聖コレタ

 

1381年1月13日、聖女はフランスの還暦を前にした大工の娘に生まれた。
両親は彼女に結婚を勧めたが、聖女は修院に入る事を望んでいた。
聖女は最初にベギン会とシトー会に入会しようとしたがうまくいかず、フランシスコ会の第三会員になった。
1402年9月17日より隠修女となり、教会の中の焼かれた窓だけがある独房に入った。

アシジの聖フランシスコの御出現では、乱れていた聖クララ会を立て直すように命じられた。
聖女がそれをためらうと、聖女は三日間盲目となり、またそれ以上口をきく事も出来なくなり、これが行動を起こすべきしるしであると考えた。

聖女はそれを説明して与えられた使命を果たそうとしたが、成果をあげることが出来なかった。
そこで公教会のより多くの理解を必要とすることを感じた聖女は、隠者の服で素足でフランスのニースまで歩き、ピエトロ・デルーナに出会った。
ピエトロ・デルーナはやがて対立教皇ベネディクト13世なる人物であり、改革のために聖女をミノレッセスの全ての修院の上長とし、
またフランシスコ会修道士と第三会員の上長とさせた。

聖女はそれより修院から修院へと渡り歩き、会議の反対や虐待、中傷、妖術師としての非難さえ受けた。

しかしサヴォイでは若干の進展があり、支持者や新人を得ることが出来、この改革はやがてフランスからベルギーやスペインにまで
広がっていった。

聖女はまた、聖ヴィンセント・フェラリオによる教皇対立を癒させるのを手伝った。
聖女は十七の修院を設立し、クララ姉妹会の一つの派は、コレト会として知られている。


聖女はまたキリストの御受難に対する深い信心で知られ、毎金曜日に御受難を黙想していた。
御聖体を拝領した後は数時間に渡って恍惚に陥った。
聖女はまた自らの死の日時をあらかじめ知り、告知したり、死者をよみがえらすなどの奇蹟も行った。

1807年5月24日、教皇ピオ8世によって列聖。
祝日3月6日。

<聖コレタのチャプレット>

このチャプレットは、一般のロザリオの一連のみを使用します。

始めに大珠で次の祈りを唱えます。

「天主にして人性のうちに生まれ給いし我らの主イエズス・キリストの御時は祝せられんことを。
御子を宿し給いしによりて聖霊は祝せられんことを。
御言葉の御託身にして御誕生なる、栄えある童貞マリアは祝せられんことを。
我らの望みが御身のほまれと我らの救霊を遂げしむるなれば、栄えある童貞マリアの御とりなしと、
御言葉の御託身と御誕生のいと聖なる時の御追憶とによりて、主が我らの祈りを聴き容れ給わんことを。

ああ善きイエズス、我らの救い主なるイエズスよ、我らの罪の報いとして我らを見捨て給わず、
我らのつつましき祈りを聴き容れ給い我らの願いを、いと祝せられし童貞マリアの御とりなしと、御身の聖名のほまれによりて
得させ給わんことを。アーメン。」




各小珠で次の祈りを唱えます。

「天主の御旨は、天主の御喜びなり。」

 

このチャプレットのしめくくりに、次の祈りを唱えます。

「御憐れみなる御父と、御受難を越し給いし御子と、平安と甘美と愛の源なる聖霊を称え奉らん。アーメン。取り消しなくアーメン。」

 

 

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