テレーズ 最後の六ヶ月

 

昭和50年に、福岡カルメル会訳で「テレーズ 最後の六ヶ月」という本が出版されました。

幼きイエズスの聖テレジアは肺結核を患い、24歳の若さで帰天されましたが、この本は、御死去の前の六ヶ月の診察や治療、病気の進行過程、周囲の修女らとのやりとりや様子を詳しく伝えます。

このページでは、この本の中の幾つかの部分を紹介させて頂きたいと思います。

 

<当時の証人達の目に映ったテレーズ>

「この小さい娘が、何という教えを与えてくれたのだろう。
私も死ぬまでにはそうなれるように、テレーズが言ったり、したりしたことを、全部心に刻み付けておきたい。」(ゲラン氏八月二日手紙)

 

「テレーズの魂は、もう地上のものではありません。
静かに、喜びに満ちて天国に向かっています。
彼女の病気は愛です。
それは、彼女があれほど望んでいた愛の死以外のものでありません。」(スール・ジュヌヴィエーヴ 七月七日手紙)

 

「この人を治すことは私にはできないでしょう。
地上で生きるために作られた魂ではありません。」(聖体のマリーの証言によるド・コルニエール博士の言葉)

 

「私達の小さいテレーズは、本当に純潔で清い子供です。
私は彼女が洗礼の時の清さのままカルメル会に入会したと思います。
これほどの短時間で、何と言う高さに達したのでしょう。」(ゲラン夫人 七月十一日手紙)

 

「彼女の忍耐や快活さ、聖性について、詳しく書こうとは思いません。
とても言葉では言い尽くせないように思えますから。
愛らしい委ねきった態度、最愛の父親から愛されていると感じている子供の信頼、本当にそれは限りない信頼です。
ああジャンヌ、私達の妹に皆倣いましょう。
あなたがお手紙でおっしゃったように、五十年経ったら、テレーズについて私達が驚くようなことが起こるかもしれませんね。」(聖心のマリー 七月十日手紙)

 

 

聖女が肺結核にかかった後、症状の進行につれて頻繁な喀血や嘔吐、高熱によって御身体が非常に衰弱し、霊肉両面において苦しまれた事が記録されています。
そしてこの衰弱の時に彼女が感じられたという誘惑についても書かれています。

<種々の誘惑>

まず、貪食の誘惑。
それほど重大とは思えないようなこの誘惑も、彼女にとっては一つの辱めだった。
ここには、運命の皮肉のようなものが感じられる。
不思議な事に、
<幼い頃から食べ物は決して好きになれなかった>し、食事にはあまり関心を持たず、常にこの点では、非常に抑制していた彼女が、今は<飢えて死にそうになり>美味しいものなら何でも食べたくなる!

<本当に、思いもかけない貪食の誘惑にあっていたのです。
あらゆる種類の贅沢な食べ物が想像に浮かんできて、それらを思いのままに食べたいという望みに付きまとわれていました>。

『黄色いノート』がそれを詳細に述べる。
<不思議な事に、もう食べる事が出来ないのに、あらゆる種類の上等な料理が頂きたくてたまらないのです。
例えば、ヒナ鳥、あばら肉、日曜日の"すかんぽライス"、まぐろ……など>。

今日ではそれほど<上等>とも思われないものだが、肉食をしない修道院の粗末な食事に慣れたカルメリットにとっては、ご馳走なのだ!
ともかくテレーズは、単純に叔母ゲラン夫人の調理した美味しい料理を味わいながら、抑制がないと批判される辱めをも、共に噛みしめる。

 

更に深くテレーズを悩ませ続けたのは、信仰に反する誘惑だった。
「この不可解な内的試練」について、テレーズは僅かしか語らない。
メール・マリー・ド・ゴンザクへの打ち明け話(自叙伝 原稿C)が無かったら、『黄色いノート』の中で、この試練について述べている十五ほどの言葉は、
<冗談>や無邪気な話しの洪水の中に紛れ込んで見過ごされてしまうであろう。
この点について、見掛けに惑わされないようにしよう。
『最後の言葉』の中にある、この試練に関する少ない言葉は、テレーズの手記に照らして読まれなければならない。

現在よく知られてきた医学的な見地からテレーズの病状を見直す時、信仰の試練はより一層恐ろしいものだった事がはっきりしてくる。
肉体的苦しみに押しつぶされる状態は多くに人々が体験してきたし、また虚無感と絶望の誘惑に圧倒されて感じる恐ろしい煩悶も、夥しい病人達が味わった。
だが、この両方を、同時に耐え忍ばねばならないとしたらどうだろうか……。
しかも、テレーズのように繊細で、極度に感じ易い人が……。
理解を超えた深い淵を感じざるを得ない。彼女自身が語るのを聞く事にしよう。

 

冗談や思い出、勤めや、愛情部会言葉で織り成されている『最後の言葉』の中に、時として、短い打ち明け話、仄めかすような言葉、苦しい嘆息によって、彼女の心の深みが吐露されている。

「私の魂は島流しにされています。
天国は私の前に閉ざされ、地上でもやはり試練に遭っています。」

「天国について苦しむとは、ほんとうに不思議です。
どうしてなのか、私にはさっぱりわかりません。」

この闇の中で、時に神が感じさせて下さる強烈な愛は、一条の光線、それも一瞬のひらめきでしかないと彼女は言う。

「ほんとうに、一筋の閃光に過ぎません。」

と強調する。
何かを読んで聞かせたら、苦しみが和らぐのではないかと思い、少しの間でも試練が止んだかどうか尋ねると、

「いいえ、何を聞いても駄目です。」

と反射的に答えが返ってくる。

これを見ると、試練は絶え間なく続いており、解放されるのはごく稀で、しかも一時に過ぎなかった事がわかる。

 

つづく

 

 

 

 

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