煉獄の霊魂のための祈りI

 

 

 

<聖アンブロジオの諸死者のための祈りの勧め>

「我々は生きていた間に愛した者らが死しても、彼らを見捨てぬのであり、我らの祈りによりて
彼らを主の御住まいに入れるのである。」

聖ヨハネ・クリゾストモは、全てのキリスト者の家庭において、何らかの都合の良い箱を家の中に置き、
煉獄の惨めなる霊魂のための聖祭に用いられるために最少額の硬貨を貯めておく事を勧めました。

「聖祭に次いで煉獄の霊魂達のために最も有益な信心業は十字架の道行です。」
(ある煉獄の霊魂の示現:教会認可)

 

 

・マリア童貞がカルメル会に入会する前に、既に亡くなった修女の訪問を受けた。
彼女は清貧の願いに背き、気ままに使う為に修道院の屋根裏部屋に5フラン銀貨1枚を隠し、
臨終になってもそれを告白する勇気がないままに息を引き取ってしまった。

そのために煉獄において非常に苦しんでる事を告げた。
その場所を捜すと、果たして災いなる5フラン銀貨が1枚発見された。
修院長はこの黙示に感動し、すぐにこの5フランを貧しい人に施したのである。

 

・1873年10月26日にマリア童貞は煉獄の火の中にある一人の会長を見た。
彼女は生存中清貧に背いた為に50年前から苦しんでいるのであった。

 

 

・1874年12月21日にもう一人の修道女がマリア童貞に現れた。
彼女は世の終わりまで煉獄において苦しめられなくてはならなかった。
それは友人達が自分を会長に選んでくれなかった為に倣慢と怨みからその財産を修院に残さず、自分の親類に残した為であった。

 

・同じ地方に居たパヨヌ市の神学校長にして篤信なるミノダス神父は、只5時間だけ煉獄に留まったが、
五十年ほどの長さに感じられた。

 

 

・1891年12月6日、木曜日ホーモン市の救助院において、聖ビンセンシオ・ア・パウロ会の一人のジョセフィーナ童貞が
息を引き取った。
45年前以来そこに住んでいたこの童貞は、殊に病人の世話をしていたが自分も終に病に犯されこの世を去った。

葬式の晩6時頃にプロスペールという一人の者が両脇に松葉杖をもって聖堂から出、自分の部屋に帰る暗い廊下を通る時に
急に身動きが取なくなり、またその手には人触りの温もりを感じた。

そしてよく聞き覚えのある声で「煉獄に苦しめる霊魂の為に祈り給え。」というのが聞こえ、
プロスペールの身体の血は氷の如くになった。

すぐに聖堂に引き返して院長にその事を話したが院長は黙っている様に頼み、主任司祭にこの事を話した。
8日の午後5時、降福式の後プロスペールは自分の聴罪司祭にこの事を話した。

すると司祭は嘲笑ってそれは彼の病により錯覚だと言った。
ところがその司祭が自分の部屋に戻ると、机の真中に1枚の紙があり、「煉獄に苦しめる霊魂の為に祈り給え」という文字が
書かれてあった。
この紙を主任司祭に見せたところそれはジョセフィナ童貞の字で、裏にローマの歴史が筆記されてあった。

4ヶ月の後、復活祭の次の木曜日午後三時頃、突然風の様な音がした。
と、そこにジョセフィナ童貞が立っていて、その顔の光は両肩に届いていた。
「安心しなさい、私です。煉獄にはおりません。永福を受けました。」と言われた。

プロスペールは「私を治して下さい!」と叫んだが「いいえ、その病はあなたの救霊のために必要なのです。
幸いなる苦しみです。変わらず煉獄の霊魂の為に祈りなさい。罪人の為に悔い改めなさい」と言って消えた。

 

 

・1874年6月2日マルセイユ市のカルメル会の創立者ヒラリオン修院長は煉獄を只通りすぎた。
マリア童貞はこれを見て「御身は如何にしてかの如くに真っ直ぐ天国に行かれたのですか?」と尋ねた。
修院長は「愛徳に背かず、またいつも規則を厳重に守ったためです」と答えられた。

・マリア童貞はインドのアヌガルロル町の教皇代理マリ・エフレム司教の御死去の年が1873年である事を預言した。
この司教は煉獄の火の中より幾度かマリア童貞に現れた。
マリア童貞はベトレヘムに創立される修道院の聖堂で初の聖祭の捧げられる時に司教の霊魂が天の御国に入るであろうということを
天主より知らされた。

1876年11月21日、エルサレムのブラッコ司教が大急ぎで建築されしベトレヘムの新聖堂において初の聖祭が捧げられし時、
マリア童貞はエフレム司教の霊魂が煉獄より解放され、天に昇るのを見て形容の出来ない嬉しさを感じた。

 

 

・また他の童貞がマリア童貞に現れ、煉獄において貧食の罪を償っていると告げて、その出現の確かなる証拠にと
三つの砂糖の固まりをマリア童貞に渡した。
マリア童貞はその身罷りし童貞の修院長にその一つを贈り、またかの貧しき霊魂のために皆の祈りを願った。

 

 

<煉獄の霊魂のための祈り>

「わがイエズスよ、ゲッセマネの園における御苦悶おける御身の御苦難の御悲しみによりて、
鞭打たれ棘の冠をかぶせられ給いし御身の御苦難の御悲しみによりて、カルワリオの道における御身の御苦難の御悲しみによりて、
十字架上の御死去における御身の御苦難の御悲しみによりて、煉獄の霊魂を、殊に尤も忘れ去られし者を憐れみ給え。

彼らを絶えざる責め苦より救い給い、楽園における御身のいとも甘美なる抱擁を許されんことを。」

「主祷文」1回 「天使祝詞」1回 「主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らし給え。
彼らの安らかにいこわんことを。アーメン。」

 

 

<聖なる霊魂のチャプレット>

               

このチャプレットは一般のロザリオを用いて祈られます。

各大珠で次の様に祈ります。

「ああ、聖なるすべての霊魂よ、私の魂の中に神の愛の火を引き寄せ、来世に煉獄においてではなく、
この地上においてイエズスの御受難を明かしてください。」

各小珠で次の様に祈ります。

「十字架に磔にせられた主イエズス、煉獄の霊魂をあわれんでください。」

このチャプレットのしめくくりに「栄唱」を3回唱えます。

                

 

 

 

<煉獄の霊魂のための祈り>

主イエズスは聖ゲルトルードにこの祈りを唱えるごとに1000の霊魂を煉獄から解放されると約束された。

「永遠の御父よ、私は今日、全世界で行われる聖祭の中で、御子イエズスが流された尊い御血を、
煉獄の聖なるすべての霊魂のために、至る所に存在する罪人のために、普遍の教会の中の罪人のために、
私の家庭そして私の家族の中の罪人のために、御捧げ致します。 アーメン。」
(ポルトガル リスボン司教1936年3月4日 認可署名)

 

 

<イエズスの御肩の御傷への聖ベルナルドの信心(祈り)>

これはクレルボーの記録に関連したもので、聖ベルナルドが私達の主に主の偉大な未記録の苦しみについて尋ねた時、主は答えられた。

「私は肩に、苦しみの十字架の道の途上にて深手を負った。これ以上の苦しみは他になかったがそれを記録する者は
いなかった。
この信心を行いこの傷に光栄を帰するならば、私は汝にどのようなものであっても求める完全な善徳と
賛美に値する功徳を与える。
そして彼らすべてをこの傷を大いにあがめる者とみなし、私は彼らのすべての小罪を赦し、彼らの大罪についても
記憶することはないだろう。」

(聖ベルナルドは、教皇アウグスチヌス3世に熱心に、この祈りと「天使祝詞」を3回、私達の賛美される贖い主である主の肩の御傷に光栄を
帰すために唱え、罪を心から悔やむすべての者に3000年の免償を懇願し、承認された。)

MA スプリングフィールド トマス.D.B司教認可

 

(この祈りを行うたびに、30,000の霊魂が煉獄から解放される。)

「おおやさしきイエズス、柔和なる神の子羊、みじめなる罪人我は、御身が御身の重き十字架を担い給いし
御肩の、御身の肉を裂き御身の骨を露出し、御身のいと祝せられし御体の上の他のいかなる御傷よりも
さらに大いなる御苦痛を加えし至聖なる御傷に挨拶し、礼拝し奉る。

御身を賛美し奉る、おお最大の悲しみの人なるイエズス、我、御身をほめ、御身の栄光をたたえ奉る。

かつこのいとも聖にして苦痛に満てる御傷に対し御身に感謝を捧げ、この激甚なる御苦痛と、御身の重き
十字架の骨をも砕く重荷によりて、罪人なる我をあわれみ、わが凡ての大罪と小罪を赦し、
御身の十字架の道を通して我を天国に導き給わんことを乞い願い奉る。 アーメン。」 

                           

              

 

 

<煉獄の霊魂のための祈り>

「永遠の御父よ、我はわが罪のため、煉獄の聖なる霊魂らの嘆願がため、
及び聖なる公教会の必要における償いがため、イエズス・キリストの御血を御身に捧げ奉る。 アーメン。」

 

 

<聖ドン・ボスコの煉獄の霊魂のための祈り>

「全能の神よ、あなたは人間を愛されるあまりに、人性をまとって苦労に満ちた生活を送られました。
最後に非常に苦しい御受難を耐えしのび、十字架上に息絶えられました。
どうか尊い御血によって得られた数多い功徳を考えて、煉獄の幸せな霊魂が受けている苦しみに、あわれみ深い眼差しを向けて
下さい。
これらの霊魂は、あなたの恵みでこの涙の谷を去り、神としてのあなたの正義に対して、まだ残っている負債を償うために
煉獄の燃え盛る炎の中で苦しんでいます。

それで、限りなく憐れみ深い神よ、私がこれらの霊魂のために、へりくだって捧げる祈りを受け入れて、
暗闇の牢獄から苦しむ霊魂達を引き出して、天の光栄にお呼び下さい。
私は特に自分の両親、親戚、また霊的、物質的恩人、また私が自分の悪い手本をもって罪を犯す機会を与えた人々の霊魂を
特別にお任せ致します。

いとも聖なるおとめ、悩む人々の慰めであられる憐れみ深い御母よ、どうか煉獄の霊魂のために御取次ぎ下さい。
あなたの最も力ある御取次ぎをもって、その霊魂達が準備されている天国の喜びに辿り着けますように。

主よ、お願い致します。尊い御血をもって、あがなわれたしもべ達を御助け下さい。」

「主祷文」「天使祝詞」を各一回唱えます。」

(啓示された15の祈り より)

 

 

Raccolta 139 聖週間の最後の三日間における祈祷時間>

イタリアと隣接する島々のためにベネディクト15世教皇聖下の174546日の聖なる会衆のための免償の布告によって、
全ての信心深き者が聖週間の木曜日、金曜日、土曜日の三日間の各日において、彼らが一時間ほど煉獄に在りし霊魂のために心中、
もしくは口頭において敬虔に祈る事に対し、各七年の免償を与えられた。

 

 

 

<コルトナの聖マルガリタの体験>

自らの罪を痛悔する聖女は、煉獄中の苦しめる霊魂らの慈悲によって知られるようになりました。
その莫大な数に及ぶ霊魂達は聖女の助けを求めるために出現したと言われています。

ある日聖女の前に二人の「旅行者」が現れ、彼らの犯した不正の償いを聖女に求めるために現れました。

「我々二人は商人でしたが、山賊によって道中で殺害されました。
我々は告白に行くことも出来ませんでしたが、しかし天主の救い主と聖なる御母の御あわれみによって
我々は完全な痛悔の行いをする時間があり、我々は救われました。

しかし煉獄における我々の苦しみは恐ろしく、職業上の働きの中で我々は多くの不正な行為をはたらいたので、
これらの行為が償われるまで我々は休息することも苦しみを和らげることも出来ません。
天主のしもべよ、我々はあなたに懇願致します。
我々の親族と相続人これこれに、我々が不条理に得た金銭を出来るだけ早く返還するように
警告するために、行って見つけてほしいのです。」

二人は聖女に必要な情報を与えて姿を消しました。

聖女が50歳で帰天し天国に向かう時に、煉獄から解放されるために支援した数多くの霊魂が聖女を護衛したことが記録に残されています。

 

 

<あるポーランドの農夫の話し>

ラコダイア神父の手紙に、煉獄に行った一人の農夫の話しがあります。
天主の審判によって煉獄の炎を受ける事になったポーランドのある農夫がいました。

彼の信心深き妻は彼の霊魂の安息のために祈る事を止めませんでしたが、自分の祈願だけでは充分に力強いものではないと思い、
イエズスの聖心に依り頼み奉り、また彼の霊魂のために聖祭を捧げたいと思いました。

通常の聖祭を捧げたいと願っていた貧しい彼女は、ある裕福な不信仰の男性のもとに行きへりくだって援助を願いました。
紳士は彼女に同情し、少しの金銭を与えました。
聖祭は聖心の礼拝堂にて捧げられ、また彼女は同じ強い意向を持って御聖体を拝領しました。

それから数日後、天主はこの世を去った農夫の霊魂がその紳士のもとに現れる事を御許しになり、農夫は言いました。
「私は聖なる犠牲の捧げに対しあなたが与えて下さった施しに感謝致します。この聖祭は私の霊魂を煉獄から救いました。
今あなたの慈悲への感謝の中で、あなたの死が近く、あなたが天主に甘んじるべきである事を伝えるために、主は私を御遣わしになりました。」

警告を受けた裕福な紳士は回心し、それから少し後に最も悟った状態で息を引き取りました。

 

 

<聖マリア・マグダレナ・パッヂ童貞の兄の話し>

聖マリア・マグダレナ・パッヂ童貞は、兄が煉獄中の個別の土牢の中に居るのを幻視しました。
彼はまことのキリスト者としての生活を送り、あまたの聖寵と、それを為す資格を受け、その責任は重いものでしたが、
彼は為すべき事をしばしば怠りました。
それは過ちであり、また彼の存命中にそれらの償いを果たす事が出来ませんでした。
聖女は彼の生前に幾度も注意をしましたが、むなしく終わりました。

彼は自身が為した事を知り、天主の御前に進むために苦しむ必要を心底から受け入れてそれにあずかり、彼の実存は熱望の中にありました。
彼は聖女に107回の聖体拝領を彼の助けと、主に応じざる回数の償いのために願い、聖女はその願いに応じて、
我らの主に彼のために願い続けました。

 

<聖マリー・デニスの幻視>

(1854年1月20日 ボルチモア大司教認可)

天使の元后の祝日に聖マリー・デニスは通例の煉獄からあまたの霊魂の解放を得させました。
一度その日の聖体拝領の後にあたかも我らの主が聖女の御霊魂を肉身の外に連れ出され、煉獄の岸へと導かれる様な内側の強い動きを
感じました。

主は聖女に決闘の中で殺害され、しかしながら天主の聖寵によって息絶える前に痛悔の行いを行ったある王子を指されました。
聖女はまた王子のための特別なる祈祷を命じられました。
聖女は9年と3ヶ月の間それを行い、また生活の中においてでさえも王子の霊魂のために犠牲を捧げましたが、
彼はまだ解放されませんでした。

聖女は自身の身に起きた特命の出来事である、王子の霊魂への、このより優れた気づきによって力尽きてしまいました。

聖女はその幻視に付け加えます。

「そうです、わが御母よ!私はその霊魂を見ましたが、ああ、誰がこれを救い出せましょうか!
恐らく審判の日までにこれは出られませんでありましょう。ああ、わが御母よ!」

聖女は続け、泣き叫びながら言います。

「天主は彼の正義においていかに善良であられましょう!この王子はどれほどこの世の精神に従い、肉欲の大家であったのでしょうか!
彼が霊魂のために持っていた心配はどれほど少なく、秘跡の使用における信心はどれほど少なきものであったでしょうか!」

 

 

<聖ペルペトゥアの兄弟の話し>

カルタゴの聖ペルペトゥアは皇帝の迫害によって捕らえられている間、自分の亡くなった兄弟であるディノクレアラスの霊魂の幻視を得ました。

聖女にとって煉獄は乾燥した砂漠に似ている様に思われました。
ディノクレアラスの罪は大きなものではなかったので、彼は短い間そこに留まる事になりました。
彼は顔に潰瘍を持ち、渇きによって苦しめられました。
聖女は彼の霊魂のために祈りを捧げ、それから三日後に、天使の顔を持ち美しい園にて金の杯から水を飲む彼の姿を見ました。
この幻視は聖女にディノクレアラスの霊魂が天つ御国の家に到る事が出来た事を確信させました。

 

 

 

<聖ヴィンセンシオ・フェラリオの姉の話し>

ドミニコ会の説教師であった聖ヴィンセンシオ・フェラリオは、生涯の間幻視や御出現の賜物を与えられました。

聖人の姉の死後、彼女の霊魂が煉獄のある場所から聖人に現れました。
彼女は地上の生涯の間に償わなかった罪をそこで償わなければなりませんでした。
聖人は彼女が炎に囲まれ相当な苦しみの中におかれている事を知りました。
聖人が彼女のために30回の聖祭を捧げた後、彼女はもう一度聖人の前に現れ、天使達に囲まれて天高く上って行ったという事です。

 

 

<1873年の話し>

あるVという修院の、ただMと名前が確認された修女は、彼女の側らで、何らの前触れもなく長い嘆息が聞こえました。
これは1873年11月の事でした。

修女は泣き叫びました。
「ああ、私を恐れさせるあなたは何方でしょうか。
あなたが何をするとしても、御自分を私に現さないで下さい。
あなたが何方であるか、私に教えて下さいませんか。」

答えは表されませんでした。
嘆息は続き、より近くさえなりました。
この哀れな修女はとやかく、祈祷、聖体拝領、十字架の道行き、ロザリオを増しました。
それでもこの嘆息は終わらず、1874年2月15日まで不可解なままでした。

その時修女がそれとわかる声が聞こえました。

「恐れないで下さい。貴女は苦しみにある私を見ないでありましょうから。
私は1871年2月22日に36歳で信心と職務の犠牲にして、この修院で息を引き取った、M・G修女です。」

この苦しめる霊魂はその後、助言をしばしば軽んじた元仲間に言いました。
時折助言を軽んじた彼女は、自らを聖化するためにしばしば訪れました。

この天主の御計画は、このM修女の聖なる生活によって彼女を救い、ついには解放させる事であり、修女は数年を過ごす間、
修女は酷く悩まされ、忍耐強く試みました。

その回答者は、再び戻らぬこの世を去りし訪問者に要請されるM修女に恐れの事を教えませんでしたが、
それを教える事は役に立ちませんでした。
彼女は、天主がそれを意図し給う限り、ただ彼女がそれに耐えなければならなかったのだと伝えました。
それは丁度修女が恐れたものでした。

 

 

<聖大ゲルトルードと煉獄の聖なる霊魂>

我らの主は、聖女に対し誰がために最も祈るべきかについて教えられました。
聖女の両親の命日を共に共同体で祝した日、聖ゲルトルードは幸いなる霊魂が、
火の粉の如く煉獄の暗闇から立ち昇るのを見ました。
聖女は我らの主に、それらが両親であるかを訪ねました。
主は答えられました。
「私はあなたの父母でもあり、従って、あなたの最も近き親族はわが特別なる友であり、
彼らは私が解放した者の中の一人である。」

聖ゲルトルードはある人から、既に聴き容れられた死者のための功徳の共有を願って、
全ての既に不要な捧げを聖女が天主に捧げた時の事について尋ねられました。

聖女がその事を祈ると、聖女はその人が、栄光の主の御座に座し給う、主の御前に立っている事に気づきました。
その中で、主の御手には壮麗さで飾られたローブがあり、主はそれをその人に贈られましたが、
その人にはローブを着させないままでした。

聖女は驚いて、主に言いました。
「数日前に私が御身に普通の捧げを致しました時、御身は楽園の喜びのために私が祈りました貧しき女性の霊魂を
直ちに解放下さいましたのに、なぜ、最も愛する主よ、聖寵の功徳によりてこの人の熱望する人に示されましたローブを
今御着せ下さらなく、例え霊魂らにふさわしきものであっても、私に授けて下さいますのでしょうか?」

我らの主は答えられました。
「いかなる時であれ、信心深くこの世を去り離れし者がために私に捧げられしものを、捧げる方の者の状態によって、
わが自然的属性によりて私は直ちにその者達のために用い、彼らのために慈悲と赦しとを示し、
あるいは彼らの永遠の福楽を弥増すために用いるのである。」

 

 

 

<シエナの聖カタリナの御記述>

彼らは自己愛より全く免れしこと

この聖なる霊魂がまだ肉欲の内にありました時、天主の燃える愛の煉獄に置かれ、現世を過ぎ去って後その炎の中で
全ての汚れより浄められ、そうして彼女の最も甘美な愛である天主の御現存に入るために準備されました。

その愛の炎の意図を通して彼女の霊魂の内に、煉獄中の信心深き霊魂の状態を、彼らが何処で現世で浄められなかった罪の汚れと
さびを浄めるのかが理解されました。

そして天主の炎が煉獄の内にあるが如く、彼女は天主の御愛と一致し、彼女の内に成し遂げられた全てに満ち足りており、
煉獄中の霊魂達の様を理解する事が可能となり、またこの様な発見がありました。

「私が見ます限り、そこにいる事を除いて煉獄中の霊魂達に選択はありません。
天主は御自身の天命によって正当に定められました。
彼らは自身に向かってこの様に言う事は出来ません。"私はこれこれの罪を犯したため、ここに留まるに値しています"。
またこの様にも言う事が出来ません。
"私はこれらを耐えましたので、この瞬間に楽園にいるべきなのです"。
また"この霊魂は私よりも先に解放されるであろう"、もしくは"私は彼女よりも先に解放されるであろう"とも言う事が出来ません。

彼らは良いか悪いかのどちらの記憶も持たず、また彼らの苦しみの増加を自重します。
彼らは敬いの内に神的性質と共に非常に満ち足りているのです。」(つづく)

 

 

<捧げの祈り>

「ああわが天主よ、イエズスとマリアの御功徳との一致のうちに、煉獄の霊魂のために、わが全ての代償の行いと、同様にわが生涯の間、
そして身罷りし後に他の者によりて用いられしそれを御身に捧げ奉る。

かつイエズスの天主の御心により相応しく、より身罷りし者の助けとならんため、童貞マリアの慈悲深き御手に、それら全てを置き奉る。」

 

 

 

<煉獄の聖なる霊魂への祈り>

「ああ煉獄にありし聖なる霊魂よ、御身らは天を確実に受け継ぐ者なれば、御身らは、いと尊き御血と、御憐れみの御母の勝杯なり。
御身らの御とりなしによりて、わが為に聖なる一生を送り、幸いなる死を迎え、天つ御国に至る聖寵を得させ給わんことを。

天つ御国にて天主をほめ称えんが為に、解放を切に望みし、親愛なる、苦しめる霊魂らよ、御身らの見捨てられざる嘆願によりて、
この時、我を苦しむる、この困窮において我を助け給え。
殊に、(ここで願う)。

かくして我が天主より、救いと御助けとが得られんことを。
御身らの御とりなしの感謝ゆえ、我は御身らの為、天主にこの日のわが祈りと働き、喜びと悲しみとの功徳を捧げ奉る。」

 

 

<尊者カタリナ・パルッチと、ベルナルディン修女の話>

イタリアで、尊者カタリナ・パルッチは、ネピの教区で、聖なる生活を送りました。
彼女はそこで、ドミニコ会の修道会を設立しました。

そこで、ベルナルディンという名前の修女が尊者と共に生活し、ベルナルディンは霊的生活の中ではるかに進みました。

彼ら二人は、熱情で互いを模範となし、互いがますます、完徳の中で進歩するのを助けさせました。

尊者の伝記著者は、彼ら二人を、熱を伝える二つの燃える炭になぞらえ、そしてまた、二つのハープが、天主のより大いなる栄光のために、
愛の永遠の聖歌を、一体のうちに互いに調和して奏でているとしました。

苦しみを伴う病にかかったベルナルディンは、キリスト者としての忍耐によって耐えましたが、ついに息を引き取る事になりました。

彼女の息が絶える前に、彼女は天主の御前に、カタリナの事を忘れない、と話しました。
そして、もし天主が許し給うならば、自らの浄めのためにも、霊的な事について話すために、カタリナの前に現れると言いました。

カタリナは、ベルナルディンのために沢山祈りを捧げ、同時に天主に、ベルナルディンが現れるのを許し給うように願いました。

一年が過ぎましたが、ベルナルディンが現れる事はありませんでした。

ついにベルナルディンの命日となって、カタリナが祈っていると、立ち上る炎と煙を噴き出す穴を見ました。

それからカタリナは、ある姿が、暗雲に囲まれた穴から出てくるのを見ました。

次第に雲は散ってゆき、穴から出てきた姿は、並外れた輝きで輝くようになりました。

カタリナは、それがあのベルナルディンの霊魂である事を確かめ、彼女の方に向かって駆け出して行きました。

「最愛の姉妹よ、あなたでしょうか?しかし、あなたはどこから来たのですか?
この燃える煙、この穴は何を示しますか?あなたの煉獄は、今日で終わりなのですか?」

ベルナルディンは答えました。
「その通りです。
一年の間、私はこの償いの場所に留め置かれました。
そして、今日私は初めて、天国に入ります。
あなた自身は、あなたの聖なる修練を貫いて下さい。
慈善的で憐れみ深くあり続けて下さい。あなたは憐れみを得られるでしょう。」

 

 

 

<苦しめる霊魂のための嘆願>

「ああ、無原罪の童貞女、天の元后よ、煉獄にて苦しめる御身の子らの叫びを聴き、全能者の王座にて、彼らのためにとりなし給え。
彼らを顧み給え、ああいと誠実なる御母、彼らのために御自らを捧げ給いし天主の御子の御かたどりよ。
主の苦き御死苦を思い出で給い、まこと主の御苦しみによりて彼らを顧み給え。
我らを信頼を感ず。
しかして、ああ御あわれみの御母よ、彼らに解放を得しめ給いて、しかして彼らが御身と天の歌隊との一致のうちに、
天つ御国にて祝せられた者に加わる姿を思わんことを。

ああ主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らし給え。」

 

 

<煉獄の霊魂達に生命を守られた神父>

ルイス・マナシ神父は熱心な宣教師であり、煉獄の霊魂のための大いなる信心を持っていた。
神父は宣教への危険な旅路に際し、煉獄の聖なる霊魂達に守護を願った。

そこは広大な砂漠であり、そこが盗賊のはびこる地である事を神父はやがて自ら知る事となった。

神父はとぼとぼと一人歩きながら、煉獄の聖なる霊魂達のためにロザリオを捧げていた。
そして神父が周囲を見渡すと、神父が煉獄より救い出した祝せられた霊魂達が自分を護衛するために取り囲んでいるのを見た。

そして神父は、なぜ祝せられた霊魂達が自分を護衛するために取り囲んでいるのかを知った。
神父は既に、盗賊どもの待ち伏せの中に入っていたのである。
しかし祝せられた霊魂達が神父を取り囲んでいたので、神父は危うきを逃れることができた。

その聖なる霊魂達は、危険が去るまで神父から離れ去りはしなかったのである。

 

 

<聖大ゲルトルードの臨終>

聖大ゲルトルードは臨終において、悪魔の攻撃に遭いました。

悪魔は、聖人がこれまで長い間ずっと、全ての祈りを煉獄の霊魂達のために祈りを捧げてきて自分のためには祈らなかったので、
長い間煉獄の恐べき炎の中に留められるであろうと脅し、聖人の霊魂の平安を打ち破ろうとしました。

しかし我らの祝せられた主は、聖なる天使達を遣わされるだけでなく、
聖人がこれまで煉獄から解放してきた数千もの霊魂を、聖人の助けのために遣わされました。

我らの主は、聖人が煉獄の霊魂のために為した全ての行いの代わりに、
聖人に天つ御国への直行と、彼女の全ての功徳の百倍を与えられると告げられました。

 

 

<パンプルナの聖なる修女の話し>

パンプルナのある聖なる修女は、カルメル会の沢山の修女達を煉獄から解放させました。

カルメル会の修女達でさえ、多くは煉獄から解放されるには、30年から60年を要したと伝えています。

 

 

<盗賊からの守護>

葬儀の事業に関する事でローマに呼ばれた司祭の一行があった。
彼らは重要な書類や、教皇聖下にうけおわれた大金をローマに運んでいた。

アペンニンスに入り、大胆不敵な盗賊のはびこる所であると気づいた彼らは、安全に書類やお金を届けることを選び、
数日間、山や電車でトンネルを使わなかった。

彼らは自分達を煉獄の聖なる霊魂達の守護の下に置き、
「デ・プロフンディス」を毎時間、煉獄の聖なる霊魂達のために唱えた。

山の中腹で、運転手が警告を発したと同時に、
激しく馬達の鞭を打って飛ばしてきた盗賊の群れが小銃を構えて司祭の一行を取り囲んだ。
しかし彼らは、何の銃声も鳴り響かない事に驚いていた。

一時間ほどの闘いの後、運転手が止めて言った。
「どうやって我々が逃げ出せたのか理解できません。
彼らのような無法者は、誰に対しても惜しむ事がありませんから。」

司祭達は、彼らは煉獄の聖なる霊魂達に、自らの身の安全を説得され、それから疑いの余地無くそれを確かめたのだろうと言った。

司祭達の任務はローマで無事に遂げられ、その中の司祭の一人は、先に任命されていた通り教戒師としてローマに留まった。
それから間もなくの事である。
イタリアの中の荒々しい盗賊の一人が捕らえられ、多くの人を殺害したかどで死刑囚となり、死刑を待つ身となった。

その盗賊の信頼を得ることを切望して、教戒師はそれまでの幾つかの険しい道のりと、最後にアペンニンスで
無事に逃れる事が出来たことを語った。

すると盗賊は、その話しに身を乗り出し、こう言った。
「俺はその盗賊の長だったんだよ!
俺達はお前達が金を持っていると考え、金を奪った後、お前達を殺すと決めていたのだ。
見えない力が、俺達一人ひとり全員の射撃を阻止した。
俺達は出来たなら確実にやっていたのだがな。」

教戒師は、煉獄の聖なる霊魂達の御保護の下に自分達を置いていた事を教え、盗賊はそれを信じ、速やかに回心した。
そして盗賊は完全なる償いのもとで死んだのであった。

 

 

<聖マリア・マグダレナ・パッヂ童貞の煉獄の旅>

聖女は煉獄を回る旅において、煉獄の中の土牢が分かれており、そして煉獄の霊魂がおびただしい炎に包まれているのを見た。


聖女の上長が息を引き取って後、聖女は上長の霊魂のために祈り続けた。
その16日間後、上長の霊魂が聖女に出現し、自分が煉獄より解放されたという事を告げたのだった。

聖女は、憐れみ深い事で知られていたこの上長が、なぜこれほど何日も煉獄で
苦しみを受けねばならなかったのかと、驚きを隠せなかった。

上長は、それは自分が天主の御恵みをなおざりにし、主の前に世を置いたからであったと教えた。
この煉獄における期間の満了について、主が生前の自分の忠実さや掟への従順、
他者への憐れみなどを考慮に入れられなければ、煉獄に留め置かれた時間ははるかに長かったであろうと言った。

また別の修女がおり、この修女は臨終の前に非常な苦痛を味わい、そして息を引き取った。

主は聖女に、この修女の霊魂が15時間のみ煉獄に留まり、
それから天つ御国に昇ったことを告げられた。
なぜなら、この修女が一生の間に、掟に反した罪を償っていた事と、
全免償を受けたからであるということであった。

 

inserted by FC2 system