罪人のよりどころなる御母マリア

 

<放蕩者の地主が罪人のよりどころへの祈祷によって回心した話し>

あるブルボンの地主が非常に罪深い生活を送っていたので、彼はその教区の恥さらしの一人と見なされていました。
そうして彼はついに病にかかり、回復の見込みのない事が内科医から教区司祭に通知されました。
司祭は救霊に間に合う様に彼に近づくための方法を考えました。
司祭は地主の部屋に入る事が出来ましたが、彼自身は促された天主との平和を取り戻す事には無関心に見え、
予防出来たかもしれない病を察知しなかった事を残念に思っている事、自殺する事によって避け得た事を横柄な表現でもって答えました。
その間彼について理解するのは容易でしたが、彼はあと数時間の命でした。
彼は司祭に向って『去ってくれ。私をこれ以上苦しめるために来る事は許さないからな。』と言いました。
司祭はあきらめて部屋を去りました。

あの放蕩者の地主がもう間もなく失われる事を考えると、司祭の心は悲しみに打ちのめされました。司祭は記録しています。

「私は数百歩ほど行きまして、その家より約300メートルの所で、"罪人のよろどころ"なる御名のもとの修道会における童貞マリアの呼祷が
私の心中に入り来りました。私はわが最後のよりどころとしてこの良き御母に私自身を差し出していました。この時は真夜中でした。

私は急いでそれを唱え、それを終えた時、静けさの中で全熱意をもって私に行い得る修道会の祈祷の
"聖ベルナルドのメモラーレ"と数回"罪人のよりどころなるマリアよ、我らのために祈り給え。"
を祈りました。私は以下の祈りをもって祈祷を終えました。

『ああマリアよ!御身まことに罪人のよりどころに在しませば、御身のいと信心深きしもべの一人の御身について語りし事のまことなれば、
ああ、我御身に懇願し奉る。
かの地獄の淵に落つる用意の整いし哀れなる者を救い給わんことを、この時我に示し給え。
彼の無価値なるものにあらず御身の憐れみと仁慈に彼を向け給い、我が御身を祝し奉らんことを。
ああマリアよ!彼の置かれたる危うき状況より救い給え。
いみじくも御身にふさわしからざる、しもべの助けに来り給わんことを。』

その時私はすぐに引き返す事を促されている自分を感じました。
私がまだ戻る途中で、少し離れた距離の所より誰かが全速力で私の方に近づいて来るのが聞こえました。
私はその男性にどこに行くのかと尋ねました。
『ブルボンの司祭を探しに行くためです。』
『どうしてですか?』
『地主の告白を聴いてもらうためです。』
『それでは止まりましょう。私は司祭です。彼は決心したのですか?』
『はい、あなたを求めましたのは彼です。』
私は急いで戻りました。

到着した時に彼がすっかり変わっていたのを見ました。彼は腕を伸ばして言いました。
『師父よ、私に何でも御申し下さい。私の告白を聴き、私を助けて下さいます事をあなたにお願い致します。
私はあなたが出会いし中での最大の罪人です。』
良き信者であった彼の妻は、この幸いなる回心に大変喜びました。

私は彼の告白を聴き、終油の秘蹟を授け、この世を去る霊魂のための祈祷を捧げました。
それから少し後に彼は息を引き取りました。
そこにいた人々はこの出来事を忘れる事が出来ませんでした。
私はこれらが贖慮の聖母に全て起因すると考えます。」

 

<聖ベルナルドのメモラーレ>

「慈悲深き童貞マリア、御保護によりすがりて御助けを求めあえて御取次ぎを願える者、一人として棄てられしこと、
いにしえより今に至るまで、世に聞こえざるを思い給え。
ああ童貞中の童貞なる御母、我これによりて頼もしく思いて走せ来り、罪人の身をもって御前になげき奉る。
ああ御言葉の御母、わが祈りを軽んじ給わず、御憐れみをたれてこれを聴き給え。これを聴き容れ給え。 アーメン。」
(唱える毎に300日の免償)

MEMORARE, o piissima Virgo Maria, non esse auditum a saeculo, quemquam ad tua currentem praesidia, tua implorantem auxilia, aut tua petentem suffragia a te esse derelictum. Ego tali animatus fiducia, ad te Virgo virginum Maria Mater Iesu Christi, confugio, ad te venio, ad te curro, coram te gemens peccator et tremens assisto: noli, Domina mundi, noli aeterni Verbi Mater verba mea despicere, sed audi propitia et exaudi me miserum ad te in hac lacrimarum valle clamantem. Adsis mihi, obsecro, in omnibus necessitatibus meis, nunc et semper, et maxime in hora mortis meae. O clemens, o pia, o dulcis Virgo Maria! Amen.

 

<ある囚人と天使祝詞の話し>

ドイツのある有罪判決を受けた囚人が臨終を迎える時に、告白する事を拒絶しました。
イエズス会の司祭は彼を回心させようと祈祷、涙、償い、勧告などのあらゆる手段を用いましたが、成果はありませんでした。
しかしついに囚人は「一緒に天使祝詞を唱えましょう。」と言いました。
実はこの囚人はただやっかい者である司祭を追い払おうとしてその様に言いました。

そうして祈るとすぐに囚人の目より涙が滴り落ち、痛悔と謙遜に満ちた告白をして、聖母の御像を手にしてやがて息を引き取りました。

<天使祝詞>

「めでたし聖寵満ち満てるマリア、主御身と共に在します。
御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
天主の御母聖マリア、罪深い我らのために、今も臨終の時も祈り給え。 アーメン。」

Ave Maria, gratia plena, Dominus tecum. Benedicta tu in mulieribus,et benedictus fructus ventris tui, Jesus. Sancta Maria, ora pro nobis peccatoribus, nunc, et in hora mortis nostrae. Amen.

 

聖ドン・ボスコは聖母が罪人の憩いの場であり、また聖体の御母である事を明らかにした示現を与えられました。

聖ベルナルドは言います。「天主の御計画を見よ…それは全人類の救霊を望み給いし彼が、マリアの御手に満つる救霊の代価を置き給い、
彼が慈悲をより充分に分配せん事を可能となし給いし御計画である。」

聖なる公教会の外にある者は、我々がマリアを"我らの希望"と呼び奉る事に耐えられません。
彼らは天主だけが唯一我らの希望たりえるのであって、エレミヤ書17−5の中で彼が被造物に対し信頼を置く者を呪われると主張します。
この侮辱に対し聖なる公教会は、全司祭と聖職者がマリアの甘美なる御名を"我らの希望"として日々信心深く唱える事を勧めています。

 

 

Raccolta142.聖務日課の後の「Sacrosanctae」と一つの「主祷文」と「天使祝詞」>

教皇レオ10世が聖務日課、もしくは祝せられた童貞の聖務日課を唱える義務のもとにありし全ての者に与えられた。
それらに続いて、信心もてひざまずいて以下の聖ボナヴェンツーラ教会博士によりて作成されし「Sacrosanctaeを、
一つの「主祷文」と一つの「天使祝詞」を人性によりて犯せし全欠点と誤りの赦免の求めと唱えるならば、
これは適切なる免償を与えるのではなく、むしろ補償として、聖会の説明において犯されし欠点を補充します。
これに従いて、他の免償の如くに聖年の間に中止されない。

DICTA ORATIO

Sacrosanctae et indviduae Trinitati, Crucifixi Domini nostri Jesu Christi humanitati, beatissimae et gloriosissimae semperque Virginis Mariae fecundae integritati, et omnium sanctorum universitati sit sempiterna laus, honor, virtus, te gloria ab omnia creatura; nobisque remissio omnium peccatorum, per infinita saecula saeculorurn. Amen.

VBeata viscera Mariae Virginis, quae portaverunt aeterni Patris Filium.
REt beata ubera quae lactaverunt Christum Dominum.

Pater noster. Ave Maria.

祈願

「至聖にして完全なる三位一体に、我らのはりつけにせられし主イエズス・キリストに、終生童貞なる、
いとも祝せられし栄光に満てるマリアに、かつ諸聖人の全御団に、とこしえに賛美、誉れ、御力、
かつ全被造物の栄光のあらん事を。
かつ尽きざる世の我らの全ての罪の赦免となり給え。 アーメン。」

(先)「永遠の御父の御子を産み給いし童貞マリアの御胎内は祝せられん事を。」
(全)「かつ主なるキリストに吸わせし御乳は祝せられん事を。」

一回の「主祷文」、一回の「天使祝詞」

 

<悪しき望みと苦難より救われた話し>

1920年 教会認可

かくの如き大いなる不幸が次々と間断なくその家庭に起こり、その父親の天主と同胞におけし信頼は最も悪しき絶望にゆずり、
紐を取って出て行くと、首を吊る事を決意しました。
そこを去る前に、恐らくは心の動かされる視界が悪しき望みを妨げぬ様に、妻や幼い子供達をみつめる事を避けました。

彼の懸命なる目的の遂行のために、町外れにある柳の木の植えられた場所を選び、そこに行く途中に白い四角い紙の一部が
地面にあるのを見つけました。
彼はそれを拾い、裏返しました。
それは聖母の小さな御絵であり、その下に言葉がありました。
「ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らのために祈り給え。」

「これは大変素晴らしきものである。」と彼は考え、じっと立ち尽くし、「丁度今私はこの小さな御絵を見つけ、
拾ってこの言葉を読むべきであったのだ。」と言いました。
彼はもう少し先に進みました。
「我らのために祈り給え。」
彼は再び止まりました。

突然あたかも生への愛情が戻ったかの如くに感じ、唱えました。
「御身に依り頼み奉る。」
来た道を戻り、続けました。
「我らのために祈り給え。」

彼はひもを捨てて、この聖母の小さな御絵に接吻し、家族のもとに急ぎました。
妻と子供達を抱擁して赦しを乞い求めた後に、この御絵を見せました。
彼らは全員ひざまずいて唱えました。
「ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らのために祈り給え。」

その後この男は教区司祭に罪深き意向と天主の御助け、そして全ての苦難からの救いで知られました。
しかし彼は聖なる宝として常にこの小さな御絵を保持しました。
なぜならば、彼の救われし事は天主の御母のこの御絵の手段によりし事であるからだと言いました。


「ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らのために祈り給え。」

O Maria sine labe concepta, ora pro nobis, qui confugimus ad te.

 

 

<テオフィルスの奇跡

537年のシシリアにおいて、シャルトルのフーベルトの話しによって、テオフィルスというという男がいた事がわかります。
テオフィルスは司教に大助祭として仕えていました。
司教が亡くなった時、テオフィルスは司教にふさわしいほど、全ての教区民が彼を称えるほど、教会を管理しました。
しかし彼は大助祭として留まる事に満足し、他の誰かが司教として定められるのを願いました。

しかしやがて新しい司教が定められると、気の進まないテオフィルスから全ての役職を奪い、テオフィルスは絶望に陥りました。
そして奪われた光栄ある役職を回復するために、彼はユダヤ人の魔術師に助言を求めました。

魔術師は悪魔を呼び出し始めると、すぐに悪魔がやって来ました。
そこで悪魔はテオフィルスに命じ、キリストと御母と絶縁し、公教会の信仰を拒否し、自らの血を持って放棄と拒絶の声明と署名を記し、
封じて、自らの復職を願い求めました。

翌日になり、悪魔の操りによってテオフィルスは司教に呼び戻され、復職しました。

しかしやがて、哀れなテオフィルスは感覚を取り戻し、自らのした事を悔やみました。
自らの心の全ての信心を持って、栄えある童貞に依り頼みました。
ある瞬間に祝せられた童貞マリアがテオフィルスの前に御出現になり、厳しく彼の涜聖を叱責された後、悪魔を捨てるように命じられ、
世にあまねく公教会の教義と、天主の御子なるキリストと御母における信仰とを宣言させました。

そうして御母はテオフィルスを御自分と御子の恩寵のもとに戻されましたが、彼に与えた赦しの印として、
かつてテオフィルスが悪魔に与えた巻物を取り戻され、そしてテオフィルスが悪魔に仕えているという恐れを抱く必要がなく、
解放された事を示されるために、テオフィルスの胸に置かれました。

この贈り物を受け取ってテオフィルスは喜びに満たされ、司教と全ての教区民の前に出て、これらの出来事を全て報告しました。

全ての者は賛美の念に満たされ、聖母を称えました。
それより三日後、テオフィルスは主の平安のうちに息を引き取りました。

 

<聖マチルダと聖母>

かつて聖女が少々の過ちを犯した時、聖母は厳しい御顔つきで御出現になり、聖女が過ちを繰り返さぬように、
聖女に「金の鞭」をもって迫られました。

しかし聖女は「金の鞭」が聖母の優しさと愛を象徴しているのだと思いました。
これについて、聖女はかつてイエズスが聖母に次のように言われていたのを思い出しました。

「憶えて下さい、私の愛する御母よ。
御身のために私は罪人に対し寛容であり、私の選びし者(マチルダ)は、献身と共に一生御身に仕えたと見なします。」

イエズスによってマリアは全き優しさをもって御自らを与えられました。

 

聖母の被昇天の聖祭の間に、聖女はまた次のような幻視を与えられました。

そのよりどころのもと、聖母の御保護のもとに逃れた全ての者達を迎えられるかの如くに、聖母は外套を広げておられました。
そして彼らを悪魔より保護する一方、善徳に向かって励まされる、若く肌色白き童貞なる聖母に、
この祭日のために熱烈に備えを為した聖なる天使達が仕えていました。

そして多数の小さな動物達が現れ、それは信心深くマリアに祈る罪人を象徴しました。
マリアは大いなる慈悲と共に彼らもまた、御自らの外套にて覆われました。

聖体奉挙において、我らの主は御自ら、聖母の栄えある被昇天において主の御母に特別なる信心をもって聖祭を助ける
全ての者を祝福されました。
そのため、彼らの善き望みが強められました。

 

<勝利の聖母への祈り>

「ああ勝利の聖母、心のいと頑ななる者を克服し給う御身の天主なる御子と共に、常にかくの如くしろしめし給う御者よ。
天主の聖寵を放ち給えるによりて、彼らの心を和らげ、まことの信仰一致に引き戻されん事を、
我らの祈り奉る者らのためにとりなし給え。
我らの主イエズス・キリストによりて。アーメン。」

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」

 

<福者アンナ・マリア・タイギの祈り>

 

「御身のいと聖なる御足元にひざまずき奉る。
ああ大いなる天の元后よ、最敬と、御身が天主なる御父の御娘にして、天主の御ことばの御母、
聖霊の浄配であられし事を認むるにより、御身を崇敬し奉らん。

御身は宝物(ほうもつ)にして、功徳を配り渡し給う御者なり。
御身のいと潔白なる御心、仁慈、甘美さ、罪人への寛容において豊かなるは、我が御身を天主の御憐れみの御母と
呼びし理が為なり。
かくして大いなる信頼をもちて、苦悩と苦難の中で、いと愛する御母、御身に我を捧げ、御身の我への愛と共に、
真理を体験させ、御身にこいねがい奉り、もしも御旨に一致し、わが霊魂の益とならば、我に聖寵を得させ給わんことを、
ゆえに我は御身に嘆願し奉る。
我は御身にこいねがい奉る。
御身のいと浄き御目を我と、殊に、わが祈りに委ぬる者に向け給え。

悪魔の残虐なる戦いと、世俗と、我らの霊魂への肉の罪の報いと、彼らよりいかなるほどの滅びを招きしかをよくよく思わせ給え。
思い出て給え、いと優しき御母よ、われらは全て、唯一の御父より生まれし御子のいと尊き御血にあがなわれし子らなり。
いみじくも至聖三位一体にいと大いなる熱情をもって、嘆願させ給いたれば、我は悪魔、世俗、わが悪しき欲情のことごとくを
克服する聖寵を得ん。
この聖寵は、義人を一層聖化し、罪人を回心せしめ、異端者を打ち負かし、不信仰者を悟らしめ、ユダヤ人を改心さするものなり。

願い奉る、ああいと愛する御母よ、いと高き天主の尽きざる善徳のこの聖寵によりて、いと聖なる御子の御功徳によりて、
御身が彼に与え給いし乳によりて、御身が彼に仕えし世話によりて、御身が彼を愛し給いける御愛によりて、
御身の流し給いし御涙によりて、彼のいと聖なる御受難において御身の御苦しみの御心痛によりて、
世が全く一つの者の形となり、一なる公教会にほまれを与えん事を、そして至聖三位一体と、
我らのとりなし手なる御身に感謝し奉る大いなる賜物を、我らの為に得させ給え。

この聖寵が、御父の御力、御子の英知、聖霊の御徳によりて与えられん事を。アーメン。

 

激しき危難あり、子らの御母よ、みそなわし給え。
ああ御母よ、御身にとりて、そが与えられし全てに御憐れみあり。

力強き童貞、我らの為に祈り給え。 
「天使祝詞」一回。 この部分を3回繰り返す。

永遠なる御父よ、信ずる者の心にますます、御身の御娘、マリアへの信心をいや増し給え。 
「栄唱」一回。

永遠なる御子よ、信ずる者の心にますます、御身の御娘、マリアへの信心をいや増し給え。 
「栄唱」一回。

永遠なる聖霊よ、信ずる者の心にますます、御身の御娘、マリアへの信心をいや増し給え。 
「栄唱」一回。

 

<清浄を求むる祈り>

「ああ、白き小鳩の捧げもて、掟に対する一致のために聖殿に行き給いし祝せられたる天主の御母よ、
我にもまた掟と、御身の如き心の清浄を保たしめ給え。

マリアの甘美なる御心よ、わが救いとなり給え。」


(300日の免償。一ヶ月間続けて唱えるならば通常の条件下で全免償。)

 

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