聖パウロ三木

日本二十六聖殉教者

聖ペトロ・バプティスタ、聖パウロ三木等26名の司祭、修道士、信者は長崎の立山で1597年2月5日殉教した。

1862年6月8日列聖。祝日2月5日。

<日本二十六聖殉教者の信仰を求むる祈り>

「主イエズス・キリスト、主は十字架の刑によりて、聖ペトロ・バプチスタ、聖パウロ三木、及びその他の殉教者をして、主の御かがみにならわしめ、日本国民の信仰の初穂として、彼らの鮮血を納め給えり。

▲願わくは、二十六聖殉教者の御取次ぎによりて、 堅固なる信仰と迫害に堪うる勇気とを我らに得しめ給え。 アーメン。」

 

                    <日本二十六聖殉教者への祈り>

「日本二十六聖殉教者よ、▲あなたがたは京都から長崎までの十字架の道を歩み、キリストのためにいのちを捧げました。

私達があなたがたにならい、勇気をもって信仰の証を立てることができるように導いて下さい。私達がどんな試みにあっても、終わりまで耐え忍ぶことができるように力づけて下さい。私達がキリストの栄えを求め、救いのために働くことができるように取り次いで下さい。 アーメン。」

       

<日本二十六聖人のコンタツ(ロザリオ)>

(ガブリエル様から御教え頂きました。感謝致します。)

北フランスのセンブリュ町のキリスト教学校の聖堂に、日本二十六聖人の遺骨が大切に保管されていました。1862年に二十六聖人が列聖されると、学校の少年少女達は「天使の軍隊」と呼ばれる信心会を組織し、日本二十六聖人の信心をもりたてました。二十六聖人のコンタツ(ロザリオ)はその時に広まったものです。1865年、時の教皇ピオ9世は特別にこの信心を祝福して、二十六聖人のコンタツ(ロザリオ)に多くの免償を与えました。フランスから長崎にこの信心が伝わったのは昭和12年(1937年)。二十六聖人列聖100周年(昭和37年、1962年)頃から日本でも広く唱えられるようになりました。

 

このロザリオは一連が1つの大珠と10の小珠からなる二連で構成されています。十字架から中心のメダイまでは一般のロザリオと同じ構成です。一番最初の大珠から計26回祈ることになります。専用のチャプレットは長崎の聖母の騎士社で購入出来る様です。

まず十字架の部分で「信徳唱」、「望徳唱」、「愛徳唱」を祈ります。そして大珠で次の様に唱えます。「永遠の父よ、わが罪の償いと教会の意向のため、イエズス・キリストの御血を捧げ奉る。」小珠で次の祈りを唱えます。「聖マリアの柔和なる御心よ、わが救いとならせ給え。わがイエズスよ、あわれみ給え。」

<免償>

1)1環唱えるごとに、部分免償。

2)月1回、通常の条件のもとで、全免償。

3)毎日1環以上唱える人には、臨終の時全免償。

 

 

<日本の保護者聖ペトロ・バプティスタへの祈り>

「親愛なるフランシスコ会の宣教者よ、あなたは長崎においてシモン・ペトロによる苦しみと同じく、十字架の磔のひどい拷問によって苦しんだ後、他の二十五人のキリスト信者と共に殺害され、聖徒とされました。私達がキリストの十字架に従う事が出来るよう、あなたから明確な教訓を得ることが出来ますように。いつも神が送られる、私達が経験させられるすべての十字架を受け取る事を私達にお教え下さい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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