臨終の時の大切なる事

 

「大罪がありながら告白の出来なくなった信者にとって、完全な悔い改めがなければ塗油の秘蹟は必要です。」

「病者の周りにいる信者は、病人のためにこの事を配慮する事が大切です。
死に臨んだ信者が、司祭がいなくて秘蹟を受けられない場合は、犯した罪について完全な悔い改めを起こし、全てを天主の御旨に任せなければなりません。
また周りの信者も病人を助け励ます事が必要です。」(カトリック要理)

 

<臨終の罪人の回心>

1920年 教会認可

1901年のポーランドのクラクフで、一人の罪人が死に瀕していました。
彼は大犯罪者であり、謂わば人々の血を流す大変な悪行の連続の生を送り続けました。
それでも天主にまみえる事を考え、それについて熟知していましたが、絶えず自らの準備を拒絶しました。

多くの信心深き人々は彼のために祈りを捧げていました。
数人の司祭は彼に近づこうと試みましたが、彼らのうちの一人でも部屋に入室する事を許さないと命じました。
しかし彼の学友であったという修道士が昔の友好を口実に、もし可能であるならばと元学友の救霊を決心して、その命令から回避させました。

司祭がこの病人に会うとすぐに、彼に道理を説こうとする努力が何も役立たない事を確信しました。
従って信心と同様に当然生まれる解決で、司祭に最も容易であり、最も有効であるとの意見の中で、この堕落者の心を和らげる手段がとられました。

司祭はベッドの横にひざまずいて、「天使祝詞」を繰り返しました。
病人は涜聖によって応じました。
しかし司祭は祈りを繰り返し続けました。
更に抗うに弱り、病人は傾聴しようとあきらめました。

しばらくして、弱々しきながらも完全に分別のある声で言いました。
「私は告白致したく思います。」
司祭は大喜びしながらも、非常に驚きました。
天主の御母への信徳と信頼の大なるも、突然の変化の覚悟までは出来ていませんでした。
病人は自らの要請を繰り返し、それは直ちに応じられました。

彼の告白の後、彼は司祭に机の引き出しを開ける様に願い求めました。
そこの書類の中にある小さな聖なる童貞マリアの御絵を見つける様に願いました。

「それは私の母の形見です。」と彼は言いました。
「彼女は私にこれを与え、私にこれを決して手放さぬ様に命じました。
彼女を喜ばせようと、私は彼女の愛する手から受け取りました。
私はしばしば書類を分類する時に、これを破棄しようとしましたが、決してそうする事は出来ませんでした。」

彼はこの御絵を受け取り、胸に押し当て、両目より涙を流しながら熱く接吻しました。
まさに「罪人のよりどころ」と呼ばれし御者への謝意に満たされて、喜びと熱誠に満ちて聖なる秘蹟を受け奉りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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