アルスの司祭 聖ヴィアンネによる

最後の審判

 

「わが子らよ、我々の教理は、全ての者が死ぬる日において特定の審判を経るという事を教えている。
最後の吐息を吐くやいなや、我々の霊魂は身罷りしその場を離れる事なく、天主の法廷の御前にあるのである。
我々は何処でも死にうるのであり、天主は御自らの審判を動かし給うのである。

この善なる天主は、わが子らよ、我々の歳月を測り給いて、彼がこの地上に我々を留め給う事を決められしそれらの年月より、我々の最終の事を選ばれたのである。
他日に続くある日は、我々は見る事が出来ぬであろう。
その一時間の後には、我らに更なる時間はないであろう。

時間と、この瞬間との間との差は何であろうか。
わが子らよ、生命は煙となり、光は蒸気となる。
それは大気中を滑空する鳥、海上に出る船より早く消え、その進路の跡を残さぬのである。

いつ我々が死ぬのであろうか?
ああ、それは一年、一ヶ月内にあるであろうか?
明日、今日ではないだろうか?
数多の事が起こる我々にそれが起こらないであろうか?
それについてあなたが考えず、己を楽しませている刹那、不信心のバルタザールの如くに天主の裁きに招かれるという事かもしれぬのである。

この永遠に入る霊魂の驚きは、それからいかなるものであろうか?
当惑し、その時より親類や友より切り離され、それらの如くに天主の光明に囲まれ、創造主を、慈悲深き御父ではなく、厳格なる裁き主を見出す。

己を想像してみなさい、わが子らよ。
この世を離れし霊魂が、この審判の法廷、ただ天主の御前に現れるのを。
その片側は天国であり、地獄はもう片側である。
いかなるものが、その前に提出されるであろうか?
それはこの生涯全体の絵巻である!
全ての思い、言葉、行いが調べられるのである。」


(つづく)

 

 

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