聖マリア・マグダレナ・パッジ童貞

 

「一つの服従の小滴は、いと優れし黙想の瓶の全ての滴より、百万倍もの価値があります。」

1566年イタリアで生まれる。
宗教的なしつけを受け、14歳の時に修院に入会するが、聖女に結婚させようとした家族によって一度家庭に戻された。
しかし聖女の修院生活を送る望みの方が強く、16歳の時にカルメル会で誓願を立てた。
神秘主義者であり、祈りと禁欲の隠れた生活を送り続けた。

1607年3月25日帰天。

1626年5月8日、教皇ウルバヌス8世によって列福。
1669年4月28日、教皇クレメンス9世によって列聖。

病者、性的誘惑における保護者。

 

<聖女の帰天>

1604年、聖マリア・マグダレナ・パッジが38歳の時、両足が治る見込みのない病にかかりました。

聖女は非常に痛みの強い痺れを経験し、他の修女らは痛みを減らそうと試みましたが、そうすると聖女には痛みが一層増したので、中止しなければなりませんでした。
聖女は寝たきりの生活を余儀なくされ、肉身のみならず、霊的な苦悶も残され、再び「霊魂の闇夜」を経験しました。

何の感覚もなくただ痛みだけがあり、そして孤独でありました。
主は御自らを聖女に与え給わず、聖女は主に対し、煉獄の苦しめる霊魂のために更なる苦しみをこいねがいました。
そしてもしこの病が癒されるのであれば、主の御旨を称えようとしていました。

そうして三年の月日が過ぎました。
最後の時は聖女が修院に別れを告げ、天つ御国の住まいに戻る時になりました。
聖女は院長に告げました。

「院長様、そして親愛なる姉妹達、私はあなた方のもとを去ります。
私の最後の望みは、あなたがただイエズスのみを愛し、全く彼に信頼し、そして彼への愛の為に全く苦しむ事を互いに励ます事です。」

1607年3月25日、聖女が41歳の時、聖女は天の御国に帰りました。
聖女がそれまで愛と慈悲を注いだ煉獄の霊魂達は、自分達が天の御国に入る事を許された時に聖女のために祈り、聖女が天の御国に入る時は、聖女を護送する事を待っていました。

聖女の御肉身は腐敗を免れました。

 

<ある煉獄の霊魂の幻視>

ある日聖女が御聖体の御前にて祈りを捧げている間、かつて修道女であったある霊魂が煉獄にて責め苦を受けているのを見ました。
跳ね上がる炎が自ら彼女の体を包み込み、取り巻きました。
彼女をその責め苦より守るものといえば、ただ彼女を覆う輝く白いローブのみで、それが燃え盛る炎より彼女を守りました。

その修女はかつて規則に対して忠実であり、敬虔なる生活を送った者であったのに、なぜ煉獄に入り、聖女の前に出現したのでしょうか?

この修女は生前、御聖体の御前で時を過ごす事を惜しみ、そして今、顕示されし御聖体の御前に進む事を望み、跪いて己を包む炎にも留意せずにいと信心深く崇めているのでした。
こうして彼女が再び主の御肉身なる御聖体を見奉るまで、一体どれほど長い時間がかかりましたでしょうか。

聖女はまた、この修女の償いが終わりし後に天の御国に入れられるのを見ました。

 

 

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