ロザリオの信心

1980年 ろざりよ社発行

Nihil obstat

Imprimater 教会認可

 

ロザリオは現代に、また、世の終わりまで有用な祈りである

「聖きロザリオ生命の木で、死人を甦らし、病人を癒し、健康を保存する。」(ニコラウス5世)

 

<祈り>

「救主イエズス・キリスト、我らはその侮辱的王冠、王笏、王服を見て感謝と謙遜の心に満ちて御身を礼拝し、御身を我らの王、
我らの主と宣言し奉る。
今よりこの世のはかなき栄光、葦(あし)の如き権勢に迷うことなく、かえって御身が甘受せられた侮辱に御伴して、無上の栄光、
幸福に至るを得しめ給え、アーメン。」

 

<御訪問の玄義による奇蹟>

聖母御訪問の玄義の信心家の一人に、尊ヨハネ・ナハという、フィリピンのドミニコ会宣教師がいた。

フィリピンに着くと、すぐに大病にかかり、聖務の実行ができなかった。
そこで長上の許可を得て、聖母御訪問の祝日に願を立て、もし病気を治して下さったなら、七ヵ年人々の救霊の為に働きます、と約束した。

この願を立ててから、二・三日すると、完全に病気が治ったので、宣教地の言葉を一生懸命に勉強し、三ヶ月で立派に話せるようになった。
それで、その各地を宣教して廻り、立てた願を書き付けてあった紙を、いつも聖務日祷書に挟んで、宣教の疲労の中にも、絶えず忘れないように
していた。

七ヵ年が過ぎると、また病気にかかり、もうそれ以上生きながらえるのは、難しそうだった。
そこで又、天の元后に四年間の願を立て、新しくキリスト信者となった、人々の為に働くことを約束すると、又完全な健康を回復したので、
前のように福音宣教の為に献身した。

ある日、アブアタンで、猛烈な火災が起こり、一切焼き尽くされてしまうのではないかと思われた時、尊者ヨハネは、炎々たる火焔の前に
ひざまずいて、ロザリオを唱え始めた。
すると丁度、聖母御訪問の玄義に達した時、突然風向きが変わって、火焔を反対側に向けたので、わずか三軒の家を焼いただけで済み、
住民は、「本当に不思議な出来事だ」と評判した。

 

 

<不貞な夫の改心>

聖ドミニコがパリーで説教していた時、そこに種々の悪癖、特に不潔の罪に浸っていた人があった。
敬虔な彼の妻は、夫の改心の為に、もうなすべき術を知らず、思い余って聖ドミニコの所へ行き、不品行な夫の為に苦しんでいることを話した。

聖人は、「このロザリオを持って、十五日間続けてお祈りしなさい。
そして、夜はこれを夫の枕の下に、そっとしのばせて置きなさい。」と言った。

この善良な夫人は、聖ドミニコの言葉に信頼して、熱心にロザリオの祈りを始めた。

その夜、ロザリオを枕の下にして寝た夫は、良心の呵責に耐え切れず、夜通し泣いていた。

次の夜、彼は神の審判の庭にいる夢を見た。
そこでは沢山の悪魔どもが、彼が犯したあらゆる罪悪を訴え、最高の裁判者は、彼に永遠の罰を宣告したのであった。

第三の夜は、彼は既に地獄の中にあって、淫蕩者のために定められた酷刑を受けている夢を見た。
悶え苦しんでいる最中に、一位の天使がそばに来て、

「ロザリオを祈ることをならって、行いを改めなさい。
ロザリオを唱える善良な霊魂たちが、お前を本当の地獄の責苦にあわさない為に、ただ夢で済むようにしてくれたのです。」と云った。

驚いて夢から覚めたが、その心は前非に対する痛悔に満ち、以後、必ずキリスト信者らしく生活しようと、堅く決心した。

それから立派に告白を済まし、聖母マリアの熱心な信心家になり、家にいる時も、旅行の時も、ロザリオを熱心に誦えていた。
又、自分が祈るばかりでなく、他の人々にも、しきりに勧めて祈らしていた。

こうして度々秘蹟を授かり、慈善業を行い、模範的に生活を送って、立派な生涯を終えた。 (聖クラレット)

 

 

<極悪から救われたラリー>

フランス大革命の騒動の頃、最も不信仰で、イエズス・キリストの教役者の残酷な迫害者の一人に、ラリーという男がいた。
彼は、ローシュフォール港に投錨していた、船の船長であった。

そこで多くの司祭たちが、水夫として酷使されながら、刑吏らの罵倒・凌辱の中に、悲惨な最期を遂げていた。
ラリーがサタン的憎悪心から、彼らにとったあらゆる苛責迫害は、実に身の毛もよだつほどであった。

やがて、正義の摂理によって、宗教的平和がフランスに回復した時、ラリーとその家族は、悲惨極まる境遇に落ち込んでいた。
レーの聖マルチン病院づき神父は、たびたび彼を訪ねて、世間一般からの呪いを受け、絶望に沈んでいるこの不幸者を、親切に
慰め助けようとしていた。
しかしラリーは、司祭の親切な励ましに耳を貸さず、反抗の沈黙を守るか、そうでない時は、汚い凌辱の言葉を浴びせたりした。

こんな悪に染まり、また人目をはばかって、憂鬱な隠れ家からほとんど外出もしなかった彼が、どうしたのか、ある日聖堂に入って来たので、
人々は大いに驚いた。
しかし彼は、真実に痛悔の気持に打たれ、深い謙遜をあらわし、まったく別人のようになっていた。

そして自分の罪を告白し、赦しを受けて後、聴罪司祭に向かって、自分が昔、司祭らに対して暴れ狂っていた頃にも、
毎日「天使祝詞(アヴェ・マリア)」一回を唱えるのを怠らなかった、と言った。

それは、死に瀕していた彼の母に為した約束の実行だったのだが、その実行、毎日唱えた「天使祝詞(アヴェ・マリア)」が、
彼を永遠の亡びから救ったのであった。

 

 

<ふしぎな花束>

一人の少年があった。
この子は毎日、一つの花束を、時分の部屋の聖母像に捧げる習慣を持っていた。
少年のこの信心は報いられて、修道者になることができた。

だが、この新しい生活に、一つ彼の心を悲しませることがあった。
修院の規則で、花を部屋に置けなかったからである。

思い悩んだ彼が、この心痛を院長に打ち明けると、院長は、「ロザリオを唱えなさい。ロザリオは、聖母マリアの花の冠です。」と言った。
それからは、忠実にこれを実行するようにしていた。

ある日の午後、友の修士と一緒に旅行に出かけたが、コンタツを持ってくるのを忘れてしまった。
途中で気がついた時は、既にほの暗い森の奥深くへ入っていた。
そこで二人は、コンタツなしにロザリオを誦え始めたが、はからずも、それが彼らを危険から救うことになった。

丁度そこに、二、三人の盗賊が、彼らを待ち伏せしていたのだった。
二人を殺して持ち物を奪い取ろうと思って、二人の後をつけて、機をうかがっていたのである。

ところが、賊どもはふと、この二人の修道者の唇から、何か飛び出しているのに気がついた。
不思議に思ってよく見ると、それは、ユリ、バラ、スミレの花で、それをまた、一人の美しい貴婦人が集めて、金の糸に通しているのだった。

これにはさずがの賊どもも驚き怖れて、手を下すどころではない。
何事もないように静かに歩いて行く二人に近づいて、今自分たちの見た一切を語った。

ここで我々は、聖母に御挨拶することを忘れると、どんな危険に遭うか、またロザリオの信心家を、どんなに聖母が保護なさるか、
という教訓を見出すのである。

 

<悪魔につかれた紳士>

十三世紀にイスパニアで喧伝された奇蹟的事件の一つに、次のような話がある。

聖ドミニコが、サラゴサのある修道院の聖堂で説教していた時、ペトロという一有力家がそこへ入って来た。
この人は、評判の大不品行者で、自分も失望してしまい、もう助からないと思い込み、痛悔しないで死のうと決めていた。

聖ドミニコは、天の光を受けて、彼の不幸な状態を知り、彼が恐ろしい姿をした悪魔らに取り巻かれているのを見た。
そこで聖ドミニコは、彼の名を指さずに、説教を進め、罪がどんなに醜いかを巧みに述べていったので、ペトロは少なからず心を動かされた。
そして、聖ドミニコの話しを聞くのが好きになって、次の日もまた聞きに行った。

聴衆の間に彼の姿を認めた聖人は、自分が目の当たり見ていた奇怪な幻を、会衆にも見られるようにと、神に祈った。
すると、その祈りが聞き入れられて、聴衆の眼は等しく開かれ、この異様なペトロの情景に驚き倒れ、彼の側から立ち退いた。

皆と一緒に逃げ去ろうとする召使の一人にペトロが、「なぜ逃げるのか」と訊ねてみると、「あなたは私の主人ではない、
無数の悪魔に取り巻かれた
サタンです。」と答えた。
他の召使たちも同じようなことを言い、彼の妻までが、この怖ろしい光景に驚き怖れて、大声を出しながら逃げ去った。

こうなってはさすがのペトロも、自分の今の不幸な状態を認め、「ああ、自分は何と哀れな者だろう。召使や妻までが、
私をおいて逃げていくとは……」と、恐怖におののいた。

その時、聖ドミニコは、彼に近づいてロザリオを与え、罪の赦しを受けるために、それを誦えるようにと勧めた。
ペトロはその通り実行し、聖母マリアがふしぎな改心を与えたので、聖ドミニコのもとに行って、立派に告白し、模範的贖罪の生活を始めた。

彼が罪人だった時、悪魔に取り巻かれている有様を人々にお示しになった神は、後、彼が祈っている時、その頭の周囲に、天使が蝟集している
ありさまを公に見せられて、彼に光栄を与えられた。

ペトロは死の時刻をあらかじめ告げられ、臨終の時、聖母の御訪問を、かたじけのうした。

 

 

<いばらの冠を選んだ聖女カタリナ>

聖書に記すように、「神はその聖人たちにおいて、驚嘆すべきである」が、シエナの聖女カタリナの場合は、特にそうである。

ルイ・デ・グラナダ師は、この聖女について、こう言っている。
「私は今まで、神の善と愛の広大さについて色々読んだが、私としては、口に言えないほどの聖主の御托身の玄義を除けば、この聖女の行為と、
聖主が彼女にほどこされた特典ほど、神の善と愛をあらわすものは、他に読んだことがないのを告白する。」(グラナダの説教集第十二巻の序言)

聖女カタリナの聴罪司祭は、こんなことを語っている。

ある日、聖カタリナは、自分が受けたひどい悪口を忍耐するための力を、神の御前にお願いしていた時、救主が、右手に宝玉を散りばめた
金の冠を、左手に茨で編んだ冠を持って現れ、彼女に申された。

「わが娘よ、このとても異なる二つの冠は、どの道、両方ともかぶらねばならぬ。
しかし今は、好きな方を選ぶことができる。
もしこの世の為に茨の冠をとるなら、私は金の冠を、後の世の為に保管しておこう。
もしこの世の為に金の方をとるなら、汝の死後、茨の冠をかぶらなければならない。」

聖女は答えて、

「主よ、御存知の通り、ずっと前から私は自由を棄てて、御身の意のままに随うと約束しています。
ですから、何も選ぶことはありません。
けれど、もし私の望みを言うならば、それは永久に御身の御苦難にあやかって生きることでございます。
また、私の名誉は、御身の為に常に苦しむことでございましょう。」

と言いながら、イエズスの差し出した茨の冠を両手にとって、力を込めて自分の頭に押しかぶせたので、頭中に刺が突きささって、
大きな痛みを感じた。」(福者ライムンド・デ・カプア)

 

 

<ファチマの聖母>

聖母マリアがファチマに御現れになった(一九一七年)主な目的は、改心と、ロザリオの祈りを勧めるにあった。

「私はロザリオの元后です」と名乗られた童貞聖マリアは、ロザリオの重要性と、有効性に関する、諸聖人・諸教皇の教えを確認し、
強調されたのである。

ファチマで行われた他の事実も、ロザリオに対する我らの注意を促すものが、数多くある。
聖母マリアは、三人の牧童らが、敬虔にロザリオを唱えてから御現れになったが、明らかに、彼らのロザリオの祈りに報いられたのである、
と言えよう。
聖母はその御手に、ロザリオを持っておられた。
特に彼女は、御出現の度ごとに、子供たちにこの祈りを勧めるのを缺かにされなかった。

第一回の出現から、聖母はフランシスコ(三人の牧童の一人)に、永遠の救霊を約束し、そのためにはロザリオを唱えなければなりません、
と申された。

ルシアが立会人から頼まれた、何かの願いごとを取り次ぐ時、御答えは、ロザリオをよく唱えるならば与えられる、と言うのであった。

人々はよくこれを理解し、コヴァ・ダ・イリア(これが御出現の土地の的確なる名前)では、御出現の前とその間、みんなロザリオを唱えた。
最初の立会人たちが、出現された御方はどなたですか、と尋ねると、ルシアは、「それはロザリオを誦えるように勧められる、天からの
或る聖女です」と答えた。

最後に、十月十三日、聖母マリアは御自分のメッセージを要約して、「私はロザリオの元后です……私は欲します、あなたがたが毎日、
ロザリオを唱え続けるように」と言われた。

その昔、世界をアルビの異端や、回教徒たちの侵入から救った聖母マリアと、そのロザリオの祈りは今日に於いても、無神論的共産主義乃
資本主義、人間無視の科学主義や、戦争の危機から、我々を救う筈である。

ポルトガルが二十世紀の初め、秘密結社員らの魔手から脱出し、又イスパニアが三年間も赤の魔手にかき回された時、その余波を受けず、
更に第二次世界大戦にも巻き込まれず、又その後の政治・社会上の世界的嵐と混乱の中にあって、平和と幸福の一島を形成し得たのは、
ポルトガル人らが、その原因をよく知っている。

それは、彼らがファチマのロザリオの元后のメッセージを伝えた三人の牧童と共に、償とロザリオの祈りを励んだからである。

 

 

<ロザリオ会が日本人の心に及ぼした実例>

 

日本の信者らの心にロザリオ会が歓迎された事は、聖母マリアが彼らにあまたの恩恵を雨降らすもとであった。
これによって聖母は、罪の闇にさまよう者、信仰を棄てて、偶像礼拝の盲目の中にある者など、無数の人々に聖寵を下された。
ロザリオ会が設立される所では、信者らの風紀、生活が大いに改善されていった。
多くの者は、ロザリオ会が設立されるまでは、信者の名だけしか持たなかったのに、その後は祈りや告白をよくし、行いを改めて天主に
仕えるようになった事を白状していた。

ロザリオ会を諸所に設け、背教者を立ち返らすために歩いていた、ファン・デ・ルエダ師は、そのよき実見者である。

 

肥前有馬にいた一信者が、永い間、女と悪関係を結んでいたが、そのために天国を失い、地獄の罰を招くのを知りながらも、心に痛悔を
感じなかった。
それなのに神は、この哀れな迷える羊に慈悲の眼を垂れて、彼の心を動かし、ロザリオ会に記名するようにしたもうた。
彼はロザリオの祈りを始めたが、祈るに従い、そろそろ心が変わり、痛悔の情を起こさなければ、寝食も出来ないようになり、間もなく女との
関係を断ち切って、心から改心した。
また彼に倣って多くの者が入会し、善良な信者の手本を示した。

 

同じ有馬の三会村にこんなことがあった。
迫害を恐れて背教した人々のあるのを耳にしたファン・デ・ルエダ師は、そこへ行こうとしたが、島原で告解を聴くのが忙しかったので、
代わりにダミアンという伝道士を遣わす事にした。

そこで神父は、ロザリオによって行われた種々の奇蹟をダミアンに話して聞かせ、その中に、聖ドミニコの伝記にある、ロザリオによって改心した、
(上記の)サラゴサの紳士ペトロのことを話した。
それは、その村の信者らが、もう赦しを受けられないと思っていたからだった。

神父の命を受けたダミアンは、その村へ行って、ロザリオの祈りと目的、これを祈る者に与えられた恩寵や奇蹟などについて話したところが、
この信心に心を動かされて、最初の話で七十名が、教会に帰りたいと申し出た。
後で神父がそこへ行った時、信仰に帰ろうとする者の多いのを見て驚喜し、深く神に感謝した。
そして多くの人の告解を聴き、彼らをロザリオ会へ入会させた。

 

又、有馬の木場という所に聾の老人がいた。
神父達は、彼が便利に告解出来るようにと思って、人のいない所へ連れて行って告解させようとしたが、彼はそれを恥辱と考えて、
告解しようとしなかった。

ファン・デ・ルエダ師がそこへ行った時、言葉巧みに、彼がロザリオの信心に興味を持つように計らい、ロザリオ会に入会させ、ロザリオを与えて
祈るようにさせた。
ところが不思議にも、三十三、四年の間も、外に出るのが嫌で告解しなかったその老人が、「ロザリオ会に入会したこの機会に、ぜひ告解して
利益を受けたい、その為には、神父の命ずるどこへでも行く」と言いだした。

そこで神父は、寂しい所へ連れて行って、首尾よく告解させた。
しかし、まだ種々教えなければならない事があったので、それからも度々そこへ行くようにした。
それには種々の不便や面倒があったのだが、先には頑固で行こうと言わなかった老人が、何度も行ったり来たりして、少しも嫌な風を
見せないのを見て、人々は感心するばかりだった。

 

 

<悪魔の告白>

ドミニコがロザリオについて説教している時、一人の悪魔に憑かれた人が連れられてきた。
鎖でしばられた彼は、大声で叫びながら、恐ろしい冒涜の言葉を吐いていた。

聖人は悪魔に向かって訊ねた。

「なぜこの人の中に入ったのか。」

すると彼は答えて言った。

「童貞マリアに対する不敬の為です。
一ヶ月もあなたのロザリオの説教を聞いていながら、あなたを中傷し、信用を失わせる事ばかりしていたので、改心しようとしていた
多くの異端者たちも、改心を中止しました。
今、正しい神の御摂理で、この男を苦しめる役を勤めているのですが、私どもは、この男のおかげで、沢山の霊魂を儲けているのです。」

そこで聖人はまた尋ねた。

「創られた者の中で、汝らが最も恐れ、また人々の愛を受くべき最も価値ある者は誰か。」

この問いを聞いて、悪魔は怖ろしい叫び声を上げるだけで、どうしても答えようとしなかった。
そこで聖人は、地に平伏して、天の元后に祈った。

「ああ聖母よ、人類の敵がわが訊ねに答えて、真理を告白するよう計らい給え。
御身のロザリオをに対して信心篤き、この人々の霊益のために願い奉る。」

すると、剣を帯びた天使の一隊が現れ、その中央に童貞マリアが在したが、聖マリアは手にした金の王笏で悪魔憑き衝いて、返答するように
命じられた。
不幸な男は、鳴り響くような大声で叫んだ。

「イエズスの母は、彼女の崇敬者らを、地獄から免かれさせる大きな力を持ち給う。
太陽が闇を追い払うように、聖母は我らのたくらみを蹴散らす。
彼女を崇敬し続ける者の中には、我らと共に滅びる者はない。
彼女が至聖三位に向かって発せられる一言一歓声は、その力において、他の聖人たちの祈りに、はるかに卓れている。

だから我々は、諸聖人たち全部よりもずっとマリアを恐れる。
彼女の崇敬者の中の只一人でさえ、征服することは出来ない。
彼女は、彼女を呼ぶ者を臨終の時に、我らの手から奪って、助ける。

ああ、この女が我らを引き止めなければ、我らは千度も教会を根絶しただろう。」

 

悪魔にこの苦しい告白をさせた後、聖ドミニコは集まっていた聴衆に勧めて、ロザリオを誦えることにした。
すると、悪魔に憑かれた男は自由になり、心から改心して、ロザリオの信心を熱心につとめるようになった。

 

 

<マリア・ガリジの快癒>

マリア・ガリジは十六歳の少女で、聖ミカエル学院の生徒であった。
一八八四年七月、色々な病気に冒され、まもなく脊髄を悪くし、これがために脚部、特に左足が付随都となり、烈しい苦痛を感じていた。

この気の毒な病人は、色々の治療を試みた挙句、人間の科学が用をなさないことを知って、ポンペイの霊場にある、無数の奇蹟を行っている、
ロザリオの聖母に眼を向けた。
そして、ポンペイのロザリオの聖母の御絵を安置した小祭壇を病室内に造り、その前で三回の「ロザリオの九日間の修行」をする決心をした。

 

八月十三日に始め、第一回目は病気がますます悪化し、苦痛は一層増し、不随は右足にまで拡がるようだった。
それでも彼女は失望せず、第二回目を始めたが、最後の日、八月三十日の夜まで、何の変化もなかった。

この日に、教皇レオ十三世は、ロザリオに関する第二回目の回章「スペリオリ・アンノ」を公布したのであった。
この晩、彼女の苦痛は烈しいもので、看護していた二人だけでは手が足りず、もう一人に手伝ってもらって寝台に運び込まれた。

次は彼女自身の言葉である。

八月三十一日の朝になりました。
苦しい眠りの後、四時半頃目を覚ましましたが、祈願を続ける新しい元気と熱心を感じて叫びました。

「ロザリオの聖母マリアさま、もし私の救霊の妨げにならないのでしたら、私に健康をお恵み下さいませ。」

私の希望は増してゆきました。
五時が鳴ったので、隣にいたジョセフィナ・パカネリさんを呼びました。
「いらっしゃい、一緒にロザリオを祈りましょう。今日、第二回目の勤行(つとめ)が終わるのです。」

パカネリさんはすぐ起きてきて、私と一緒にロザリオを十玄義だけ唱えましたが、それ以上続けようとせず、こう言うのです。

「カリジさん、もう夜が明けたから、私は寝台へ帰ります。
起きてるところを看護婦さんに見つけられて、叱られるといけませんから。」

私は一人で後を続けましたが、それが終わってから、諸聖人、特に聖ヨゼフの助けを願い、熱心に満ちて聖母マリアに向かい、

「私のお母さま、起きてみます……お恵みが欲しいです。歩いてみたいのです。」
と言いながら、不随の足を床に置きますと、少し感覚があるように思ったので叫びました。

「おお、聖母マリアさま、もう始めて下さいましたか。どうかお恵みを完了して下さい……歩かせて下さいまし。」

そして一歩、足を出し、それからまた一歩……。
全く自由に歩けるので、走ってでなく、飛んでロザリオの祭壇の所へ行きました。
私がどんなに感謝申し上げたかは、御想像にまかせます。

 

喜びのあまり、狂気のように次の部屋へ走って、寝ていた看護婦を揺さぶり、「看護婦さん、起きて下さい」と叫びました。

看護婦は半分目覚めたまま驚いて、「どうしたんです?」

「私よ、ガリジです……聖母マリアさまが治して下さったのですよ。」

これを聞いて看護婦は寝台から飛び降り、私を抱いて接吻し、喜びの涙を流しました。

(以上ガリジの言葉)

 

すぐ他の二人の看護婦を呼んで、四人一緒にロザリオの聖母に感謝を捧げ、それからチャペルに行くため、
八十一段もある階段を昇ったのだが、今までの病人は何の困難も感ぜず、手伝ってもらう必要もなかった。

チャペルに入って改めて神に感謝し、さらに四十段もある階段を昇って他の少女たちの寝台へ行った。
少女たちはまだ寝ていたが、マリア・ガリジに呼び起こされて、一同眼を覚まして見ると、昨日まで不治の病気のままで病臥していた彼女が、
今はスッカリ治って溢れる元気と喜びに満ちて、一度も病気にかかったことのないような有様なので、みんなの驚きは、一通りではなかった。
たちまち驚きは喜びに変わって、彼女たちの唇から一斉に、「ロザリオの聖母、万歳」という、感嘆の叫びがあげられた。

この感激は、建物全体に拡がって行き、朝の時間は感謝の祈りが絶えなかった。
また次々に、ミサに捧げに来る神父方も、同じように感謝を捧げた。

 

このロザリオの聖母の奇蹟の事実は、マリア・ガリジと、その主任司祭に署名されて、一八八四年十二月発行の、「ロザリオと新ポンペイ」誌に
公表された。
これに関する、カルジナル代理の認証は、次の通りである。

多数の証人らによって確認されたこの事実を調査したが、医学の教授たちの意見により、この突発的治療は、少女ガリジに与えられた、
天の特別な恩恵に帰すべきものとの結論に達した。
よってこの事実を出版し、公表することを許可する。

一八八四年十一月十日

ローマ教皇代理秘書局 参議 アウグスト 秘書 バルビエリコ

 

 

<心臓からあらわれた三つの宝石>

十四世紀のドミニコ会修道女、マルガリタ・デ・カステルロについて、こんな話しがある。

この聖女の心を感動させ、その精神を引き上げるもののうち、ベトレヘムにおける、イエズス、マリア、ヨゼフの団欒に勝るものはなかった。
たびたびこれについて語り、これが大抵の場合、黙想の材料であり、またたびたび、彼女を脱魂状態に誘ったのであった。

この聖女の清い死骸を包む時、その心臓に三つの宝石を発見したが、それには救世主御降誕の光景が刻まれていた。

一つの宝石には、可愛いイエズスがあり、も一つには童貞マリアが花の冠をかむった美しい乙女であらわされ、第三のには、
ヨゼフが尊敬すべき姿であらわされ、またそれには、ドミニコ会服を着た一修道女があったが、それは、マルガリタ自身であった。

この発見には、多くの修道者、信者らが列席していて、この不思議の証人になった。

 

 

<聖母マリアはどれほどロザリオを勧められるか>

一八五八年二月十一日、聖母マリアはフランス南部のルルド、マッサビエルの洞穴で、十四歳の少女ベルナデッタに御現れになった

天の元后は御手にロザリオを持っておられたが、十字架のしるしをし、唇を動かして祈っておられた。
ベルナデッタはそれを見てひざまずき、自分のコンタツを取り出し、十字架のしるしをしてロザリオを唱えた。

聖母はベルナデッタに同所へ十五日来るようにとおっしゃった。
御言葉は実行され、同じ事が繰り返された。
これは近代において、聖母がなされた、ロザリオの祈りに対する、最も有効な勧告ではあるまいか。
この洞窟の傍らで行われた、又行われる数々の奇蹟と改心を見て、何と言うべきであろう。

一九一七年、ファチマに於て度々御現れになった聖母マリアも、ロザリオの祈りを熱心に勧められた。

 

ロザリオに関する教皇らの言葉

「聖きロザリオは生命の木で、死人を甦らし、病人を癒し、健康を保存する。」(ニコラウス五世)

「ロザリオは、世界を脅かす危険を救う為、制定されたものである。」(レオ十世)

「ロザリオは、キリスト信者の救いである。」(クレメンス七世)

「ロザリオは、現世の諸悪を救治するであろう。丁度、聖ドミニコが、十三世紀の諸悪を救治したように。」(ピオ九世)

「この祈りは、キリスト教の敵に対して、童貞マリアの保護を願うために制定されたので、我々は、これを祈って勝利を得るであろう。
信者らの信心と、現今の公の必要事のために、この祈り方が拡まり、キリスト信者の家庭で、毎日ロザリオを唱える者はないようにするのが
肝要である。」(レオ十三世)

「あなたが、この所属協会のロザリオの祈りに参列する習慣を失わないようにしなさい。
もし、仕事が妨げるなら、家庭で家族と一緒に祈って下さい。」(聖ピオ十世)

 

 

<祈りの人、聖ドミニコ>

昼の宣教活動と、夜の絶え間なき熱心な祈りの生活で、最も救主イエズス・キリストに似ていた聖人の一人は、確かにドミニコ会の設立者、
聖ドミニコ・デ・グズマンであろう。

聖ドミニコは、日中は宣教と、それがための旅行、その他の聖務に献身し、太陽が西に没すると共に世間を離れて、
精神と肉体の疲労の回復を、神のうちに求めた。
真夜中、誰からも見聞きされないと思う時、聖堂内にこもって、ふけゆく夜の暗影としじまに包まれながら、神との対話に時を費やしていた。
諸天使・諸聖人の住む不変の都のシムボルである聖堂は彼にとって、生きているもののように感じられた。

彼は聖堂の小祭壇を順々に廻りながら、各祭壇の前に立ち止まって、深く身を屈し、或いは地上に平伏したり、跪いたりして祈った。
大抵、彼の祈りは、キリストの犠牲のしるしと記念である祭壇が、生けるキリストそのもののように、その前に深く身をかがめて、
イエズス・キリストを礼拝することから始められた。

それから、額を地につけて、優しい歓声を発した。
起き上がると十字架を見つめつつ、数回膝を曲げて礼拝した。
時として、膝を曲げる事が数限りなく続いて、言葉はもはや、心から唇に達せず、その魂は天の一角を眺めて、
甘い涙が、愛に燃えた彼の顔を間断なく流れ下る事があった。

天国を渇望すること、故国に近づく旅人の如くであった。
ある時は、立って両手を前方に差出し、本を手にして熱心に読んでいるかの如き姿勢をとり、あるいは両手を肩の高さまで挙げ、遠方の物音を
聞いているかの如き姿勢をなし、あるいは両手で顔を覆い、深く黙想しているかの如く見えた。
また、両足のつま先で立ち上がって、目を天に上げ、両手を矢尻の形に頭上で合わせ、それを開いたり閉じたりして、何物かを乞い、
また受け取るふうをしていた。

そしてこんな時には、この世の者でないように見えるのだった。

も一つ、甚だまれに用いた祈り方は、特別の御恵みを願う時に使ったもので、立って両腕両手を伸ばし、十字架上のキリストが人類の為に、
御父天主に叫ばれた時の姿勢をまねるのであった。
青年ナポレオンを甦らした時は、この姿勢で祈ったのであった。

聖ドミニコは、絶えず三つの事を、御主に願った。
第一、キリスト教民の改心、第二、未信者らの改心、第三、煉獄の霊魂の救出、である。(ラコルデール)

 

 

<少年聖ヨハネ・ベルクマン>

イエズス会の少年聖人、ヨハネ・ベルクマンは、非常に熱心なロザリオの信心家であった。
いつもロザリオを手にして、ひざまずいたり、立ったり、あるいは歩きながら誦えていた。

若くして諸徳に満ちて、早く昇天した彼は、終油の秘蹟を受ける時、十字架と修道会の会憲をロザリオで巻きつけながら、胸に押し当て、
「私は満足して、幸福に死ぬ」と言った。

清浄と聖徳のシムボルである、この三つの宝を胸に当てた時、聖少年は天来の光を受けて、ロザリオの珠が、金剛石や黄金よりも、
はるかに貴重なものなのを見た。

まもなく、光に取り巻かれた聖少年は、「マリアさまのロザリオは、私の額の飾りであり、私の頭の冠です」と言いながら、平和に息を引き取った。

 

 

<赤ばら、白ばら>

イエズス会の助修士、聖アルフォンソ・ロドリゲスは、非常に聖母マリアを熱愛していた。
聖母もまた彼の熱愛を賞して、部屋・聖堂・廊下などに現れ、街路で彼の汗を拭われたことさえあった。

ある時、アルフォンソはその質樸な純情から聖母に向って、
「御母よ、私はあなたが私を愛して下さるよりも、もっとあなたを愛します」と言った。

すると聖母が現れて、
「わが子よ、それは間違いです。私は遥かにあなたを愛しています。人々は私の愛を知ることはできません」
と仰せられた。

彼は長上の許しを得て、いつも土曜日には聖母の御光栄のために厳格な大祭を守り、また聖母の祝日を迎えるために、色々な苦業をして、
その準備をしていた。

毎時間、時計の鳴るたびに天使祝詞を誦えて、形容できない慰めを味わっていたが、寝ている時はできないと、非常に残念がっていった。

その後、お祈りをして、夜も時間ごとに天使に眼をさましてもらえるようになってからは、一日中、昼夜を通して、一時間ごとにこの信心の業を
御母に捧げていた。

いつもロザリオを手にして、絶え間なくつまぐっていたので、死後、親指と人差し指にたこができていたのが発見された。
聖人が到達した高い観想の地位の原動力・基礎は、このロザリオであったことは疑えない。

ある日、一神父が聖アルフォンソの部屋の前を通って、一寸のぞいて見ると、聖人は聖母像の前に跪いてロザリオを誦えていたが、
不思議なことに主祷文を誦えるごとに、彼の口から真赤な美しいばらの花が出、天使祝詞ごとに、白いばらが出ていた。
そして両方が一緒になって、聖母マリアへの花の冠が作られていたのであった。

 

<幼時から救主の苦難を倣った聖ロザ>

 

アメリカの最初の聖徳の花、リマの聖ロザは小さい時から、鞭や苦行帯や、そのほか制欲の道具を好み、もし人に見られて、
それを使えなくなってしまうと、いつも泣いていた。

神は彼女に一人の思慮深い、控えめな下女をお与えになったので、この下女に頼んでひそかに庭に連れて行ってもらい、
そこで跪いて、思い薪と大石を自分の背に乗せ、十字架を担われた主の記念としていた。

また、たびたび下女の足下に身を投げ出して、下女に踏みつけるように命ずるので、下女は震えながらその命に従い、
幼い聖女に向かって、聖女の功徳の一部を分けて下さるように願った。

また、聖女はカルワリオを登られたキリストに、もっとよくあやかるため、大きな十字架を背負って、はだしのままで庭を廻り、
我らの罪のために苦しみ給うた救主に対して、やさしい愛と道場の言葉をおかけしていた。

こんな酷い事をするので、最後は疲れ切って地面に倒れていたが、それは次の日にまた同じくする妨げにはならなかったのである。

 

 

<ロザリオの冠を聖母の御頭に!>

至聖三位が天国で、聖マリアに十二の星の冠をかむせられたように、我らもまた。聖マリアを熱愛した諸聖人に倣い、
地上でロザリオの冠をもって、マリアの御頭を飾らなければならない。

聖ピオ5世は、この信心に深く信頼し、これによって彼を最も有名にしたレパントの大勝利を得た。

聖イグナチオ・デ・ロヨラは、毎日していた七時間の祈りの間で、ロザリオを唱えていた。
会員らも毎日誦えるように定めた。

聖フランシスコ・ザベリオ、聖ルイ・ベルトランは、ロザリオによって病人を癒し、死者をよみがえらした。

聖フランシスコ・ボルハは、痛悔と嘆称と感謝の三つの心情で、ロザリオを祈るのを習慣としていた。

リマの聖ロザは、ロザリオを祈って数々の神の恩寵を受け、種々の不思議を行った。

イエズスの聖女テレジアは、この信心によって自分に行われた種々の驚嘆すべきことを語っている。

聖トマス・デ・ヴィリャヌエバ、聖カゼタノ、聖フェリックス・デ・カンタリジオは、ロザリオに関する嘆称すべき讃辞を書き残している。

聖アルフォンソ・デ・リゴリオは、誰にでもロザリオを唱えるようにと言い、彼の修道会の規則には、毎日これを唱えることを定めた。

聖カロロ・ボロメオ司教は、自分の教区の各教会にロザリオ会が設立されるよう熱心に努力した。

ローマの使徒、聖フィリポ・ネリは、殆どいつもロザリオを手にしていた。

パウラの聖フランシスコは、信者らに沢山のロザリオを分かち与えた。

聖カミロ・デ・レリスは、一司祭がロザリオをもらうために彼に近づいたのを見て、驚いて叫んだ。
「ロザリオを持たぬ神父?ロザリオを持たぬ神父?」。

聖ヨゼフ・デ・カラサンスは、その修道者らにロザリオを一緒に唱える規則を定めた。

十字架の聖パウロは、最後の瞬間までロザリオを祈りを止めなかった。

サレジオの聖フランシスコは、一日たりともロザリオの祈りを怠らない願を立てた。

聖ルイ・グリニョン・ドゥ・モンフォールは有名な宣教者だが、ロザリオの玄義を描いた十五の旗を立てて押し立てて進み、
信者らがひざまずいてロザリオを唱えるようにした。

 

大聖人たちが、こんなにまでしているなら、諸徳に欠ける我々はどうすべきであろう。

キリスト信者らよ、ロザリオを!

 

 

 

 

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