イエズスの聖顔への信心

聖顔の御絵の前にて唱えられる全ての祈りに対し、100日の免償。
(1876年12月11日 教皇ピオ9世認可)

 

聖ピオ10世教皇は、聖顔が全キリスト信者の家庭において崇敬される事を望まれました。

 

<主イエズス・キリストの聖顔を尊崇し奉る者へのマリア童貞への御約束>

1.我が聖顔によって奇跡を起こし、天主の御怒りをなだめ、罪人らの改心のための憐れみを引きおろすであろう。

2.この奉納の徳によって願うものを拒絶されることはないであろう。
ああ、もしこれを行なうならば、我が父が我が顔を御覧になり、どれほど喜ばれるかを知るであろう。

3.冒涜者共より我が顔に受けし傷の回復は、おまえの治療に比例するであろう。
私は罪によって損なわれているそれに治療を取り、私は我が肖像にこれを戻し、ちょうど洗礼盤に置かれた時と同様に
美しくするであろう。

我らの主は、言葉、祈り、もしくは記述によって、償いの働きのうちに主の申し立てを守る者にこれら全てを御約束なさいました。
主は御父の御前で彼らをお守り下さり、彼らの死の際に彼らの霊魂より罪の汚れを全く拭い去られることにより、
彼らは原初の美を取り戻すでしょう。

<幼きイエズスの聖テレジアの聖顔への祈り>

1958年10月3日 教会認可

「御身の痛ましい御受難において、”人々のとがめ、悲しみの人”となり給うたイエズス、その上に神の美しさとやさしさが輝いた
御身の聖なる御顔を私は崇めます。
これらの傷つけられた御目鼻立ちの中に、私は御身の無限の愛を認識し、御身を愛することを望み、
また御身が人々に愛されるようにしたいと望みます……私が御身の輝かしい御顔を天国で見ることが出来ますように!」

(聖テレジアの宗教名は幼きイエズスと聖顔のテレジアであった)

 

<聖顔への祈り>

「ああ、わが心優しき救い主の祝せられた聖顔よ、あわれみ深き愛及び御身の残酷なる御受難の時、
御身をながめられ給うた御母を刺し貫きたる御悲しみによりて、天主の聖なる御旨を我らの力の能(あた)う限り果たすがために
この激しき御悲しみ及び御愛を分かち合うを得しめ給え。 アーメン。」

 

<イエズスの聖顔への祈り>

イエズスの聖顔よ、わが喜びとなり給え。

イエズスの聖顔よ、わが強さとなり給え。

イエズスの聖顔よ、わが健康となり給え。

イエズスの聖顔よ、わが勇みとなり給え。

イエズスの聖顔よ、わが知恵となり給え。

イエズスの聖顔よ、われを養い給え。

イエズスの聖顔よ、御身の聖職者のふさわしきかがみよ、わが熱意となり給え。

イエズスの聖顔よ、霊の賜物よ、御身の愛を示し給え。

御苦難によりて悲しまれたるイエズスの聖顔よ、御身の御功徳によりてわが願いを聴き容れ給え。

アーメン。

 

<聖顔への祈り>

「すべての天使によりて崇められたる、イエズスの崇むべき御顔よ、御身が全世界に知られ、愛され、崇められんことを。
イエズスの聖顔よ、我、御身のみ前にて犯されたる多くの罪の償いのうちに、御身をますます愛し、光栄を帰するを望み奉る。
ああ、祭壇の崇むべき秘跡のうちに隠れ給うイエズスの聖顔よ、我、御身を崇め、愛し奉る。」

 

<あわれみ深きイエズスの聖顔のチャプレット>

一般のロザリオを用いて祈ります。まず十字架上で次の祈りを唱えます。

「全能の神と兄弟の皆さんに告白します。
私は思い、言葉、行ない、怠りによってたびたび罪を犯しました。
聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟の皆さん、罪深い私のために神に祈って下さい。」

「全能の神が私達をあわれみ、罪を赦し、永遠の命に導いて下さいますように。」

次に「主祷文」1回、「天使祝詞」3回、「栄唱」1回を祈ります。

 

<第一連の黙想:変容において、さん然と輝くイエズスの聖顔>

大珠で唱えます。「永遠の御父よ、すべての貧しき罪人のための償いのうちに、イエズスの崇むべき御顔を御捧げ致します。」

小珠で次の祈りを唱えます。

「あわれみ深きイエズスの聖顔よ、我らを救い給え。」

一連のしめくくりに「栄唱」を1回唱えます。

<第二連の黙想:御苦悶のうちに血の汗に浴したるイエズスの聖顔>

大珠で唱えます。「永遠の御父よ、すべての貧しき罪人のための償いのうちに、イエズスの崇むべき御顔をお捧げ致します。」

小珠で次の祈りを唱えます。

「あわれみ深きイエズスの聖顔よ、我らを救い給え。」

一連のしめくくりに「栄唱」を1回唱えます。

<第三連の黙想:侮辱の唾きによって汚されたるイエズスの聖顔>

大珠で唱えます。「永遠の御父よ、すべての貧しき罪人のための償いのうちに、イエズスの崇むべき御顔をお捧げ致します。」

小珠で次の祈りを唱えます。

「あわれみ深きイエズスの聖顔よ、我らを救い給え。」

一連のしめくくりに「栄唱」を1回唱えます。

<第四連の黙想:十字架上の御死去で垂れられたイエズスの聖顔>

大珠で唱えます。「永遠の御父よ、すべての貧しき罪人のための償いのうちに、イエズスの崇むべき御顔をお捧げ致します。」

小珠で次の祈りを唱えます。

「あわれみ深きイエズスの聖顔よ、我らを救い給え。」

一連のしめくくりに「栄唱」を1回唱えます。

<第五連の黙想:御復活において栄光に満ちたるイエズスの聖顔>

大珠で唱えます。「永遠の御父よ、すべての貧しき罪人のための償いのうちに、イエズスの崇むべき御顔をお捧げ致します。」

小珠で次の祈りを唱えます。

「あわれみ深きイエズスの聖顔よ、我らを救い給え。」

一連のしめくくりに「栄唱」を1回唱えます。

 

主の御受難の間にキリストの御顔を拭うために聖ヴェロニカに用いられた布であると言われる
聖ヴェロニカのベールの御顔の御絵は、サンピエトロ大聖堂に保たれています。
我らの主がマリア童貞に御約束をなさった時、殊に聖ヴェロニカの慈悲と敬いの行いについて
語られました。

 

<聖顔への信心を行う者への我らの主の御約束>

フランスのカルメル会において、聖マチルダと聖ピエールのマリア童貞が記した我らの主の聖大ゲルトルードへの御約束

1.私は彼らに罪の完全なる痛悔を与え、彼らの罪はわが視覚の中で貴重な金の宝玉に変えられるで
あろう。

2.この信心を行う者は誰でも、常に私から離れる事はないであろう。

3.彼らがわが御父にわが顔を捧げる際に、彼らは御父の御怒りを和らげるであろう。
彼らは貧しき罪人の赦しのための天の硬貨を得るであろう。

4.私は彼らが私に贈る全請願を聴き容れ給うよう、御父に懇願するするためにわが口を開くであろう。

5.私はわが光で彼らを照らすであろう。私はわが愛をもって彼らを費やし、
また私は彼らを数々の善なる働きを生み出すものとするであろう。

6.彼らは敬虔なヴェロニカとして、罪に激怒するわが崇むべき顔を拭うであろう。
また彼らの霊魂にわが御顔の顔立ちを印すであろう。

7.彼らの死において、私は彼らの罪によって消し去られし天主の御影を新たにするであろう。

8.わが顔の肖像を通して、彼らは永遠の生命をもつ他の多くの者よりも光輝き、わが御顔の輝きは彼らを喜びで満たすであろう。

 

 

<イエズスの聖顔のチャプレットU>

このチャプレットは、聖ペトロのマリア修女が1843年11月15日に我らの主より啓示されたものです。

聖アタナシオはかつて、悪魔共が「現れ給え、ああ主よ、御身の敵共を追い散らし、彼らが御身を嫌悪し、御顔の御前より逃げ出さんことを。」
の祈祷を嫌う事を語りました。

このチャプレットは我らの主の五官に光栄を帰し奉り、主の公教会の勝利を天主にこいねがい奉る意向をもって祈られます。

このチャプレットは、聖顔のメダイと十字架、3つの小珠と、1つの大珠と6つの小珠からなる5連によって構成されています。

33の小珠は主のこの世における御生涯を記念するためのもので、5連の30個の小珠では主の30年間の私的な御生活を思い起こし、
かつ主の五感に光栄を帰するために5連に分かれています。
聖顔に対し、主の五感の各感覚で受けられ耐えられた全ての御苦しみに対し、光栄を帰する事になります。
最後の3個の小珠では、主の3年間の公生活と、崇むべき聖顔に受けられた全ての御傷に対し光栄を帰する意向を持って祈りを唱えます。

もし専用のチャプレットを御持ちでなければ、一般のロザリオを数を調節しながら祈られて構わないと思います。

 

まずはじめに十字架の部分で「十字架のしるし」を行い、次の祈りを唱えます。

「主よ、わが助けに御意を傾け給え。主よ、わが助けに急ぎ給え。」 「栄唱」1回。

 

次にはじめの大珠に移ります。各大珠では次の祈りを唱えます。

「わがイエズスよ、あわれみ給え。」「栄唱」1回。

 

各小珠で次の祈りを唱えます。

「現れ給え、ああ主よ、御身の敵共を追い散らし、彼らが御身を嫌悪し、御顔の御前より逃げ出さんことを。」「栄唱」1回。

 

各連の7回の「栄唱」は十字架上のイエズスの七つの御言葉と、聖母マリアの七つの御悲しみに光栄を帰し奉るためのものです。

このチャプレットのしめくくりに次の祈りを唱えます。

「ああ天主、我らの保護者よ、御身のキリストの御顔の上に御目を投じ、我らをみそなわし給え。」

 

 

<スウェーデンの聖ブリジッタ 啓示の書より>

(人の子らのうちにて最も美しき御子)

祝せられた童貞より聖ブリジッタへ

「わが御子の如きは天上においてしか見られぬものであります。
しかしながら、彼が地上に在り給いし時のものに耳を傾けて下さい。
彼の御顔立ちは非常に美しくありましたので、彼を見てその御姿によって、悲嘆に心を打ち砕かれている者でさえ慰められぬ者は
ありませんでした。
正しき者は霊的な慰めもて慰められ、更に悪しき者さえ彼を見つめる限りでは世俗的な悲しみが取り除かれました。
そうして悲しみのうちにありました者は、"マリアの息子に会いに行こう。我々はその時に安らげるのだから。"
と申しますのを習慣としておりました。
彼が二十歳の時には男性的な強靭さと身の丈において申し分がありませんでした。
この近代においても体格と骨格は大ながらも大きすぎぬものでありましょう。

彼の御髪、御眉と御ひげは薄茶色であり、御ひげは手幅ほどであり長く、彼の御額は突き出ておらぬ穏やかなものでありますが、
しかし真っ直ぐなものでありました。
御鼻は穏やかで小さくなく大きくなきものでありました。
彼の御目は非常に澄み渡り、敵共でさえ喜びをもって眺めました。
彼の御顎は突き出たもの、長すぎるものではなく、美しく優雅で適度なものでありました。
彼の御頬は優雅さに満ち、適度に澄み、白くまた赤色で、また彼の全身にしみはありませんでした。」

 

<1938年のマリア童貞への啓示:聖顔の祝日>

「我がいかに苦しむかについて見よ。私は非常に少数の者によりて理解されているのである。
それらの一部の者達が我を愛するという事に、私は何と謝しているであろうか。
私は人間に対する偉大な愛の著しき的としてわが御心を与え、人間の罪に対するわが著しき悲しみの的としてわが御顔を与えたのである。

私はこれが四旬節の直前の火曜日(灰の水曜日の前の懺悔火曜日)に特別な祝日によりて光栄を帰される事を望む。
この祝日はわが悲しみとの一致における、信心深き者の償いの中でのノベナによりて先立つものとする。」

 

<教皇ピオ9世の祈り>

(聖アントニオの宝典より)

「ああわがイエズスよ、慈悲の一目を我らに投じ給い、御身のベロニカに為し給いしが如く、我らの各々に対し御顔を向け給え。
我らはそを肉身の眼もて見奉るならず、それゆえ我らは報いを受くるに値せざれども、そを我らの心に対し向け給い、かくして御身を覚え、
我らが常にこの強きの泉より、生の戦いを続くるに要する力を引き寄せんことを。アーメン。」

 

 

<我らの主よりマリア童貞に啓示されし祈願>

「ああ善きイエズス、"求めよ、さらば与えられん、尋ねよ、さらば見出さん、叩けよ、さらば開かれん"とのたまいし御者よ。
与え給え、ああ主よ、その信仰を全ての者に得させ、若しくは我らの足らざる内に供し給わんことを。
御身の御慈悲の清き効により、かつ御身の永遠なる栄光によりて、御身の尽きざる仁慈を探し求むる必要の聖寵を
我らに与え給え。アーメン。」

「あわが天主、我らの苦悩の只中において、我らを憐れみ、我らの祈りを拒否し給わざらんことを。
我ら御身の聖名を呼び奉り、愛と信頼とをもて御身の崇めむべき聖顔を尋ね奉らん。アーメン。」

 

<我らの主よりマリア童貞に与えられし、共産主義に対する戦いのための呼祷>

(1847年4月6日)

「天主よ現れ給いて、御身の敵共を追い散らし、彼らが御身を嫌悪し、御顔の御前より逃げ出さんことを。」 

「天主の三乗の聖名が彼らの全ての企てを打ち倒し給わんことを。」

「生ける天主の霊の聖名が彼らを不和によりて分裂し尽くし給わんことを。」

「永遠なる天主の恐るべき御名が、彼らの不信仰を全く滅ぼし給わんことを。」

「主よ、我罪人の死を望み奉らず、彼の回心と生命を望み奉る。
御父よ、彼らの行いを知らぬ彼らを赦し給え。」

 

<聖ペトロのマリア修女に啓示されし祈願>

「永遠の御父よ、我らの主イエズス・キリストの十字架と、彼の聖なる御受難の他の全ての手段を捧げ奉る。
御身の敵共の陣営に不一致を置き給え。
御身の至愛なる御子ののたまいし如く、"国の内部にて分裂せばおのずから滅びん"。」

 

<聖顔への祈り>

「ああ御身の御受難の日の十字架上において、世の救いのためにいと慈悲深く垂れ給いし、
崇むべきイエズスの御顔よ。
御身の御憐れみのうちに今、惨めなる罪人に向かい、慈悲の御まなざしを我らに投じ、
平安の接吻と共に我らを受け取り給え。 アーメン。」

 

 

<我らの主よりマリア童貞へ>

「私は再びあなたにわが聖頭を与え、わが御父の裁きを和らげるためにこれを御父に捧げよ。
ああ、もしこの力と徳と知ったならば、あなたはそれらのうちに留まるであろう。
またわが御頭がこの力と徳とを備えている理由というのは、わが御頭が人類の全ての罪に引き取られるからであり、
かくして我に属する者は救われるであろう。
従いて、わが永遠なる御父にわが御顔を捧げる事は、彼をなだめる手段である。」

「私はこの償いの行いを求める。
また最後に時の到来し確立されるであろうあなたの運ぶ未だ熟せざる実りをも求めるのである。」

「私にはいと大いなる希望があるのである。
よこしまなる者共の企ては裏をかかれるであろう。
この聖顔への償いの働きが啓示されし事は、そが果たされんためである。
この働きのために天主が私を地上に据えられ、主として私を知らしめ給いしが如く、今我の経歴が終えられるのである。
ああ、知られざるを人類に知らしめ給う天主が持ち給える御自らの申し分なく義の富は、いかにまことなりや。」

 

 

<重要なる償いの行い>

我らの主はマリア修女に言われました。

「ああ、もしあなたが涜聖に対する償いの精神のうちに"賛美にふさわしかりきは天主の御名"
一度唱える中で霊魂を得る栄光を知ったならば。」

「わが永遠の御父へのわが御顔の捧げによりて拒絶さるる事なく、数多の罪人の回心が
得られるであろう。」

「ああ、ただ涜聖に対する償いの精神のうちに、"賛美にふさわしかりきは天主の御名"
一度ずつ唱える毎にあなたが獲得する大いなる功徳を知るならば。」

 

 

<ノルウィックのユリアノ院長(1342年〜1416年)>

英国の神秘家に、キリストより示現を与えられたユリアノ院長がいます。

彼女は、1373年の5月に、我らの主の16の示現を与えられ、それらはイエズスの聖顔の神秘的幻視でした。

第一の示現は、キリストのいと尊き冠でした。

「わが為にに苦しみ給いし、天主にして人なる御者の、祝せられし御頭の、丁度イバラの冠に貫かれた
御受難の時、そして私はすぐに、熱く、新たな、多量の赤き御血が冠の下から、
下方に滴り落ちているのを見ました。」

「私は実の目で、主の御頭の絶え間なき出血を見るようでありました。
この啓示は、現実に、まことに生きておられるようでありました。
そして恐ろしく、酷きものであり、また甘美にして愛すべきものでありました。

至聖にして、恐るべき――我らの天主にして主なる御者は、大変控え目で優しくあられ、
それを知った事により、私は最も大いなる慰めを受けました。」


「本当に、それよりも大いなる喜びはあり得ません。
そして、至高、全能、尊貴、全てにかないたる御者は、またいと身の低く、謙遜で、友好的で、
優しくなければならなくもあります。
まさしく真理において、この素晴らしき喜びは、彼を見奉る時の我らの喜びです。」

 

<聖骸布への祈り>

「ああ主イエズス、際立ちたる驚異によりて、我らの為に、御身のいと聖なる御体をしるし給いし聖骸布を遺し給い、我らの救霊の為に、
御身のいと聖なる聖顔の御かたどりに、御傷と、引き裂きとによりて、よこしまなる者どもの残酷なる責め苦を受け、死に渡されし御者よ。

諸天使の熟視を切に願いたる、御身の聖顔の御かたどりを地上にて崇め奉りたれば、我らをして、天つ御国において永久にこれを
黙想し奉るに相応しからしめ給え。アーメン。」

 

<聖顔への愛の行い>

「わがイエズスの崇むべき御顔よ、わが唯一の愛、わが光明にしてわが生命よ。
我をして見、知り、ただ御身のみを愛せしめ、我に御身と共に生き、御身のうちにあり、御身のために生くるを得しめ給え。アーメン。」

 

 

<聖顔への御礼>

「我御身に御礼をなし、尊崇し、御身を愛し奉る。
ああわが救い主なるイエズスは、涜聖によりて再び侮辱を受け給いたれば、御身の祝せられし御母の御心によりて、
香と甘美なる芳香として、諸天使と諸聖人の賛美を、我御身に捧げ奉らん。
御身の聖顔の御徳によりて、我と万民のうちにある、罪によりて損なわれし御身の御影が回復し新たにされんことを、
御身にひれ伏して願い奉らん。アーメン。」

「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」を各一回唱えます。

 

<アシジの聖フランシスコの聖顔による崇敬>

「主が汝を祝し、守り給わんことを。
主が御顔を汝に示し給い、汝を憐れみ給わんことを。
主の御顔立ちを汝に向け、汝に平安を与え給わんことを。」

<祈願>

「わがイエズスの崇むべき御顔はいと慈悲深く在しまして、人類の救霊のために死去し給いしかの日に
十字架の木に垂れ給い、今再び御身の御あわれみは我らみじめなる罪人にいや増され、慈悲の御まなこを我らに投じ給いて、
平安の接吻のために我らを受け容れ給うなり。アーメン。
イエズスの聖心、我らをあわれみ給え。アーメン。」

 

<聖大ゲルトルード童貞の我らの主の御体への御礼>

聖大ゲルトルード童貞は、主の御体の各部に御礼を致す習慣がありましたが、聖女がそのように行う時、聖女の霊魂全体を光の放射に
さらされるようにして、そのように御礼をなした主のその聖なる部位より光が放たれるのを見ました。

 

 

マリー・デス・ドウレウルス院長は聖顔信心会の創立者でしたが、彼女は書きました。

「この聖霊による並外れた御相は、我々がイエズスの望まれる聖人になるために知る事を必要とする全てに対し、我々を学ばさせます。
かくの如き中心的重要のこの信心は、我々の生命力にして、これなしに生きる事はできません。」

イエズスの聖顔の使徒であった聖カエタノは、
「聖顔はわが生命にしてわが力である」
「もし我々が実際のイエズスの聖顔を崇め奉らんと望むならば、我々はそれを、イエズスの御肉と御血の在し給うところ、
御神威の御聖体のうちに見出し得るのであり、我らの主の御顔は、ホスチアの白きベールの下に隠れ給うのである」と言いました。

 

<マリア・ピエリナ院長の祈り>

「ああ、我らの優しき救い主の祝せられし聖顔よ。
柔和なる御愛と、御身の残酷なる御受難のうちに御身を仰ぎ見給いし御母を貫かれたる御悲しみとによりて、しかして我らの力の及ぶ限り
天主の聖旨を果たし奉らんがため、この激しき御悲しみと御愛とを我らにも分かち給え。アーメン。」

 

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