聖ヨゼフの七日曜日のノベナ

ある修道院にいた二十八歳になる一修女は、元来非常に健康に恵まれていましたが、喉を痛めてすっかり声が出なくなり、遂に病状が胃にまで広がってしまいました。
更に幾度かの手術の結果、修女は全く衰弱して胸にも背中にも激しい痛みを訴えていました。
医者はもう手のつけようがないと判断しました。

しかし修女達はこの診断にも失望せず、聖ヨゼフの御助けを願いながら、全き信頼を聖ヨゼフにかけて祈り続けていました。

病人は少しも快方に向かう様には見えなかったのですが、それでも繰り返し繰り返し、九日間祈祷を捧げていました。
病人はあまりにも衰弱していて、もう御聖堂に行く事も出来なくなりました。
そこで修道院では行列をして聖ヨゼフの御像を病室まで運びました。
そして修女らは病人の前で、聖ヨゼフが好まれるという七日曜日の信心の務めを全快のために始めたのです。

この期間、病気は回復せず、相変わらず苦しみもそのままでした。
それどころか、病人も修女らも、病人はもっと危険な病状に変わるだろうと予想して心配していました。

ところが七番目の日曜日になりますと、病人が突然、聖体賛美式に与るために歌隊席へ行きたいと申し出ました。
と言っても一人では歩く事が出来ませんので、大勢で病人の体を支えながら、運ぶようにして連れて行きました。

御聖堂に入った時は疲れ切って息切れがするほどでした。
しかしそれでも他の修女らと共に、聖体賛美式の聖歌をかすれ声で口ずさんでいました。

聖ヨゼフの力ある保護が現れたのはその時です。
式後院長は、この重病の修女が一人で歌隊席から出て来るのに会いました。
「院長様、私はもう普通の人の様に、はっきり話す事が出来ます。」
と全快した修女は大変感動しながら言いました。

そして再び歌隊席に入り、大きな声で聖ヨゼフの連祷を唱えていました。
これを聞いた修女らの驚きはどんなに大きかった事でしょう。

修院では愛する父、聖ヨゼフの御保護の効果を心から感謝し、喜び合いました。
病人はすっかり全快し、それ以来、また修院の会則に従って生活する事が出来る様になったそうです。
(聖ヨゼフに祈る より)

 

<聖ヨゼフの七日曜日のノベナ>

このノベナは七回の日曜日に続けて聖ヨゼフに光栄を帰し奉る意向を持って聖体を拝領し奉り、各日曜日に一つずつ聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみの祈りを捧げます。

<第一週 第一の御喜びと御悲しみ>

「ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失ならんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。
この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔さ良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。」

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」各一回。

 

<第二週 第二の御喜びと御悲しみ>

「ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。
御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。」

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」各一回。

 

<第三週 第三の御喜びと御悲しみ>

「ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。
御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。」

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」各一回。

 

<第四週 第四の御喜びと御悲しみ>

「ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。
御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。」

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」各一回。

 

<第五週 第五の御喜びと御悲しみ>

「ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。
わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。
この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。」

 

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」各一回。

 

<第六週 第六の御喜びと御悲しみ>

「ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。
御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。
御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。」

 

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」各一回。

 

<第七週 第七の御喜びと御悲しみ>

「ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。
御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。」

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」各一回。

「イエズス、三十歳に達し給いに、なおヨゼフの子と呼ばれ給えり。」

「ああ聖なる聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。▲キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。」

祈願

「ああ天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system