聖ヨゼフと聖人・御恵み

教会認可


チリのあるイエズス会宣教師は、1881年に臨終にある者の回心が聖ヨゼフによって与えられた証しをしました。

 

聖木曜日の間、私は御聖体の御前にて時間を過ごしていた所、ある病人について呼び出され、ずっと長い間告白をしていないが、
イエズス会、或いはカプチン会の聴罪司祭が送られるように願われているという事でした。

 

やっと辿り着き、私はこの人が長い間告解に行く事を望まず、更に、彼は己の衰弱、
そして告白をする事が出来ないと感じている事を教えられました。

私は病気を理解し、彼が横たわっている所の隣り合っている部屋より、伝染病の病臭が届きました。

私はこの惨めなる霊魂のたすかりを見捨てず、待ち、そして主にこの死にゆく者に尽きざる御憐れみを示し給うように祈りました。

司祭は外で待っており、私はしばらく、彼に付き添っている人々に願い、彼らは死の前に告解をしに行くように病人に嘆願しましたが、
この不運な男は、ただこのように答えるだけでした。

「私は告解には行かない。」

時間が過ぎ、この患者は私が訪問した事に対する感謝の言葉を伝えましたが、私はただ修院に戻るだけでした。

 

それから最初に、公教会の保護者なる聖ヨゼフに熱く祈った時、この霊魂が失われるのを許し給わぬ事をこいねがいました。
従って私は、死せる者の保護者なる彼に全き信頼をおき、一時間ではなく、必要ならば二時間待つ決心をしました。

二時間がそろそろ過ぎようとしていました。
新たにせる願いをもって、不運なるあの男のために聖ヨゼフにこいねがい、私の嘆願はますます熱くなりました。

祈りの間、突如私の心に閃光が走り、私は聖ヨゼフより送られし霊感として歓迎しました。
それは聖ヨゼフが、なぜあの病人が大変長い間、頑なに告解に行く事を拒んできたかの訳を、
聖ヨゼフが示され給うたかと思われました。

 

私は聖水を求め、そしてこの病人の室に近づくと、至聖三位一体の御名によりて三回、入り口と倉に聖水を振り撒き、
この言葉を各毎に繰り返しました。

「サタンよ、ここより離れよ。イエズス・キリストの御名によりて!」

この言葉をほぼ三度繰り返した時、男が娘に、既に出てしまった司祭を尋ねました。

司祭は聴罪のためにまだおり、病人は司祭に傍らに来て下さるように願いました。
病人は私を見るとすぐに

「わが天主!御身に謝し奉る!ああ善なる天主、我いかにして御身に謝せんや!」

と叫び、そして子供のように泣きました。

その間、あの伝染病の病臭は消えました。
そしてその病臭と他の何らかの突き刺さるようなものは、ここで彼にうつった、悪霊が私にもたらしたものだったのです。

 

その後彼は告解に行きました。
彼が御聖体を受けたいかどうか、翌日に塗油を受けたいかどうかを尋ねられた時、彼は答えました。

「いえ、明日ではなく、今日中に。もしそうであれば遅すぎるかもしれません。」

 

その夕べ、五時を半刻を回った時、終油の秘跡を受け、真夜中に息を引き取りました。
彼が息を引き取るまでの間の数時間、天主の御旨に対する委ねと愛の行いを絶えず行いました。
彼のベッドの周りには、大いなる養徳がありました。


「私は常に聖ヨゼフの善徳と聖水の効力を信じます。
聖ヨゼフの善徳と聖水の超自然的力の私の体験は、この回心の如くいとも明らかなるものです。」

 

 

<御聖体の福者マルガリタの言葉>

聖ヨゼフより語られる御恵みを受けた一人に、御聖体の福者マルガリタがいます。
彼女はこのように言います。

「私は聖ヨゼフが御計画のため、まさに御生まれより貴(あて)なる御者のために聖三位が備えられ給いし事を信じます。
彼は預言者エレミア、そして洗礼者聖ヨハネの如く、母の御体内の内にて聖化され、常に義なる生活を送り、
聖霊によって導かれました。
そしてその御方とは肉の交わりを持たず、ただ自然的な親交を持ちました。
聖三位は彼を世の腐敗より守り給られました。

光り注がれし御徳によりて、全ての芸術に通じておられましたが、彼の謙遜は、
大工の低賃金労働を果たす以外のいかなる働きをも請け負う事をさせませんでした。

御摂理は、謙遜と隠遁のこの精神に一致させ、占める事によって彼を養いました。

祝せられた童貞の御特例によって、聖ヨゼフはより教えられ、そして益々地上の他のいかなる者よりも天主の事物に目を開かれました。
彼の御特権は、イエズスの御養父の御権能、祝せられた童貞の浄配の聖性における超越、全人類の上に荘厳にして、
他の諸聖人を遥かに超えております。

イエズスとマリアに次いで、彼は霊肉においていとも完全なるものです。」

 

<癒しを賜う聖ヨゼフ>

ドイツに、聖ヨゼフの御とりなしを願う事によって数多の奇跡的な治癒を得させた敬虔な、名前の知られていない司祭がいた。
その司祭は1872年2月26日、このような啓示を受けたのであった。

「不治の病と呼ばれるもので、天主が聖ヨゼフのとりなしを通じて癒されなかったものはただの一つもない。」

そうして数百ではなく、実に数千の者が、聖ヨゼフの御とりなしによって癒されたのであった。
盲者も癌を持った者も、癒された。この司祭は、このように述べた。

「私はイエズス・キリストの御功徳と聖ヨゼフの御とりなしのうちに唯一の信頼をおきます。
数多の病者は、ここに来ずとも、家で癒されます。

私はユダヤ人には詩篇を祈るように、新教徒には七回の「主祷文」を、
そして公教会信徒には、七回の「主祷文」と、七回の「天使祝詞」を聖ヨゼフに光栄を帰し奉るために祈り、
そしてまたこれらの祈りを、煉獄の霊魂のためにも捧げなければならないと教えています。
各々は私の祈りに、己を委ねなければなりません。

通常、彼らは直ちには癒されませんが、数日か数週間後に癒されます。
1867年から戦争が始まるまで、一週間のうちに1万を超える人が癒された場合もありました。
ああ、聖ヨゼフの御とりなしによって、私自身に起こった素晴らしい事の数々を、あなたに個人的に語る事が許されますなら!」

 

 

<ある若き牧者の話し>

ある若者が修練院に入って間もなく、暴力的な誘惑によって困難に陥った。
それによって彼は、自分に相応しい忍耐を持ち合わせておらず、司祭となるに相応しくないと考え始めるようになった。
そうして彼は、神学校から密かに脱走と決心したのであった。

そうして脱走しようとしていた時、自分の部屋に壁に掛けられている聖ヨゼフの御絵に目がとまった。
そこで彼は聖ヨゼフに祈ると、祈り終える前にも直ちに勇気を取り戻した。
彼はそれまでの思いを全て振り払ったのであった。

彼はやがて司祭となり、幾年にも渡り、そして今なお聖務のうちに燃えているのであった。
彼は今もしばしば、その時の試みについて語っている。

「聖ヨゼフが私の助けに来て下さいませんでしたら、私は司祭にはなりませんでした。わが天の守護者に感謝し、称え奉ります。」

 

 

<敬虔なゲルソンの言葉>

敬虔なゲルソンは、天主の御母より聖ヨゼフについて示されるという聖寵を与えられた。

「マリアの御眼は、堕落した霊魂達の心にもなお一層清浄であり、貞潔のしずくがしたたっておりました。

この天つ御国のしずくは、祝せられし童貞マリアの御伝手(つて)に常にあらわとされしそのユリ、
聖ヨゼフに日々豊かに注がれ、新たなる照り輝きが彼の御心に分け与えられ、そうして最後に、
彼は人よりも天使に酷似していきました。
そうして聖ヨゼフの潔白は、ただ御自らによるものではなく、天からの賜物でありましたが、
聖寵への信心深き一致と、自らの功徳によるものでもありました。」

 

<聖トマス・アクイナスの言葉>

「幾人かの聖人は、確かなる必要性の中で、他の者ではなく、全ての場合、あらゆる必要性、あらゆる企てにおいて
我らを支える力ある御者、我らの聖なる守護者聖ヨゼフの並外れた霊効によって、彼らの守護を拡張せしむる特権を得たのであった。」

 

 

 

 

 

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