私的啓示に対する在り方について

「もし彼が一度まことの示現を得たならば、彼は欺きを判別するでしょう。」(聖テレジア)

 

近年は全く認可のされていない私的啓示への一方的なる追従や公表、私的啓示を聖福音や聖なる公教会の教義よりも重んずる盲信の姿勢が一部で見受けられます。
ここでは公教会におけます私的啓示への信徒のあり方について考察したく思います。

 

御母マリアの(認可された)御出現による御言葉に対し、教皇ヨハネ23世は言われました。

「あなたの単純なる心と正直なる精神をもって天主の御母の有益なる警告に耳を傾ける事を勧めます。」

また教皇聖下は1958年2月18日に次の様に言われました。

「慎重なる審査の後にそれが認可された場合、普遍の善のために必要とみなし、その超自然的光を信者の注意のためにもたらす事は、新しい主義を示す目的ではなく、特権ある霊魂に自由に分配する行いのうちに我々を導き給う天主を喜ばせ奉る事である。」

認可されていない私的啓示や預言と称するものの無条件な受け入れは霊魂にとって非常に危険な事であるに違いありませんが、どの様な私的啓示でありましても、やはり聖書や公教会の教義以上に重んじたり、熱狂的になるべきではありません。

十字架の聖ヨハネは言います。

「霊魂が私的啓示の後を追いそれをいつでも受け入れる準備が出来ている時、悪魔は大変喜ぶ。この様な態度は妄想を示唆する多くの機会を与え、出来る限り信仰から遠ざけさせることが出来るからである。
その様な霊魂は乱暴になり、多くの誘惑に頻繁に堕ち、見苦しい服装をする。」

また特に近年は認可の是非を問わず様々な私的啓示や幻視に関する情報が氾濫し複雑になっていますが、ここでその幾つかに関して取り上げたく思います。

 

<マリア・ワルトルタの著述("神と人なるキリストの詩"など)に関して>

マリア・ワルトルタの一つの書では1960年12月16日に教皇聖下に刊行を命ぜられたとしています。
マリア・ワルトルタの著作は"幻視によって得られた情報による"キリストや聖母の御生涯の記述としています。
しかし彼女の著作は認可を受けておらず、読む事、他者に推薦する事も許されていません。

その内容が信心深き公教会信徒らに有害である事を認められたマリア・ワルトルタの一連の創作は、慎重なる調査の後に公教会によって公式に否認されました。

1959年12月16日に教理省は「神と人なるキリストの詩」と名づけられた4巻の作品を禁書目録に登録する様に命じました。

この書が禁書目録に据えられた際、これは「キリストの御生涯を悪しく小説化した」と評されました。
公教会信徒は禁書目録下において、これが天主によりて啓示されたものとして見なさぬ様に、それを実際に明確にする様に警告されました。

誰であれ、例え司祭であっても、重大なる理由なくこの書を簡単に手に取る事は出来ず、司教や上長の許可を要しました。
聖座のそうした判断にも関わらず、一部の自由的な推進者らは一方的に公表し、配布し続けました。

教皇ヨハネ23世は禁書目録への登録を承認され、彼女の作品に対する否認を公布する様に命じられました。
それは1960年1月5日に公布され、バチカン新聞「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」はその翌日に教理省の枢機卿の調査の要約に関する記事を掲載しました。
それはワルトルタの作品のいずれもが公教会によって否認された事を示しました。

1966年パウロ6世教皇聖下によって教会法の1399と2318の条文が撤廃され、事実上禁書目録が廃止されましたが、目録上の禁止、否認はそれらの有効性を保持しています。

1966年に、ラッツィンガー枢機卿はこの書の扱いに関して次の様に語られました。

「条文撤廃の後に幾人かの人々はこの作品の印刷、配布が許可されると考えたが、人々は"(1966年6月15日のバチカン新聞)Osservatore Romano"の中で再び思い起こした。
条文撤廃にも関わらず、その倫理を保持する事を"(同じく1966年の)Acta Apostolicae sedis"において公布された。
認められざる作品と、配布して推薦する事に対する決定は軽く非難されるものではなく、恐らくは廃棄され、かくの如き出版社が実害を無効とする重大な変更の後にのみ、一般の信者の間に息づく事が出来るのである。」

1985年1月31日に現聖下は次の様に言われています。

「この禁書目録はその道徳的な権限を全て維持するのである。
また従ってその配布者とその働きを勧める者は不適切と思われ、無効にして最も深刻な活動であり、その場合の罪が軽からざるのみならず、それらの出版者は更に多くの不用心なる信者に害を被らせる事になるのである。」

1993年にバーミンガムのボーランド司教は調査団を派遣し、またこの書に関わる「信仰の教義のための聖なる会衆」を記述されました。
現聖下はこれに答えられました。

「この"幻視"と"口述"は単なる自らのやり方でイエズスの御生涯を述べるための文学形式であり、その由来において超自然的と考える事は不可能である。」

教会当局の警告にも関わらず、一部の出版社は情報を偽ってこの作品を出版し続けました。
我々は聖なる公教会によってこれらの創作がイエズスと御母マリアの御生涯に関わる信頼性に欠け、しかも霊的にも有害であるとして明確に否認された事実を考慮すべきであり、これらの作品を信心深き公教会信徒は避けるべきであります。

 

「あらゆる啓示は伝達者における確実性で決定されます。
直接含まれる人と、霊性、心理的、道徳、啓示を受けた時の立場はどのようなものであったか?
正当な側で、聖ファウスティナの確実性と、彼女の堅固なる生涯の生み出した美しい信心はほぼ疑いのないものです。

一方で、神と人なるキリストの詩の著者であるマリア・ワルトルタのケースがあります。
彼女の私生活は、重要な疑問を引き起こします。
心理学者でもあったベネディクト・グロッセル神父の言葉において、
「ワルトルタ嬢は、非常に信心深く知的な人でありました。
彼女の人生の最後の10年は、誰とも会話する事が出来ない完全な緊張性統合失調症に費やされました。
この病気は、徐々に彼女の身におとずれました。
急性兆候が起こる以前に、そうした病気の経過に長年がかかるかもしれないと考える事は重要です。
この本は読む分には興味深く、特定の詩的な美しさがありますが、ラツィンガー枢機卿はこれを"一塊の神学上の不合理"と言及されました。」

 

 

<ミッチ・パクワ神父の解説>

「マリア・ワルトルタの数冊より成るイエズスの生涯は、異教に面白半分に手を出し、悪趣味を示しています。
その主張はローマによって拒絶されました。

「詩」は四つの福音で空白とされているイエズスの生涯の詳細を満たすとしています。
そうした物語は、西暦2世紀から生まれました。
幾つかはグノーシスの異端者によって書かれました。
幾つかはニューエイジとオカルト主義者によって、そして幾つかは敬虔な信徒によって、読者と聴衆を教化するためにイエズスに関わる話しがでっち上げられました。
ワルトルタは、彼女がイエズスとマリアの「秘書」であり、この上ない啓示を受けた事実を書き留めたと主張しました。
公教会はその主張を拒絶しました。」

<ジェームズ修道士の言>

「私は利用出来る第五巻を批判します。
"神と人なるキリストの詩"は、我らの主イエズスからの特別なる聖寵なしに、我々をワルトルタのイエズスによって一見無害な声明によって罠に陥れようとする大変悪魔的なものであり、我らの唯一にして聖なる公教会の御教えに反して彼らは虚偽と異端で囲みこもうとしますが、"我の教会を建てん、而して地獄の門は之に勝たざらん。"」

<その内容的誤りの一部の検証>

「マリアは16歳の時にヨゼフと婚約しました。」
尊者エンメリックはマリアの御婚約時の御年齢は14歳半の時であると伝えました。

「ヨゼフが約30歳の時、童貞マリアと結婚しました。」
尊者アンナ・カタリナ・エンメリックは結婚はマリアが14歳半で、ヨゼフが彼女よりも約30歳年上であったと記述しました。

「ヨゼフとマリアの婚約で、彼らは後に行うはずであった結婚式を執り行いませんでした。」
マタイの聖福音1:18−19において、ヨゼフはマリアの夫と明確に記されており、ワルトルタの記述の内容は不自然です。

「受胎告知において、マリアは御自身の純潔をあきらめねばならぬかを大天使ガブリエルに尋ねました。」
『恐らく主なる天主は彼のはした女の捧げをもはや受け入れ給わず、彼の御愛がゆえ、わが純潔を望まれ給わぬのでしょう。』
この非常に攻撃的なる主張は完全にマリアの貞潔と矛盾しています。
受胎告知においてマリアはためらい給わず、動揺されませんでした。
この"マリアからの啓示"とする文章は、あたかも主の御旨を変えられるかの如く、またもはや彼女に終生童貞なるを求むる事が出来ざるかの如くであり、主への忠実に対する疑いを示します。
それは天主の御旨に関する知識の欠如を意味し、天主の御旨を常に知り給いし無原罪の童貞マリアの御実存にあって、その両特性の可能性を失する事となります。

更にイエズスとマリアの長い発言があります。
イエズスと聖母はまるでおしゃべりの宣伝家のようです。
また多くの歴史的、地理的、もしくは他の大きな間違いがあります。

例えば、ネジが存在する以前の世紀であるに関わらず、「イエズスはネジ回しを使用されました。」(第一巻)とあります。

また聖母の御誕生が8月24日という事も認められていません。

 

この詩の第一巻では、みどり子と天使について言及しています。
マリアは彼女の母に、もしこれが天主に対し、愛の外にある罪人のために正しいかと尋ね、天主が赦し給うであろうとあります。
更に別所にて、マリアは自らに貞潔を捧げたとあります。
人間は誓いし己の貞潔を天主に対し捧げます。
マリアがそれらのような間違いをするとは思えません。

更にアダムとイブが聖寵の尽きざる賜物を有していたとあります。
しかし無限にして万事において建設的であるのは唯一天主のみです。

また他所において、あたかも天主が罪を犯し得るかの如くに、イエズスが御父に誘惑に引き入れられぬように求める箇所があります。

またイエズスがホモセクシャルであるように表現されている箇所も含まれます。

 

<第一巻における誤り>

「マリアは低い声で歌い始めます。
彼女はわずかに声を大きくします。
しかし彼女は大きな声では歌いません。
しかし声は小部屋を震わせ、人々は彼女の霊魂の震えを認知する事が出来ます。
彼らはヘブライ語で語るので、私には言葉がわかりません。
しかし彼女は時折"エホヴァ"を繰り返し、私はそれが恐らく聖なる歌であり、聖歌であると理解します。
マリアは恐らく神殿の歌を思い出されていられるのでしょう…。」

ワルトルタは「彼らがヘブライ語で語るので、私には理解出来ない。」と認めます。

(1)しかし彼女はマリアの歌の言葉で「エホヴァ」の名前が認められると言います。

(2)その後彼女の言う「マリア」は突然祈りのうちに変わります。
そしてそこではワルトルタの理解出来る言葉です。
それはヘブライ語でないならば、アラム語、古代シリア語、古代ギリシア語、もしくは言えるのはイタリア語です。
ワルトルタはそれを知っています。

(3)ドナルドアットウォーターの「カトリック辞典」には次のようにあります。

「西暦もしくはユダヤ暦紀元の前の数世紀は、畏怖より神(J.H.V.H)の聖名を発するのを止めました。
その聖名の代わりにアドナイが置かれましたが、後にキリスト教徒らはこれをエホヴァとして読み誤った。」

(4)1983年のアンガーの聖書辞典564ページの5に、神の名を発する事に関して、このような事が言われています。

「ヘブライ人達に知られていた神によって、この真の名を発する事を全く迷い、ユダヤ人達は自ら良心からそれへのあらゆる言及を避け、その代わりに偶然書かれた適当な母音記号による語、通例ではアドナイである、他のもので代用した。
彼らはYhwhを書くが、アドナイを読み続けた。
その名前の可能性が高いのは、ヤハウェである。
御名の単なる発声に対し、極刑が値する罪であると制定する事を結果的に意味するとした、崇敬に起源を発するこの慣習は、レビ記24:16の誤った解釈に基づき、そしてほぼ迷信に変化した。」

イエズスとマリアの時代において神の御名を発する事は、実に極刑に値する罪でした。

 

<メジュゴリエの自称「幻視者」の弁>

「出現」を否認され、信じる事を禁じられた「メジュゴリエ」における自称「幻視者」の一人の、ヴィッカの1988年1月27日のアメリカ人弁護士へのインタビューにおける言葉。

「聖母はもし人々がイエズスを知る事を望むならば、マリア・ワルトルタの「神と人なるキリストの詩」を読むべきであると言われました。
この書は真実です。」

 

権威を有する教会当局は、ワルトルタの創作を出版する事を禁じました。
多くの人々がその「詩」より自身の信仰と聖書を読む事に戻る事の助けとなる事と主張しますが、彼らは「詩」を読む事に対する公教会の決定には反抗的です。
如何にして、この難しい時期において、教会権威と知恵を無視する事が、公教会を新たにする事の助けとなり得るでしょうか?

 

<聖ピオ神父がこの著作を推薦したとされる話について>

聖座の言葉を無視し、マリア・ワルトルタの著作を出版し続けるイタリアのワルトルタセンターは、告解においてワルトルタの著作について聖ピオ神父に尋ねたというエリサルリッキ夫人の言葉を繰り返して主張します。
彼らは聖人が夫人に対し、これらの著作を読む事を奨励されたと言います。

これは告解の中でされたという話であり、その後誰も聖人に尋ねて確認する事の出来ない話です。
もし聖人がこの著作を推薦されたならば、一信徒の告解においてのみならず、公に主張された事でしょう。

 

<私的啓示の否認の実例>

否認のされたものの多くは、悪魔からきたものであるもの、人造的なものであるもの、もしくは当人の錯覚や幻想であると判断を下されましたものです。

<悪魔によるものの実例>

1487年に生まれた"十字架のマグダレナ"は17歳でコルトヴァの聖フランシスコ女子修道会に入会しました。
彼女には5歳の頃より悪魔が様々な聖人の姿をとって出現し、彼女が聖人とみなされるように望ませました。
彼女が13歳の時に悪魔は一つの契約を申し出て、彼女はそれに同意しました。
それは彼女の聖性に対する評判を広め、また少なくとも30年間の福楽を与えるというものでした。
それらは全て実現し、彼女は恍惚や空中浮揚、預言の力や聖痕が得られました。
その彼女が死の間際にあった時には、祓魔を要しました。

古来より、人造的な「私的啓示」が公表され信徒間に混乱を招いた例が多く、現在もその状況は一向に改善されておらぬ様に思われます。
教皇ピオ11世の御言葉は、これまでいかに真正の啓示が少なく、偽りのものがいかに多いかを示すもので、これは現在の状況に通じるものであります。

聖ボナヴェンツーラはかつて、公教会の諸問題と時の終わりに関わるそうした人間の手によって作成された「啓示」にはうんざりしていると述べました。

14世紀末の西洋における大きな分離の中で、実に多くの誤った啓示を得た人々は涜聖を続け、彼らは自らがやがて教皇になるであろうとさえ考えました。
こうした背景もあり、1516年の第5ラテラン公会議にて、教皇レオ10世は公に預言をもたらす事を説教師らに禁じる法を公布しなければなりませんでした。

教皇ピオ11世は1872年4月9日に、次の様に述べられました。
「私は預言に多くの確信を授けぬのである。なぜならそれら、殊に近年届くものは読むに値せぬからである。」

 

<偽りの啓示に関して>

教皇ウルバヌス8世は言われました。
「私的啓示に関する限り、もしそれをあなたが信じ、またそれが真正なるものと証明されしならば、信ぜざるよりも信ずる方が良く、あなたがそれに信を持つによりてあなたは幸福になるであろう。
なぜなら、我らの聖なる御母がそれを願い給うからである。
もしあなたの信ぜしものが誤りと証明されしとしても、あなたはそれが真正なるものの如くに全き祝福を授かるであろう。
なぜなら、あなたがそれを真正なるものとして見なしたからである。」

教皇の御言葉で注意せねばならぬのは、特定の「私的啓示」と称するものが公教会に反している事、もしくは否認である事を知りつつ勝手に信ずる事を許しておられぬ点です。
一部の司祭や信徒の誤った指導や勧めによって偽りや誤った私的啓示を受け入れてしまった限りの場合であり、否認可や公教会の教義に反する事を認知しつつ頑なに信奉、或いは他者に推奨する姿勢は全く正しくありません。

 

<判断の一つの鍵 謙遜>

全体的判断の中では謙遜が一つの大きな鍵となります。これは主イエズスが聖マリア・マルガリタ・アラコック童貞にも教えられています。
しかしサタンは人間を誤った謙遜へと導く事が出来ます。
例えば"自称神秘家"のテレサ・ノイマンの如くに、教皇聖下と霊的指導司祭に対する独立心の中で、他者への軽蔑や、証明さるべき事物に対しても自身の思想の中で頑なとなり、怒りの中で高慢を顕わします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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