四旬節の信心

 

<四旬節第一主日の翌日の月曜日の啓示>

 

四旬節第一主日の翌日の月曜日、聖福音中の(マタイ25章34ー46)「さあ、我らの御父に祝されし者達よ」「私がかつて飢えし時」などの
御言葉を読み、聖大ゲルトルードは、我らの主に言いました。

「ああ、わが主よ、我々はこの飢えられし御者を満たす事も、渇きをおぼえられし御者に飲み物を与える事も出来ません。
なぜなら、(この修院の)掟では、いかなるものであれ、個人的に何かを所有する事を禁じております。
どのようにして、慈悲の行いの報いの、この聖福音中で御身が御約束をもって甘美なる祝福をされし事に、加わる事が出来ましょうか?」


我らの主は答えられました。

「私は霊魂の救霊(たすかり)にして、生命であり、絶えず人類の救霊に飢え、渇いているのである。
もしあなたが、日々他の者達のために益となるために、聖書より何らかの御言葉を学ぶ事に努めるならば、あなたは私より、いとも甘美なる反映を
得るであろう。

もしあなたが、信心、あるいは良心の糾明の御恵みを得る意向をもって読むならば、非常にかなった飲み物を私に与える事によって、わが渇きを
鎮める事になるだろう。
もしあなたが日々一時間、回想のうちに自らを働かせるならば、あなたは私に奉仕を与えた事になる。
もしあなたが何らかの新たなる徳を得るために、日々自らを適応させるならば、あなたは私に近づくのである。

 

私の病みし時は、誘惑に打ち勝つために努め、あなたの悪しき傾倒を克服する事によって、あなたは私を訪れるのであり、捕らわれ人の私を訪れるのは、罪人と、煉獄の霊魂らのためにあなたが祈る時、いとも甘美なる慰めをもってわが悲しみを慰めるのである。」

主は更につけ加えられました。

「わが愛に向かって、日々、殊にこの四旬節の聖なる期間、この信心を形作る者は、理解を超えしわが全能、口舌で言い表せぬ英知、わが最愛の慈悲が与えられるだけの最も豊なる報いと、最高の優しさとを、確かに受けるであろう。」

 

 

 

<四旬節第二主日の啓示>

ある四旬節第二主日の聖務の、「ああ主よ、御身の慈悲と御憐れみを」の所で、聖大ゲルトルードは、人性では描く事のできない、聖女の伴侶の優しさと愛の
並外れし現れを願い、我らの主に、この週の間に益となる、何らかの霊的修練を示し給うようにこいねがいました。

我らの主は答えられました。

「我に二人の善き子を連れてきなさい。これは、全人類の霊と肉の意である。」

 

聖女はこれによって、全人類の償いを為す事が必要であるという事を理解しました。
それから聖霊によって押し進められ、聖女は
「主祷文」を5回、我らの主の五つの御傷に光栄を帰する為に、そして世人が五感によって犯せし一切の罪のために、

そして「主祷文」3回を、三つの霊の力、すなわち理由・気性・情欲によって犯される罪に対し、そして全ての怠慢と罪を犯す事に対し、我らの主が甘美なる御心で、この祈りを作られらたように、主の全能の御力、主の計り知れなざる英知、主の溢れ出で、代価を受けざる善徳に抗う、世人の悪意、無視、過ち、の全ての罪に対する償いの為に唱え、同様の意向をもってこの祈りを捧げました。

 

聖女がこの祈りを捧げた時、我らの主はより増したる喜びをもって御現れになり、聖女の頭から足元までに、「十字架のしるし」をされて、聖女を祝福され、それから聖女を抱擁され、また天の御父の元にも祝福を受けさせるために、導かれました。

天の御父もまた、目下の者への大いなる謙遜と、壮麗さをもって、聖女を御受け取りになり、
御父は、恩寵と御恵みを受け取る準備があるならば、全世界を与えられるほどの限りなき
祝福をもって、口舌で言い表せぬ仕方をもって、聖女を祝福されました。

 

この祈りは、恐らくこの週の間、我らの罪の怠慢の赦しを得るために、そして公教会における罪を償うために捧げられます。

イエズス・キリストの御功徳によって、我々は、この霊益ある崇敬の効を得るでしょう。


 

 

<聖大ゲルトルードに示された四旬節第三週の黙想>

ある四旬節の第三主日に、教会の聖務日課への自らの信心を従わせる事を通常とする事を願い、聖女は我らの主に、この週の間、どのような事に心を占めさせるべきかを、我らの主に尋ねました。

主は答えられました。

「この週の聖務を唱える間、(旧約の)ヨゼフが、いかにして銀貨20枚で売られらかを心に留めながら、主祷文を33回唱え、人類の救霊(たすかり)の為に働きし間の30年と、最後の3年の、わがいと聖なる生涯の御功徳によって買い求め、そうして人類の救霊と、公教会全体のために
得る実りを伝えるのである。」

 

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