イエズスの御受難への祈り・信心

福者大アルベルトは、キリスト信者はただ私達の主イエズス・キリストの御受難について考えるか、黙想するだけで、
一ヶ月間毎金曜日にパンと水だけで小斎を行なったり、苦行として週に一回、流血するまで自身を鞭打ったり、
毎日詩篇全書を暗唱することよりも更に大いなる功徳があるということを啓示によって知りました。

 

<イエズスの茨の冠への祈り>

「親愛なるイエズス、私はあなたの悲しみの時、あなたの聖なる御頭に茨の冠をかぶせられたことを考え、嘆きます。
私は罪人の救いのため、永遠の御父にあなたの聖なる御傷の御功徳をお捧げし、茨の棘を引き取られることを望みます。
私はあなたの至聖なる冠の御功徳と私のすべての行いを一致して下さることを願います。
そうしてあなたが約束されました通り、彼らが多くの功徳を得ることができますように。 アーメン。」

 

 

<十字架上のイエズスのチャプレット>

このチャプレットは、赤い3個の小珠を1連とする3連と、十字架と十字架上のイエズスのメダイから構成されています。
もし専用のチャプレットを御持ちでなければ一般のロザリオを代用されて構わないと思います。

はじめに(メダイで)祈ります。

「良き従順なイエズスよ、私は御前に跪き(ひざまずき)ます。
私はあなたの五つの御傷を見、考えます。
あなた御自身のこの御姿を私に刻み込んで下さい。私の心の思慕を満たし、信仰、希望、愛、私の罪への後悔、
生涯の中で真の回心を御与え下さい。
十字架に磔にせられた主イエズス・キリスト、至聖なる乙女マリアの御子よ、あなたの聖心の愛といつくしみの中心を開き、
その中で私の心を御受け取り下さい。
私の心を全くあなたのものとして下さい。
私の祈りを聞き、私の願いをお聞き入れ下さい。 アーメン。」

「主祷文」 「天使祝詞」 「栄唱」を各3回唱えます。

 

 

<イエズスの御受難を崇むる祈>

「主イエズス・キリスト、主は世をあがなわんためにこの世に生れ、ユデア人に棄てられ、裏切者なるユダのために口づけをもって敵に売られ、
なわめを受けて罪なき子羊の如くとしょに引かれ、アンナ、カイファ、ピラト、ヘロデの前にあざけられ、偽証人の陥るるところとなり、
むち打たれ、辱められ、つばきせられ、ほほを打たれ、いばらの冠をかむせられ、よしにてたたかれ、衣をはがれ、十字架にくぎ付けにせられ、
酢と苦きものとをなめさせられ、やりにて貫かるるをも甘んじ受け給えり。
▲主、願わくは、われらの身に余りてかたじけなきこの尊き御受難と、聖なる十字架と、御死去とによりて、われらに地獄の苦しみを免れしめ給え。

また主と共にはりつけにせられて、悔い改めたる、盗賊を導き給いし処(ところ)へ、われらをも導き給え。
聖父と、聖霊と共にとこしえに生き、かつしろしめし給う主なるかな。 アーメン。」

 

 

<十字架上のイエズスの七つの御言葉への祈り>

「ああ天主なるイエズス、受肉された天主の御子よ、我らの救いがため御身は馬小屋にて生まれ給い、全生涯を貧しさ、
惨めさのうちにて過ごされ、十字架の苦しみに取り囲まれ死し給うを承諾し給えり。
わが臨終の時、御身の父なる御父にそれらを赦し給うよう告げ給え。
御身の御母に御身の子をみそなわし給わんことを告げ給え。
わが霊魂に”今日我と共に楽園にあるべし”と告げ給え。わが天主、わが天主よ、その時に我を見捨てることなかれ。
”我渇く”しかり、わが霊魂は生命の水の泉なる御身に渇きたり。
過ぎ去りしわが生涯は影の如し。
すみやかにすべては成し遂げられ給う。
それによりて、この時より全く永遠なるものに向かいて、わが崇む救い主よ、御手のうちにわが精神を委ね奉る。
主イエズス、わが霊魂を受け取り給え。」

「父よ、彼らを御赦し下さい。彼らは自分らが何をしているのか、わからないからです。」(ルカ23:34)

「あなたによく言っておく。きょう、あなたは私と共に楽園にいるであろう」(ルカ23:43)

「婦人よ、これはあなたの子です」「この方は、あなたのお母さんです」(ヨハネ19:26−27)

「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)

「のどが渇く」(ヨハネ19:28)

「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)

「父よ、私の霊を御手に委ねます」(ルカ:23:46)

…彼らは主の聖なる御頭に王冠を差し出さんとして棘で編まれて作られた帽を置きました。
この帽は固く鋭い棘の多くが頭脳の内部に、またそれらのうちのいくつかは耳や目や他のものに入る形で棘枝が
編み合わされており、こうした理由から主がこの茨の冠を受けられたことは最も大きな拷問の苦しみとなりました…
(尊者アグレダのマリア)

 

 

<十字架上のイエズスに向かう祈り>

「仁慈にしていとも甘美なるイエズス、我御前にひざまづき、ひれ伏し奉る。
預言者ダヴィドが主につきて、”彼らはわが手わが足を貫き、ことごとく数えたり”と言いし御有様を今日前に見奉りつつ、
心の大いなる愛情と苦痛とを持って、主の五つの御傷をひたすら眺め、かつ心にて思いめぐらし奉る。
信、望、愛の烈しき感情と、わが罪のまことの痛悔と、これを改むる最も固き決心とを、わが心にしみ徹らせ給わんことをひとえに願い奉る。」

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」を教皇聖下の意向によって唱えます。

(聖体拝領後に唱えれば全免償)

我らの主より聖大ゲルトルードへ

「もし誰かが聖なる意図をもってイエズス・キリストの十字架の御姿を見奉るのであれば、
天主は非常に快くお思いなり、かれの霊魂をお受け取りになられるうちにとてつもなき御徳と
御憐れみとをもってかれをお報いになり、くもりの無き鏡の如くに天の全宮廷は大いに喜ぶでしょう。
そして現世においてこの信心の行いを実行する奉仕は、来世におけるかれの永遠の光栄の増大に
比例します。」

 

<我らの主より聖マチルダへの啓示>

「私は我が受難の苦しみを全てあなたに始めから終わりまでを得させ、これをあたかもあなた自身の
所有物の如くに私に再び捧げて良い。
またこれを行う者は誰であっても我が御手より2倍を受け、かつこの捧げを更新して行う時は常に確実に
2倍を受け取るであろう。
またこの生涯のうちに、及び終わりなき生命の来世のうちにおいて、受け取るものは100倍である。」

 

祈願

「ああ、我がイエズスよ、御身に対し犯されたる侮辱のすべての償いのうちに、御身の苦しみを極められたる御受難の御苦しみの
全てを御身に捧げ奉る。 アーメン。」

 

祈願

「ああ、至愛なる御父よ、わが全ての罪に対する償いと代償のうちに、まぐさ桶の藁に置かれし時の悲しげなる泣き声より、
御幼年における全き無力さ、主の青春期におけし逆境、主の御成人時の御苦しみ、十字架上にて御かしらを垂れ給い、
大いなる嗚咽と共に御霊を任せられしに至るまでの、御身のいと愛し給える御子の全御受難を、御身に捧げ奉る。

そして、わが全ての怠惰に対する償いと代償のうちに、ああ、至愛なる御父よ、主のいと高き王座より童貞の御母に下り給い、
我らの陰悪満てる荒れ野に来たり給い、主の肉の克服の栄光を示されしに至るまでの、御子のいと聖なる御生涯と御語らい、
全ての思い、言葉、行いのうちにいと完全なるを御身に捧げ奉る。アーメン。」

 

<我らの主よりマリー・マルサ・シャンボン修女へ>

「我が茨の冠は、我が他の全ての傷よりも私に更なる苦しみを引き起こしたのである…
これはオリベト山の園の後よりの我が最も極めたる苦しみであったのである。」

「聖冠は信心深き霊魂がための功徳の源である…茨の冠はあなたの為の栄光の冠に値するであろう…
我が聖冠の功徳との一致のうちに彼女の行いを果たす霊魂は他の多くのものよりも更に多くの功徳を
得るであろう。」

<我らの主より聖マチルダへの啓示>

「誰であろうとわが御受難への黙想の中で愛をこめて我に向かいて嘆息をもらす者は、
あたかも新芽出づるバラでわが御傷に触れる如くであり、かつ私は愛の矢をもって
その者の心を傷つけるであろう。
更にその者がわが御受難上で信心の涙を流すならば、私はあたかもその者がわがために
苦難を受けたかの如くにそれを受くるであろう。」

 

愛の嘆息・涙の信心の祈り

「心より悲しみもて、ああ主よ、御身の聖なる御受難の全てを黙想し奉りて、我は嘆息せん。
御身の愛の矢もてわが心を傷つけ給わんことを、御身にこいねがい奉る。」

 

<柱にて鞭打たれ給いしイエズスへの祈り>

「裸のうちに裂かれ柱に繋がれ給いし御者、主イエズス・キリストよ!御身の困苦の懲らしめの鞭に耐え忍び奉る聖寵を
我に与え給い、わが罪によりて御心を更に苦しめざらんことを。 アーメン。」

 

<棘の冠をかむせられ給いしイエズスへの祈り>

「わがための愛ゆえに棘の冠を甘んじ受け給いし御者、主イエズス・キリストよ!現世の痛悔の棘もてわが心を貫く
聖寵を与え給いて、それによりて来世に我が御身の栄光の冠を受くるにふさわしき者と ならしめ給え。 アーメン。」

「イエズスが死去された瞬間、大地は震え主の十字架と左の盗賊との間の岩が大きく裂けた。
そこに居合わせた者は激しい恐怖に襲われた。
その時神殿の幕は裂け、壁はくずれ落ちた。多くの死者が墓から出てきた。
またもろもろの山や建物が崩壊した。
多くの者は胸を打ち嘆きながら山を下っていった。
他の者は自身の衣服を裂き、灰を頭からかぶり悔い改めた。
イエズスが死去されたのは午後3時少し過ぎであった。
地震と共に全世界、特にパレスチナとエルサレムにおいては多くの物が倒れ崩れた。
人々は逃げ惑い、泣き叫び、もつれながら走り回った。
墓から出てきた死骸に出会った彼らは身も凍る思いであった。
この死骸達はうつろな声で生ける人々に忠告しつつさまよい歩いていた。」
(尊者アンナ・カタリナ・エンメリックの幻視)

 

Raccolta 27 金曜日の午後三時における五つの主祷文と天使祝詞>

ミラノ大司教であった聖カロロ・ボロメオによって催された地方の第二会議によって、かの教区の全教会の鐘を毎金曜日の
九時課に、その時刻におけるイエズス・キリストの御受難を信心深き者達に想起せしむるために鳴らす事が命じられ、
また続いて三回の「主祷文」と三回の「天使祝詞」を唱え奉る者に40日の免償を与えられました。
我らの主が我らのために苦しみ給いしかの日とかの時刻の敬虔にして適切なる信心は、その後他の場所に導入されました。

またベネディクト15世教皇聖下は、この用いられ方が一様に限りなく公教会の世界全体にまで広められる事を望まれました。
1740年12月23日の彼の簡潔なる演説の中で御受難を述べ伝えられ、公教会中の全ての上長に、
聖なる服従の徳のうちに彼らの教会の鐘を毎金曜日に鳴らす事を命じられました。

また彼は続いて信心深き全ての者がひざまずき、我らの主にして救世主なるイエズス・キリストの御苦悶と御受難の
記憶のうちに、罪人の回心と教皇聖下の御心と共に祈る意向を持って五つの「主祷文」と五つの「天使祝詞」を
唱える事に100日の免償を与えられました。

ベネディクト15世教皇聖下は特別なる通達によってこの免償を発され、また聖なる会衆への布告よってあらたに
認可されました。
その免償の日付は1838年9月24日です。

 

<我らの主よりマリア・マルサ・シャンボン修女へ>

「汝の捜す彼を見よ、そして彼の有り様を!
罪人のためにわが御傷の功徳のわが御父への捧げによりて、わが御頭より棘を引き抜け…行け、霊魂を求めよ!」

イエズスのいと尊き御頭の棘の冠の黙想において、マリア・マルサ・シャンボン修女は栄光の光線が、
各々の棘よりほとばしり出るのを見ました。

 

<ノルウェーのマリアナ院長の幻視>

神秘家でもあったノルウェーのマリアナ院長(1342-1410)は種々の示現を与えられ、
それらは「天主の御愛の啓示」の中で発表されました。

「最初の示現はキリストのいと尊き御冠でありました。」

「そして直ちにその冠の下より熱く、鮮やかなる、数多の鮮血が滴り落つるのを見ました。
主の御受難の時に丁度かの如く為されし棘の冠は、わがために苦しみ給いし天主なる御者の、
祝せられた御頭に押し付けられました。」

「私はこの眼で御頭の絶え間なき流血を見たかの様に思われました。
示現は現実的にして、生けるかの如くであり、恐ろしく酷いものであり、また甘美にして愛すべきものでありました。
至聖にしてかしこき我らの天主なる主のいと優しく、控えめなる事を知り、私はそれより最大の慰めを受けました。」

「確かに彼より更に大いなる喜びがあるはずのなく、至高にして全能、尊貴にして全てにかない、それはまたいと身の低く、
謙遜にして親しみやすく、優しくあらねばなりません。
まさに事実において、この素晴らしき喜びは、天主にまみえ奉る時の我らの喜びです。」

 

 

<スウェーデンの聖ブリジッタの主の磔の幻視>

「柔和な子羊が屠殺に引かれし如く、主はこころよく上がられました。
そして、彼の御腕が伸ばされ、御右手を開かされてそれを十字架の上に据えられました。
御骨の中でも最も硬き部分を釘で通して貫通させ、それらの酷き責め苦が残酷に苦しめました。

またその後彼らは縄で荒々しく主の御左手を引っ張り、同じ様にしてそれを十字架に固定しました。
最後に彼らは、全ての処置を過ぎて、十字架上に彼の御身体を引き伸ばしました。

彼の十字架にくくりつけられし御足の上に、もう一方の御足のむこう脛を据えて、二本の釘でこのように
交わるようにされました。

その後彼らは、十字架に磔にせされし彼の御頭よりいばらの冠を取り、そして戻し、主のいと聖なる御頭に取り付けました。
直ちにそれは畏怖すべき御頭をかくの如く貫き、御眼と御耳を塞ぎ、御血に溢れました。

そして彼らの虐待を目の当たりにし、悲しみに満たされた私は、そうして最も嘆き悲しまれ、地面に身を倒され、
あたかも震えて半死の如くありし主の御母を見ました。

彼女はヨハネや、他の者達、十字架よりあまり離れていない右側に立ちし姉妹によって慰められました。
それから、言わば私が耐えられぬ苦しみの鋭い剣が私の心臓を貫いた如くに感じ、そのいと聖なる御母の慈悲の
更に新たなる御悲しみが私を立ちすくませました。」

 

<祈願>

「ああ大いなる御受難、ああ深き御傷、ああ多量に流されたる御血、ああ従順、ああ従順なる天主、
ああ残酷なる御死去よ、我を憐れみ給い、かつこれがわが救霊がためとなりせば、わが請願を聴き容れ給え。」

 

 

<主の御受難を分かち合わんこと>

聖カタリナ・デ・リッチは聖痕を受けた聖人でありましたが、ある日聖母が聖女に御出現になり、
御手には二つの冠を御持ちで、それらを聖女に差し出されました。
一つはイバラの冠であり、一つは銀の冠でした。

聖女は既に聖痕を受け、それによって身体が衰弱していたので、聖母に銀の冠の方を求めました。
すると聖母は言われました。
「カタリナ、あなたの浄配が召されたのはどちらでしたか?」

聖女は答えました。
「では御母マリアよ、わが主の召されし方を私の頭に御置き下さい。」

 

<啓示されし十字架の御像への信心>

ある日、聖大ゲルトルードが、愛を込めて十字架の御像に接吻した時、我らの主は言われました。

「ある者が、十字架の御像に接吻し奉るか、或いは信心をもってそれを見奉るその都度、天主の御憐れみが、
その霊魂に留め置かれるのである。
その者はそうして、自らのうちに、我よりこれらのやさしき御言葉を聴くのである。

「いかに汝を愛するかよ見よ、十字架上に固く留められ、裸とされ、見捨てられ、わが全身が傷つけられ、
四肢の全てが腫れ上がれども、まだわが御心は、かくの如く、なおも汝への愛が大いなるものとなり、
これが汝の救霊(たすかり)となり、他の仕方によりて救霊(たすかり)を得られざれば、ただ汝の為にのみ、
我が全世界の為に苦しみし全てに耐えるであろう。」

 

 

<我らの主の御受難の黙想について>

我らの主はかつて聖大ゲルトルードに、我らの主の御受難に同情を持って黙想し奉る者の為に、このように言われました。

「わが受難の黙想の有する価値は、わが御目において、他のものを限りなく超えているのである。
例えわが受難の短き黙想であれ、わが苦難と死去に直接言及せぬ、長く、数多き憐れみの行い以上の価値があるのである。」

しかし、主の御受難の黙想について、主を最も喜ばせるのは、主の御受難の謙遜と堅忍とに倣う事である事も示されました。

十字架に磔にせられし主は、また聖女に言われました。

「わが十字架の御姿に捧げられし愛、敬い、尊崇の一切の証しは、またわが受難の手本を真似ない限り、完全には受け取られぬのである。」

 

 

<主の十字架上の御苦しみの啓示>

聖マチルダはある時、我らの主の十字架上の御苦しみで最も苦しき事は何であったかを尋ねた。
主は答えられた。

「私が十字架の磔において経験した責め苦は最も酷きものであったが、わが肉身が非常に引き伸ばされ、
わが骨を全て数える事が出来る時の私の責め苦は言い表せぬものであった。

もし誰かがこの苦難に対して私に感謝を捧げるならば、その者は私の全ての御傷に塗油すると同じ大いなる奉仕を私に果たした事になる。

私の渇きに耐えしに感謝を捧げる者は、その者が私の渇きを消したものとして、私はそれをその者より受け取ろう。」

更に、もし釘によって十字架に固定された私に感謝を捧げるならば、その者が私を十字架より降ろしたる者として
私に受け入れられるであろう。」

祈願

「いと柔和にして感じやすき天主の子羊、三時間もの長きの間、十字架上にて、御身の全被造物の御愛によりて
いと痛ましくかけられし御者よ、我は御身に、御身の全ての御骨を数えることあたう、十字架上にいと残酷に引き伸ばされし時に
しのび給いし御身の、耐えがたき御苦しみに感謝し奉る。
我は御身に、この御苦しみによりて、我が肉身のあらゆる元によりて御身に対しかつて犯せし一切の罪の赦しをこいねがい奉らん。

ああ、いと潔白なる天主の子羊よ、御手のうちにありしあらゆる被造物の感謝と共に、
悲痛なる御声の"我渇きぬ"の御叫びをあげ、なお渇き給いしに、酢と胆汁とを飲まさんと与えられし御身の、世の救いのために
苦しみ給いし燃ゆる渇きに感謝し奉る。
我は御身に、この渇きの御苦しみによりて、我の過ぎたる飲食によりて御身に対し犯せし一切の罪の赦しをこいねがい奉らん。

ああ、いと柔和なる天主の子羊、崇むべき三位の三つのペルソナへの各位への感謝と共に、御身の聖なる御手足を刺し貫きたる鉄釘によりて
十字架にいと痛ましく留められ、しかして御身の御心臓は震え、御苦悶によりて御身の御肉身の全てが揺り動かされし時に
しのび給いし御身の、耐えがたき御苦しみに感謝し奉る。
我は御身に、わが手足の罪深き行いを洗い去り、御身のいと聖なる御傷を御父に示し給うによりて、我への天主の御怒りをなだめ給わんことを、
御身にこいねがい奉らん。アーメン。」

 

 

<主の御死苦の黙想>

我らの主は聖大ゲルトルードに明らかにされました。

「もしその者が罪を嘆くと共に、天主にわが御死苦を捧ぐるならば、その望みによって、私はその者が己を持ち上ぐる潔白さを保証し、
そうしてその者の罪は赦されるであろう。

しかり、この行いの徳によって、その者は現世の罰の赦免さえをも受くるであろう。

従いて、改悛の精神に一致する、わが受難の信心深き記念に勝る罪に対する特効ある医薬はないのである。」

 

 

<十字架に磔にせられしイエズスとの一致>

ある日聖大ゲルトルード童貞が自らに敵対する者達のために祈っていると、我らの主はそれを大変御喜びになり、
聖女の一切の罪の赦免を御与えになりました。

聖大ゲルトルード童貞は、同様にこの行いの価値と、キリストの御受難との一致のうちに為される一切の行いの価値を悟りました。

祈願

「ああイエズスよ、御身がわがために苦しみ給いし時の御愛との一致し奉りて、我はこの苦を受け、これを御身に捧げ奉らん。
我はこれを、御身の愛のなお育まれし御心に置き奉る。
これらをして、罪人の回心と、義なる者の堅忍と、みじめなる霊魂の助けと慰めとを得させ給え。」

 

Raccolta195

信心深き者が、聖金曜日に三時間の間、公的あるいは私的に主の御死苦と十字架上の主の御言葉とを黙想しようと努め、
或いはまた詩篇や聖歌や言葉を伴った祈りを行う者は、告解と聖週間の間の聖体拝領と、教皇聖下の意向を祈る事で全免償。

同様の方法にて、一年の他の金曜日に少なくとも十五分間主の御苦悶を記念し奉る者は、各金曜日に
7年の免償。
この信心深き修練を行った、その月の最終の金曜日に、月に一度、通常の条件下で全免償。

1815214日 聖座認可)

Raccolta196

いずれかの金曜日に「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」を、十字架に磔にせられし我らの主の御姿の御前にて
7回唱える敬虔なる修練を為す信心深き者は、7年の免償。
一ヶ月間の間、全ての金曜日に敬虔なる祈りを捧げた者は、月に一度、通常の条件下で全免償。

183784日 聖座認可)

 

 

 

 

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