去の功徳によりて、そをわがためにイエズス・キリストに差し出し給わんことを、ひとえに願い奉る。
双方の一致の効によりてわが請願を聴き容れ給わんことを。
贖慮の御母よ、御身でなくばわが求め及び苦難において誰に依り頼むべきや。
御身は御子の聖杯をいとも深く飲み給いたれば、御身は我らの苦難に同情し得給う。
聖なる御母よ、御身の御霊魂は天主の御子の御受難の光景にて悲しみの剣(つるぎ)にて刺し貫かれ給いたり。

これが主のほまれ及び栄光がため、かつわが善とならば、わがためにとりなし給い、我らの主よりわがために得させ給え。(ここで請願を唱える) アーメン。」

 

<解説>

マリアの御悲しみへの信心は、特に罪深き習慣を取り除きたいと願う霊魂によって実行されるべきものです。
この信心は痛悔の精神を育て、大きな慰めを与え、天主の御あわれみに対する信頼を強め、誘惑にあう時に祝せられた御母の特別なる御保護を引きおろし、回心した者を罪を再び犯す事より保護します。

天主の御母は以前に信心深きしもべなる聖ブリジッタにお話になられました。
「かれが真の悔い改めの意向をもって私に向かうのであるならば、その者の罪がいかに多くとも、私はかれを直ちに恵み深く受け取る準備があります。
と言いますのは、私はかれが犯した罪の数に関心を払わないからであり、かれが私のもとに来る意向のみを見るからです。
私は真実において"あわれみの御母"と呼ばれておりますので、かれの傷を癒すことに嫌悪を感じません。」

マリアへの御悲しみに対し信心を持つ人々に与えられる一つの賜物は、良き聖なる死の賜物です。
イエズスが十字架上にて息を引き取られ給うたと共に御子の御近くに残られ給うたその誠実さへの報いとは、最後の苦悶のうちにある霊魂の助けのための特別な御力であり、それを御子より受け取られ給いた御悲しみの御母がその御力を御母と共に涙を流し、御母を慰め奉りた者達のためにとりわけ行使され給うであろう事に疑いの余地はありません。

 

 

 

<御悲しみの聖母の御出現>

イタリアのカンポバッソ県のカステルペトローゾ 町から約5キロ離れた所で、13歳の牧童のマリア・グラチア・エスターシャ・ビビアナは、古い修院の近くで羊達の世話をしていましたが、突如、牧童マリアとその母親の前に「御悲しみの聖母」が御出現になり、二人にこのように言われました。

「この古い聖堂に、私と共に来たりなさい。
そこでわが御子は、犯されるあまりに多くの罪と、至る所の激烈なる悪徳、宗教の怠りに対し、世人に苛立たれておられます。

従いまして、壊滅的な地震、疫病と飢饉の厳罰を人類に据えられておられます。

教会に行き、少なくとも年に一度は聖体を拝領するならば、彼はあなたの罪を赦し給うでしょう。」

そう言われた後、聖母の御姿が見えなくなりました。

 

 

<天主の義を和らぐる為に、祝せられた童貞の御功徳の捧げ>

「天主の義を和らぐる為、ああ主よ、御身と我らの御母なる、十字架の御足元にたたずみ給いし時の、マリアにより得られし御功徳を、御身に捧げ奉る。
ああ主よ、もし不義に御目を留め給わば、主よ、たれかよく立つ事を得ん。」

 

Raccolta 377

「いとも悲しみに満てる童貞、我らの為に祈り給え。」

300日の免償。もし祝せられた童貞マリアの御悲しみに光栄を帰し奉る為に、一度のこの呼祷に続けて、七度の「天使祝詞」を唱えるならば、5年の免償。19341122日 聖座認可)

 

Nihil Obstat

Imprimatur, 1958 教会認可

聖ヴィンセンシオ・フェラリオは、御悲しみの聖母に大いなる信心を持っていました。
この聖人の列福式において、このような事が説かれました。

「かつて悪魔に憑かれた人の口によって宣言された事は、マリアの御悲しみへの信心を修めた者の霊魂が滅ぼされた事はなく、この信心を敬虔に修めた者を、臨終の時において、悪霊が誘ってはならないという事を、天主より命じられているという事であった。

福者ヴィンセンシオは、彼がしばしば、祝せられた童貞の誉れの為に、これに言及したように、この伝達における真理を確信していた。

もし我々の心の中で、彼女の御悲しみに愛を込めて情け深き記憶を持ち続けるならば、終生童貞に在します御者が臨終の時に我らを助け給うという事を知る事は、何という慰めであろうか!」

 

我らの主は、聖マチルダに教えられました。

「わが受難と死去の間、千の悲しみに貫かれ、後も恐ろしき責め苦を思い起こされた、あらゆる心の中でも、いとも苦しめられしわが御母の御心に御礼を為せ。」

 

 

 

<ピエタの御像(御影)の前の祈り>

有名な、御悲しみの聖母のピエタの御像や御影の前にて捧げられた祈りに対し、御悲しみの聖母の御とりなしによって、無数の聖寵がこれまで得られた事が、公教会によって認められています。

 

 

<聖ブリジッタの祈り>

「ああ、イエズスの御悲しみと御苦しみをみそなわし給いて、愛と悲しみの殉教に耐えられし、祝せられし童貞マリア、天主の汚れなき御母よ。

御身は、御身の数限りなき御苦悩によって、そしてわが罪の為に、あがないの生け贄として虐殺されし、天主の御父への、主の唯一生み給いし御子の捧げによりて、わがあがないにおける益に協力し給いたれば、我は御身に、罪人なるわが救霊の為に、まことの天主にして、まことの人、イエズス、御胎内の御子を、御自らのものとして取らるる為に導き給いし、筆舌に尽くしがたき御愛ゆえに謝し奉る。

ああ、御父と御子に、御身の御悲しみの確かなる御とりなしを用い給いて、わが生の改心を確たるものとなし、新たなる罪によって、
わが愛するあがない主を決して再び十字架に磔にせざらんことを。
そして、主の聖寵のうちに臨終の時まで保たれんことを。

我が主の十字架と、御受難の御功徳によりて、永遠の生命を得んことを。アーメン。

仁慈と悲しみと愛の御母、我らの為に祈り給え。」

 

 

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