彼女は1890年、スペインのマドリードで生まれました。
非常に幼い頃より、我らの主との内的語らいの御恵みを受け、11歳で初聖体を受ける準備をしていた時に、我らの主よりこのように言われました。
「わが小さき者よ、あなたの全てがわがものとなる事を望む。」
これは即ち修道者になる事を意味していましたが、許される年齢になるまで、不屈の精神と大いなる信心をもって成長しました。
29歳になった時、彼女はフランスの「イエズスの聖心会」に入会しましたが、祖国と家族に別れを告げねばならない悲しみもありました。
また悪魔によって召し出しを疑わせるような誘惑をうける事もありましたが、悪魔の罠にかからぬように、主は彼女を強められました。
修院の中でも彼女は特別な形で我らの主と聖母より特別な方法で啓示を受けていましたが、謙遜をもって労働と雑用を行い、他の修院生活に変わりはありませんでした。
その中で、悪魔が度々天主を装って修院生活を疑わせるように仕向けたりもしましたが、他の修女らは彼女のこうした内的闘いについては知りませんでした。
彼女は悪しき声と闘い、強い祈りの生活を保ちました。
彼女は我らの主と聖母、聖ヨハネ使徒、聖心会の創設者である聖マグダレナ・ソフィア・バラより驚くべき幻視を受けていましたが、これらの事を知っていたのは、彼女の上長と聴罪司祭だけでした。
彼らは、彼女の謙遜さや深い精神を称えました。
彼女が受けた我らの主よりの私的啓示を全て書き留めて置くように、上長は指示しました。
犠牲の魂となった彼女は、その後大変な痛みを持つ病にかかり、33歳で息を引き取りますが、彼女の残した啓示は「天主の愛の道」として世界に知られるようになりました。
「わが選びし霊魂がそばにある限り、わが御心は決して傷つかぬのである。」
「ああ、世は私を怒らせるが、わが選びし霊魂の償いによりて救われるのである。」
「清貧・堅忍・寛容の小さき行いは、わが御心に数限りなき霊魂を得させる宝になるやもしれぬ。」
「私は霊魂にこれが解される事を望む。
本来的に価値を有するのは、行いではなく、それが為される意図である。」
「私はあなたが聖、大変聖になるを望む。
あなたはただ、謙遜と従順の小径となるのみである。」
「一つの忠実なる霊魂が償いて、数多の忘恩の者らに慈悲を得させよ。」