聖アルフォンソ・マリア・リゴリオ教会博士の説教

天主の更に赦し給わぬ罪の数

 

本日の福音書においてイエズス・キリストは荒れ野に入り給い、悪魔は彼を神殿の頂きに置いて言います。「もし汝天主の御子ならばここから飛び降りよ。"天主は汝のために天使らに命じ給い、汝の足に石が打ち当たらぬよう、汝を手で支えん"と記されたればなり。」しかし聖書の中で主はこの様に仰せられたと書かれています。「また"汝の主なる天主を試みるなかれ"と記されたり。」

誘惑に抵抗するための努力を為さず、またそれを克服するための天主の御助けを求め奉る事さえせず、罪にふけり、ある日には主が危険から救い出し給うを望み、天主が御業を行われ給う事を、奇跡を、もしくはキリスト信者の一般性に及ばない異常な御憐れみを示させようと天主を試みるのです。

天主はまた使徒にも仰せられます。「天主は全ての者が救われ、真理を深悟せん事を望み給うのである。(一テモテ2:4)」しかしながら彼はまた我々自身の救いのために、少なくとも我々の敵共を克服する方法を用い、また彼が償いに我々を招き給う際にそれに服従し奉る事を望み給うのです。

罪人らは天主の呼びかけを聞き、しかし彼らはそれを忘れて彼を怒らせ続けます。天主は我々が犯す罪と同じくして、分配され給う聖寵を数え給うのです。従って天主が定められた時に到ったならば、天主は我々より聖寵を奪い給い、義罰を与えられはじめます。私は罪がある数に達する時、天主は更に赦し給わぬという事をこの談話の中で話すつもりです。注意深くあって下さい。

 

1.聖バジル、聖ヤロメ、聖ヨハネ・クリゾストモ、聖アウグスチヌス、また他の司祭方も聖書の御言葉によって天主のそれを教えます。「しかし御身は長さと数と重量において全てに均衡がとらるる様に取り計り給うた。常に偉大なる御力を備え給いたればなり。御腕の御力に誰が逆らい得ようや。(知恵の書11:21)」各々のために人生の日数や健康や才能の度合いを定められ、それを与え給い、従って天主は各々のために赦し給う罪の数もまた定め給うたのです。そしてその数が揃うならば天主は更に赦し給わないでしょう。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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