「これは世の終わりの前に、天主によりて世に送り出されし最終の助けである。」
Nihil Obstat ダニエル・デゥイヴェスティン
Imprimatur ベルナルド グリフィン枢機卿
教会認可
このメッセージは、我らの主から1870年1月23日ベルギーのエンジーンで生まれた謙遜なフランシスコ
会第三会員ベルテ・ペティに託されたものである。
「世人に、私の聖心を貫いた悲しみと同一の悲しみによって貫かれた私の母の聖心を愛するように
教えなさい。」(1909年12月25日)
聖時間(1912年3月25日)に、聖母はこう御話しになった。
「私は自分を汚れなき宿りと呼びました。
あなたに対し、私は自分を悲しみに満ちた聖心の母と呼びます。
私の子が望んだこの称号は私にとって他の全ての称号にもまして愛すべきものです。
それがあらゆる所に広められるに従って、慈悲と霊的な復活と救いの恵みが与えられるでしょう。」
また我らの主は彼女に次の様に御約束された。
「わが御母の悲しみに満ちた汚れなき御心へのこの信心は、失意の心に、また荒廃した家庭に信仰と
希望を回復するであろう。
これは苦しみを和らげるであろう。
これはわが教会に新しき強さとなり、霊魂達を連れ来させ、わが御心のうちの信頼のみならず、
わが御母の悲しみの御心に明け渡すこととなるであろう。」
(ベルテ・ペティ作)
「常に清純かつ聖に在すマリアの悲しみに満ちた汚れなき聖心よ、わが霊魂が常にイエズスの御声に
忠実であり、彼の御愛に応え、彼の神的意志に従うよう、我が霊魂を御身の母なる御保護によりて
覆い給え。
おお我が母よ、我は御身の神なる御子の聖心と全く一致せる御身の聖心と親密に生きんがため、御身の
共償を絶えず我が前に置き給わんことを望み奉る。
御身御自身の御徳と御悲しみにより、我をこの聖心に結びつけ給え。我を常に守り給え。」
悲しみに満ちた汚れなき聖心の奇跡的な御絵
その起源を殆ど知られていないこの御絵は、ベルテ・ぺティが1918年の休戦時において学んだ全寮制の学校の地下室に
おいて発見されました。
軍隊がそこを引き上げた後、一人のシトー会修道女がボール紙の紙片に猥褻な絵が貼り付けられているのを見つけ、
それをむしり取って焼いてしまいました。
修道女はそれらがこの御絵の額を覆っていた事に気づきました。
この御絵の前での祈祷は実に際立った恩寵を祈る人にもたらしました。
教皇使節であった枢機卿、グランティオ・ディ・ベルモンテの力強く勧めた祈願で、教皇ベネディクト15世はこの呼祷に対し
1915年9月28日に100日の免償を与えられ、一年後には300日に延ばされた。
「今、機は熟した。私は人類がわが御母の悲しみに満ちた汚れなき聖心に向かう事を望んでいる。
全ての霊魂によりてこの祈願を発しなさい…この上なき救援としてわが御愛によって書き取らせたこの認可され、かつ免償を与えられた
祈願は決して一部の、またわが群れの小分けのためではなく、宇宙全体のためであり、そうしてこれはわが怒りをなだめるであろう
償い及び清めとして広がるであろう。」
「私自身の聖心をも貫き刺したる、わが御母の苦しみにて貫かれたる御心を愛する事を霊魂達に教えよ。」(1905年12月25日)
「わが望みはカルワリオ上でのわが愛より流れ出るのである。
わが御母にヨハネを息子として与える中で、彼女の悲しみに満てる母性に全世界を委ねたのである。」
「全ての霊魂に大きく叫ばせよ。"マリアの悲しみに満ちた汚れなき聖心よ、我らのために祈り給え。"」(1914年)
「わが御母の御心は、悲しみの称号の権利を有するのであり、また汚れなきそれの御前にその称号が置かれる事を私は望むのである。
なぜなら彼女はそれを既に獲得したからである。
公教会は私がわが御母のためにそのようになした無原罪の御宿りを正統に承認している。
私が今彼女のために求めし事は、彼女に正当なる資格によりて光栄を帰されるという事である。
人類の救霊のために受け入れ耐えたカルワリオ上の彼女の犠牲によりて、わが全ての苦難との密接な関係によって、彼女に値する
称号である。
彼女はその共済において殊に偉大であり、また従って、私が現したる呼祷が認可され、公教会によって広められ一斉にわが御心に
呼びかけられ、かつ聖祭の聖なる犠牲の後に全てのわが司祭によりて唱えられる事を願う。
既にこれによりて多くの聖寵が得させられたのである。また更に多くが与えられるであろう。
これが広められるまで公教会は高められ、世界がわが御母の悲しみに満ちた汚れなき御心への奉献によりて一新されるまで、
それは広げられるであろう。」(1911年9月8日)
「世人の心は改められるであろう。これは既知の信心によりて、唯一悟られ、発展され、説教され、いずこにおいても助言されるで
あろう。
これは世の終わりの前に天主によりて世に送り出されし最終の助けである。
この称号の下に、わが御母への普遍的な頼みがなされることを私は彼女のために望む。」(1940年7月2日)
「わが御母に依り頼み奉るによりて与えられし明光は、とりわけ迷える者と数多の罪深き霊魂の回心をもたらすであろう。
わが御母の汚れなき聖心の御悲しみへの同情は、彼らのための慈悲を嘆願するであろう。」
「あなたの祖国の救霊と内部の平和は、民の道徳の向上と、この信心によって新たにされ、私の求めている奉献をされたわが公教会への
信頼にあり、そうして、完全に私のものと一致した、わが御母の悲しみに満ちた汚れなき御心は愛され、ほまれを与えられるであろう。
救霊は、この一致せし二つの御心より来たるのであり、この奉献のうちに、
わが約束への信頼を持つならば、我らの愛は、その国で勝利するであろう。」(1912年)
「わが御母への信頼に満てし奉献によるわが聖心へのこの信心は、強められ、いわば仕上げられるであろう。
この信心、この奉献は、わが約束によりてわが公教会の刷新と、キリスト教に対する新たなる強さとなり、あまりに多く揺らぎし
霊魂のためのただ一つの聖寵の源には、従って愛と信頼と共に益々深くしみ入るであろう。」
ベルテ・ぺティは謙遜なフランシスコ会第三会員であり、マリアの悲しみに満ちた汚れなき聖心の使徒にして犠牲の霊魂でした。
彼女はフランコープロシアの戦争中、ベルギーのエンジーンに1870年1月23日に生まれ、1943年に帰天しました。
彼女は幼い頃より目に見えぬ聖痕を受け取っていました。その痛みは金曜日に最大となり、また両手足よりも最大の苦しみを与えたものは、
あたかも頭の中にくい込む様なトゲの如き痛みであり、彼女はこのため殆ど眠る事が出来ませんでした。
4歳の頃より我らの主と祝せられた童貞マリアの幻視の特権を与えられ、礼拝堂の前に跪く間、額に十字架のしるしをされた聖なる幼な子
イエズスによってこう言われました。
「あなたは常に苦しむが、私はあなたと共にあるであろう。」
10歳になり初聖体を受け、彼女はまた御聖体拝領の後、周囲を気に留めず祈りと黙想に長い時間を費やす事で知られました。
この初聖体の日に、彼女の長い人生における使命が啓示された事を一人の修道女に伝えました。
「私は非常に多く苦しまねばなりません。私はイエズスに似た者にならなければなりません。」
修道女は尋ねました。「誰があなたにそれを言ったのですか?」
「わが偉大なるイエズスである小さな御聖体です。」少女は即答しました。
彼女が39歳の時、降誕祭の深夜ミサの間イエズスの傷つきたる聖心と、すぐ近くに御母の貫かれし御心幻視し、この言葉を聞きました。
「わが御母の聖心の理によりて、愛され給いしがゆえに、わが引き裂かれし悲しみによりて貫かれたのである。」
そして確かに彼女は生涯の中で痛みを伴う病気や疾病によって幾度も苦しみました。幾度も生死の境をさまよい、終油の秘跡も7回受けた程でした。
しかし最も酷い苦しみとは霊的な苦難であり、悪魔の攻撃に絶えず悩まされていました。
彼女の霊魂は大きな恐怖、疑い、困惑によって常に苦しめられました。一つの顕著なる攻撃では、18段の石階段において悪魔によって文字通り
下方に投げつけられ、まず即死であるはずでしたが、我らの主の奇跡的なる御とりなしによって助かりました。
悪魔は非常に怒り、彼女を脅しました。
「私はお前の心を悩まし、心を冷酷にし、色情を与え、お前が死ぬまで私は戦おう。」
しかし彼女は全ての苦難を通じて他の者達への同情と心配りをもち、それを保ちました。
このつつましき犠牲の霊魂はいかなる公証も避けました。
また、高名なるマーシー枢機卿は彼女を個人的に知っており、我らの主によってマリアの悲しみに満ちた汚れなき聖心に彼の祖国を
捧げるべき事を求められた事などを書き残しました。
彼は天主の警告と御旨に服従する彼女の正しさを知っていた少数の人間の中の一人でした。
ドイツ軍がブリュッセルを去った約5年後に彼女が自宅に戻ると、何もかも略奪されていました。
彼女は一つの修道院の中で聖心の修道女達と居を構えねばならなくなり、しばらくの間それを受け入れました。
上長によって彼女が一切の食事をとっていない事が目撃され、彼女が割り当てられた部屋に一人の修道女が行き、午前に少量のコーヒー、
午後に一杯のぶどう酒をとらせようとしましたが彼女は即座に拒否しました。
懐疑的であったある修道女はまる一年の間、彼女の全ての言行を注意深く観察していましたが、この謙遜なる犠牲の霊魂を称えました。
彼女は御聖体だけで生きる事が確認されました。唯一イエズスだけが彼女を生かしました。
ある修道女は証言します。
「食事なき彼女の生活を知ろうと人々がやって来たその事実こそ、彼女のまことの禁欲でありました。」
ベルテ・ぺティは戦う使命に招かれました。
一つ目は彼女の人生の苦しみを捧げる事で、彼女は若き日に聖ヴィンセント・デ・パウロの修道女になる事を望みましたが、家族は貧しく
働かねばならなかったので修道女にはなりませんでした。
また十代の時には夢の中で天主に犠牲を捧げ、その犠牲はある日数多の霊魂を天主へと連れ戻す聖なる司祭の聖寵の源になりました。
天主は憐れみ深く彼女の捧げを受け取られました。
彼女はその後ある日、犠牲を捧げたその聖職者に会いました。
二つ目の最も深遠なる使命はアルザスの聖アンナの礼拝堂への巡礼中に啓示された「マリアの悲しみに満ちた汚れなき聖心への世界の奉献」
でした。
1943年3月26日の金曜日、彼女は73歳で帰天しました。
臨終の苦しみの中で幾度も主が「私は渇く」と言われるのを聴きました。
(1915年5月31日)
「これまで以上に国家の命運が御手の内にある彼に向かい奉り、そして我々の全信頼をもって悲しみに満ちたマリアの汚れなき御心、
イエズスと我らのいとも悲しみに満てる御母に呼びかけ奉る事によりて、彼女の力強き御とりなしによりて、戦争の迅速なる終結と、
平和と平穏の回復を天主の御子より得させ給うであろう。」
このチャプレットはメダイと、一つの大珠と七つの小珠の一連からなる五連によって構成されています。
もし専用のチャプレットをお持ちでなければ一般のロザリオを数を調節されながら用いられて構わないと思います。
まずはじめに次の祈りを唱えます。
「天主よ、わが助けに御意を傾け給え。主よ、わが助けに急ぎ給え。」
続いて各大珠で「主祷文」を唱え、各小珠で「天使祝詞」を唱えます。
このチャプレットは、マリアの汚れなき御心のチャプレットと、三つの小珠、環状部分は一連が五つの小珠と二つの大珠からなる
三連によって構成されています。
もし専用のチャプレットを御持ちでなければ、一般のロザリオを数を調節されながら用いられて構わないと思います。
始めに(メダイで)次の祈りを唱えます。
「至聖三位一体よ、マリアの御心に光栄と祝福とを贈らんがための御恵みのために、御身を称え奉る。」
続いて環状部分に進み、第一連ではマリアの御心の御喜びを記念して各小珠で「栄唱」を唱え、また各「栄唱」に続いて
「マリアの汚れなき御心よ、喜びえらぎ給え。」と唱えます。
そして一つの大珠で「マリアの悲しみに満ちた汚れなき御心よ、御身に寄り頼む我らのために祈り給え。」と唱えます。
第二連ではマリアの御心の御悲しみを記念して各小珠で「栄唱」を唱え、また各「栄唱」に続いて
「マリアの悲しみに満ちた汚れなき御心は祝せられんことを。」と唱えます。
そして一つの大珠で「マリアの悲しみに満ちた汚れなき御心よ、御身に寄り頼む我らのために祈り給え。」と唱えます。
第三連ではマリアの御心の栄光を記念して各小珠で「栄唱」を唱え、また各「栄唱」に続いて
「ああマリアの悲しみに満ちた汚れなき御心は勝利し、しろしめし給わん。」と唱えます。
このチャプレットのしめくくりに三つの小珠に戻ります。
一つ目の小珠で次の呼祷を唱えます。
「イエズスの至聖なる聖心、マリアの悲しみに満ちた汚れなき御心によりて御国は来たり給わん。」
二つ目の小珠で次の呼祷を唱えます。
「マリアの悲しみに満ちた汚れなき御心、わがより所となり給え。」
三つ目の小珠で次の呼祷を唱えます。
「聖ヨゼフ、悲しみに満ちた汚れなき御心の浄配、我らのために祈り給え。」
「ああ聖なる天主の御母、我らの家庭(或いは会)の全ての者は御身の御保護に走せ寄り奉らん。
丁度我らの天の御父が御身をナザレの聖家族の心にして御母となし給いしが如く、しかしてこの日の後も
また、御身は我らの霊的御母にして、我らの家庭(或いは会)の聖心なり。
御身に、御身の悲しみに満ちた汚れなき御心に、我らは今依り頼み奉りて、我らが御身の力強き御保護に
守られるを得、御身の母的祝福に恵まれんことを。
ああマリアの悲しみに満ちた汚れなき御心、我らの霊魂の敵共より各々を守り給え。
各々を祝し守り給い、ここ地上における我らの物質的所有物の全てが、天主のいや益々の誉れと栄光の
ため、そして霊魂の救霊と、煉獄において苦しめる霊魂、その惨めなる者の救助と解放のためとならん
ことを。
我らは御身に、御身の御保護の外套が各々を囲み、守り続け給わんことを、更に我らを恵み給うを示し、
祝し給わんことを、こいねがい奉る。
ああマリアの優しき御心、かつてカナにおいて新たに婚礼を挙げたる二人と、御身の従姉なるエリザベトの
家庭と家族とを祝し恵み給いしが如くあり給え。
御身の御絵(御像)において今より、ああマリアの悲しみに満ちた汚れなき御心、この家(建物など)に
おいて誉れがこの場を占め、御身がまことに我らの霊的御母となり給わんことを。
元后として我らの家屋に入り給い、御身の天主の御子イエズスの聖心の御国が我らのうちに益々
しろしめし給わんことを。
御身の悲しみに満ちた汚れなき御心への我らの奉献の結果、我らが今も臨終の時も御身の御保護の近接を
感ぜんことを。
我らは全くへりくだりて御身に各々の公教会においける最終の忍耐の聖寵と、とこしえに至るまで
天つ御国において御身と共に在す聖寵とを得させ給わんことを願い奉る。アーメン。
ああ童貞なる天主の御母、我は己を御身の子として委ね奉る。
御身の潔白と光栄のうちに、我はわが霊魂と肉身、精神と五官とを捧げ、我はまた、罪より我を守る
聖寵を願い奉る。アーメン。
御母よ、御身の子をみそなわし給え。
御母よ、御身の子をみそなわし給え。
御母よ、御身の子をみそなわし給え。
我はわが信頼を御身に置き、決して混乱せざらんことを。」
続いて次の呼祷を三回唱え、それぞれの終わりに「天使祝詞」を唱えます。
「マリアの悲しみに満ちた汚れなき聖心、我らを憐れみ給え。」
<聖母の悲しみに満ちた汚れなき聖心への信心に関わる啓示>
「悲しみに刺し貫かれしわが御母の御心を愛する事で、我をも貫くことを霊魂らに教えよ。(1909年我らの主より)
「私はあなたに、わが御母へのこの信心が奉献される、わが御心の望みを明示する。
この御心を愛し、他の者に愛させよ。
その愛は聖寵の源となり、あなたと全世界に対する大いなる祝福となる。
自らを完全に私に捧げよ。
わが御心の現実の望みは、あなたに委ねられている。」(1910年)
(1922年 祝せられた童貞マリアより)
「恐るべき火の粉が隠れていてさえ、予告なく、闇の夜の深まりつつあるが如くに、事態は引き寄せられつつあります。
その事態は、国々を火と血の中にもう一度飛び込ませるでしょう。
天主の義が救霊と、人々の浄めの対して負わされますに、これがどれほど必要であるかを予見しませんでしたら、わが母なる御心は、
ちぎれてしまいますでしょう。」
(我らの御母より)
「わが御子のものと似たる、私の御心の傷と、これより湧き出ださせるために備えたる聖寵の奔流を御覧なさい。」(1911年6月17日)
「わが望みは、わが御手によりて導かれしこの絵が、その呼祷と共に広遠に渡って広められることである。
いかなる所であれ、これが崇敬される所は、わが仁慈と愛が明示され、相共に傷つけられし如くに見えし我らの御心は、
なまぬるくて弱き霊魂らを勇ませ、彼らの務めに立ち返らせるであろう。」
一般のロザリオを用いて祈ります。まず始めに、私達の救い主の聖なる御傷を崇敬するために5回十字架の印を行います。
大珠で次の様に祈ります。
「マリアの悲しみに満ちた汚れなき御心よ、御身によりすがり奉る者のために祈り給え。」
小珠で次の様に祈ります。
「聖なる御母よ、御身の汚れなき御心の愛の炎によりて我らを救い給え。」
最後に「栄唱」を3回唱えます。