「誰か御身の美を描くを得んや。」(日記 313)

イエズスのいつくしみへの信心

「イエズスよ、我御身に信頼し奉る。」

主イエズスの聖ファウスティナ童貞への啓示

(IMPRIMATUR:教会認可)

 

「ああ世人の霊魂よ、天主の御怒りの日には何処に隠れ行くつもりでありましょうか?
今、天主の御憐れみの源の内により所を得て下さい。
ああ私の見たるは、何と大いなる数の霊魂でありましょうか!
彼らはこの天主の御憐れみを称え、全く永遠に賛美の歌を歌います。」
(日記2:230)(聖ファウスティナ童貞の言葉と幻視)

 

「あなたの能うだけ死に臨める者のために祈れ。
あなたの緒願によりて、わが憐れみにおける信頼を彼らに得させよ。
なぜなら、彼らが最も信頼を要し、また最もそれが少ないからである。
最期の時の確実なる霊魂の永遠の救霊の聖寵を保証するは、あなたの祈り次第である。」(日記1777)
(イエズスより聖ファウスティナ童貞へ)

 

 

<聖母に対し>

「より天主の御母に倣う事という事は、より深く天主を知るという事です。」(聖ファウスティナ童貞)

「ああマリア、わが御母よ、我よろずの事を御手の内に置き奉る。」(日記 79)

「御身よりて天主は地上とわが心とに天下り給いしが故に、ああマリアよ、御身は喜びなり。」
(日記 40)

「聖体拝領の前ごとに、私は熱く天主の御母に、来り給う彼女の御子のための備えの御助けを願います。
(日記 1114)

「この御者ほど、いかにして天主のために生くるを教え給うものありしや。」(日記 620)

 

<啓示されしイエズスの御言葉>

「あなたが見ているままに、”イエズスよあなたに信頼します”という言葉が刻み込まれている、
私の姿を描きなさい。
この絵姿を、まずはあなたたちの聖堂、それから全世界で崇敬して欲しい。
この絵を崇敬する人は決して滅びないと約束する。
そして、既にこの地上にいるうちに、特に臨終の時に敵に対して勝利をおさめる事をも約束する。
私の栄光として、この人を私自身が守る。」

 

「恵みを頂くために、いつくしみの泉へ近づく時、手にすべき器。」

 

「この二つの光は水と血を意味する。青白い光は霊魂を義とする水、赤い光は霊魂の生命である血を意味する。
この二つの光は、十字架上で死にかかっていた私の心臓が槍で開かれた時に、私のいつくしみの中から流れ出た。
これらの逃れ場のうちに住まう者は幸いである。
天主の義の御腕は、その者をつかまないからである。」

 

「私のいつくしみについて世界に話しなさい。
全人類は、私の限りないいつくしみを見極めるように。
それは終末の時のためのしるしである。その後、正義の日がやって来る。
まだ時間があるうちに私のいつくしみの泉に近づき、彼らのために流れた血と水を利用するように、
彼らに言いなさい。」

 

「私は、私のいつくしみへの礼拝を広める人を、母が自分の赤ん坊を見守っているように一生涯見守る。
そして臨終の時に、彼らにとって審判者ではなく、いつくしみ深い救い主となる。」

 

「私のいつくしみを賛美し、信頼するように、他の人々を励ますことによってこの礼拝を広める人々は、
臨終の時に決して恐れを味わうことがない。
この最後の戦いの時に、私のいつくしみがこの人を包む。」

 

「私の司祭達にこう言いなさい。彼らが私の限りないいつくしみについて、または罪人のために私の心に
あるあわれみについて語る時に、彼らの言葉を聞く、かたくなな罪人が悔い改めるであろう。
私のいつくしみを宣べ伝え、それを崇める司祭には、不思議な力を与える。
彼らの言葉を祝福し、彼らの言葉を聞く人の心を動かす。」

 

「私が霊魂に働きかけるためには、霊魂が信仰を持たなければならない。」

 

「旧約において、私は預言者らをわが者達に対する稲妻として用いた。
今日私はわが憐れみをもってあなたを人類全体に遣わしているのである!
私は痛める人類を罰するを望まず、それを癒すを望み、それをわが憐れみ深き御心に押し当てるを
望むのである!
彼らが自ら私にそれをする事を強いる時、私は罰を用いるのである。
私は義の審判者として来る前に、まずわが御憐れみの戸を広開する。
この戸を通りて入るを望まざる者は、義の戸を通りて入らねばならぬ。」(日記5:155)

 

「あなたが罪人のために祈る時、あなたは常に私を慰めるのである。
彼らの回心のためのこの祈願は私を最も喜ばする祈りである。
知れ、わが娘よ。この祈願は常に聴かれ、そしてこたえられるであろう!」(日記5:35−36)

 

「わが憐れみに信頼もて向かわぬ限り、霊魂は義とされない。」(2:39、40)

 

「行い、言葉、祈りによりて、それは第二の礎の如く……もし霊魂が何らかの他の方法において憐れみを
修めなければ、審判の日においてわが憐れみは与えられぬであろう。
ああもし霊魂がただ、如何にして彼らのために永遠なる宝を集めるかを知るならば、
彼らは裁かれる事なく、彼らはわが憐れみをもってわが裁きを制するであろう。」(5:57)

 

「わが憐れみの要求を思い出させよ。
なぜなら最も強き信仰さえ、憐れみの業なくしては何の効もないからである。」(2:163)

 

「痛悔する霊魂にとって、私は憐れみそのものである。」

 

「聖寵も、啓示も携挙も、霊魂に与えられる賜物も、親密なる天主との霊魂の一致なく、
それを完全にはなさないのである。
これらの賜物は、ただ霊魂の飾りであるが、その本質もその完徳もなさないのである。

わが聖化と完徳は、天主の御旨とわが御旨との一致に近づく事にあるのである。」
(我らの主より:日記1107)

 

<偉大な恵みの時間・午後三時>

「午後三時に、特に罪人の為に私の憐れみを願い、そうしてほんの短い間でも私の受難、
特に死ぬ時の私の孤独について黙想しなさい。
この時間は、全世界のための偉大ないつくしみの時間なのである。
あなたに、私の致命的な悲しみを悟らせる。
この時間に、私の受難によって私に願う人々を私は誰一人拒むことがない。」

 

「わが娘よ、(午後三時)この最上の時に十字架の道行きをなし、あなたの務めにそれを許すようにさせよ。
もしあなたが十字架の道行きをなすことが出来ないならば、少なくともしばらく聖堂に入り、御聖体のうちに慈しみに満てし
わが御心を崇めよ。
あなたが聖堂に入ることがかなわないならば、あなたがたまたまそこにいるという場所で、
ただ大変短い時に、祈りのうちに己を浸せ。」(我らの主より:日記1572)

 

「しばしばあなたが(午後)三時の鐘を打つのを聞く時、わが慈しみのうちに己を浸し、これを崇め、光栄を帰せ。
全世界、殊にみじめなる罪人のために、この全能を願え。
この時刻にはいつくしみが、全ての霊魂に対し広く開かれている。
この時刻に、あなたは自身と他者に対して願うあらゆるものを得る事が出来るのである。
これは全世界に対する、義を超えたいつくしみである聖寵の時刻である。」(我らの主より:日記1572)

 

 

<午後三時に勧められる祈祷>

・「イエズスよ、御身は息を引き取られたりけるが、生命の源は霊魂らがためにほとばしり出で給い、
御憐れみの大洋は全世界を開きたり。
はかりしれぬ天主の御憐れみよ、全世界を包み給い、かつ御身御自らを我らに現し給え。」(日記6:59)

 

・「ああ、イエズスの聖心から我らのために御憐れみの泉として湧き出ずる御血と水よ、
我御身に信頼し奉る。」(日記1:35)

 

<午後三時に捧げられる祈り>

この祈りは啓示されたり、聖人によって唱えられたものではありませんが、午後三時の信心に現在使用される事があります。

 

「愛する主よ、御身の御死去をしのび給いし時を思い出で給え。
しかして我ら、永遠の生命を受くるを得ればなり。
御身の我らの為の犠牲の必要に、我らの心のうちに感謝せしめ、御身の御助け、御導き、聖寵によりて
我らをそれにふさわしからしめ給え。」

「1937年2月2日。
今朝早朝より、天主の吸奪が、わが霊魂にしみ入った。
聖祭の間、しばしば思っていたように、小さきイエズスを見奉りたいと思った。
しかし今日は聖祭の間、私は十字架に釘づけられ、大なる御苦悶のうちにはりつけにされたイエズスを見た。
主の御苦難は不可視の方式でわが霊肉を貫いたが、それは最大の苦しみだった。」(聖ファウスティナの日記)

 

「ああ、このチャプレットを唱える霊魂らに与えるわが聖寵はいかに大なるか。」
御憐れみのチャプレットを唱える者に対するイエズスからの聖ファウスティナ童貞への言葉)

「ああ、もし苦しめる霊魂が、ただ天主がそれをいかに愛し給うを知るならば、
その霊魂は幸いの余剰と喜びの内に死ぬるでありましょう。
いつの日か我らは苦難の価値を知りますが、我らは苦しむ事が出来ません。
今この時は我々のものです!」(聖ファウスティナ童貞の言葉)

 

「我は渇く。
霊魂の救霊に渇く。
霊魂を救うために我を助けよ、わが娘よ。
あなたの苦しみをわが受難に一致させ、それを罪人のために天の御父に捧げよ。」
(我らの主より聖ファウスティナへの言葉)

 

 

<チャプレット>

「この祈りの花束を絶えず唱えよ。
この祈りを唱える者は誰であれ、臨終の時には偉大な憐れみを受くるであろう。
司祭はこの祈りを最後のより所として罪人に与える。
いとも罪深き者であろうとも、この祈りの花束をただ一度唱えるならば、
わが尽きざる御憐れみより聖寵が与えられるのである。
私は、全世界にわが御憐れみが知られる事を望む。
わが御憐れみに信頼する者達に、想像もつかぬ聖寵を与えたいのである。」

 

聖ファウスティナ童貞は1935年9月13日に与えられた神秘的な体験について書かれた。

「夕方、自分の部屋にいる時、神の怒りの天使を見ました。
世が必ず悔い改めて償いを果たしますから、暫く御待ち下さるように天使に願いましたが、
天主の御怒りに対して私の願いは無力でした。

その時、私は内面的に聴こえる言葉で世界のために天主に願い始めました。
このように祈ると、天使の無力な姿を見ました。
天使は世が罪のために受くべき義罰を与える事が出来ませんでした。
かつて、これほどの内面的な力を持って祈った事はありませんでした。

翌朝、我々の聖堂に入ると、このような内面的な言葉が聞こえました。」

『聖堂に入る度に昨日私があなたに教えた祈りを唱えなさい。
この祈りを普通のロザリオを用いて次のように唱えなさい。
始めに「主祷文」、「天使祝詞」、「使徒信経」を一度ずつ唱えてから、
「主祷文」の珠の所で次の言葉を唱える。

「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる我らの主イエズス・キリストの
御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」

 

「天使祝詞」の珠の所で次の言葉を唱える。

「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

最後(しめくくり)に次の言葉を三度唱える。

「聖なる天主、聖なる全能の天主、聖なる永遠の天主よ、我らと全世界をあわれみ給え。」』

 

このチャプレットは一般のロザリオを用いて祈ります。

はじめに二つの祈りを行います。(この祈りは任意のものです。)

「イエズスよ、御身は息を引き取られたりけるが、生命の源は霊魂らがためにほとばしり出で給い、
御憐れみの大洋は全世界を開きたり。
はかりしれぬ天主の御憐れみよ、全世界を包み給い、かつ御身御自らを我らに現し給え。」

「ああ、イエズスの聖心から我らのために御憐れみの泉として湧き出ずる御血と水よ、
我御身に信頼し奉る。」

各三つの小珠でそれぞれ、

「主祷文」「天使祝詞」「使徒信経」を各1回ずつ唱えます。

 

中心のメダイから各大珠で次の祈りを唱えます。

「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる我らの主イエズス・キリストの
御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」

 

各小珠で次の祈りを唱えます。

「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

このチャプレットのしめくくりに、次の祈りを3回唱えます。

「聖なる天主、聖なる全能の天主、聖なる永遠の天主よ、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

 

<聖ファウスティナによるチャプレットの御約束を受けし記録>

 

この晩、若者が臨終にあり、大変な苦しみにありました。
彼のための意向をもって、私は主が教えられたチャプレットを祈りはじめました。
私は祈り終えましたが、彼の苦しみはなお続きました。
私は諸聖人の連祷を唱え始めましたが、突然このような言葉が聞こえてきました。

『チャプレットを唱えよ!』

私はこの霊魂が、大いなるいつくしみと特別なる祈りの助けを必要としている事を理解し、
わが独房の部屋の鍵を閉め、天主の御前になげき、この霊魂に対する御いつくしみをこいねがいました。

すると、天主の大聖と大義を感じ、私は畏れを感じて震え始めましたが、
この霊魂に対する主の御いつくしみを願うのを止めませんでした。
そうして私が誓願を立てた時に受けた、胸にある十字架の御像をとり、その若者の胸に置き、主に申しました。

『イエズス、私の終生誓願の日の、わが自決をみそなわし給いし同じ御愛をもちて、
また御身の御いつくしみを願いし者に、その者に幸いなる死の聖寵を与えるの御事をして、
この臨終の者への敬意のうちにわがために約束し給いし御力によりて、この霊魂を顧み給え。』

その若者の苦しみは突然終わり、平安のうちに息絶えました。
いつくしみのために未だ時間のある間に、いつくしみの霊益をいただきましょう。」(聖女の日記より)

 

 

<天主の御憐れみへの祈り>

「ああ大いに憐れみ深く在し給う天主、限りなき善よ、今日全人類が惨めさの深淵より大いに呼び叫ぶは、
御身の御憐れみ、御身の御慈悲に向かいてなり。
ああ天主、そはその叫べる惨めさの力強き声なり。
慈悲深き天主よ、地上のちくたくのこの祈りを拒絶し給うな。
ああ主、我らの理解を超えし善、我らの徹底したる惨めさを知り、かつ我らの自力によりては
御身のもとに昇れざるを知り給いし御者よ、我ら御身にひとえに願い奉る。

御身の聖寵もて我らを見越し、御身のいや増したる御憐れみの内に我らを保ち給いて、
我らが忠実に御身の聖なる御旨を、我らの全生涯を通じ、そして臨終において為し奉らんことを。
御身の御憐れみにおけし全能が、我らの救霊の敵共の矢より我らを覆い給い給わんことを。

我ら信頼もて御身の子らとして、ただ御身のみが知り給えるその日の、御身の最後の来臨を待ち奉る。
かつ我らは、我らの惨めさに関わらず、イエズスによりて我らに約束されしもののことごとくを
得らるるを思わん。
イエズスゆえに我らの希望あり。
開かれし門の如くに、彼の憐れみ深き御心によりて、我らは天の御国へと通り抜けん。」(日記5:143)

 

 

<聖ファウスティナ童貞の己が国のための祈り>

「いとも憐れみ深きイエズスよ、御身の諸聖人の御とりなしと、殊に御身の御幼少より御身を養い給いし
御身の至愛なる御母の御とりなしにこいねがい奉る。

わが祖国を祝し給え、イエズス、我御身にひとえに願い奉る。
我らの罪を顧み給わず、飢えと寒さにありし苦しみの、幼な子らの涙をみそなわし給え。
イエズスよ、無垢なる者達のために、我がわが国のために御身に願い奉る御恵みを、我に与え給え。
アーメン。」

 

 

<天主の御憐れみの道行き>

この信心は聖堂の十字架の道行きの留を使用せずに行います。

 

第一留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼の聖体の御制定と、御受難の記念がため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第二留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼の園にての御苦悶がため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第三留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼の鞭打ちと茨の冠がため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第四留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼の死刑を宣告されしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第五留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が十字架を担い給いしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第六留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼の十字架の重みの下に倒れられしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第七留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が苦しめる御母に出会われしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第八留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が十字架を担う助けを受け入れられしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第九留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼がベロニカより慈悲を受け取られしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第十留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が婦人らを慰め給いしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第十一留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が裸にされしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第十二留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が十字架に磔にせられしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第十三留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が十字架上に死去されしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第十四留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が葬られしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

第十五留.「永遠の御父よ、我らと全世界の罪の償いがため、御身の至愛の御子なる
我らの主イエズス・キリストの御体と御血、及び御霊魂と御神性とを御身に捧げ奉る。」
(ここで沈黙して主の御受難を黙想して次の各呼祷に続きます。)
「彼が死より復活し給いしがため」
「イエズスの悲しみを極められし御受難によりて、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

この御憐れみの道行きのしめくくりに、次の祈りを三回唱えます。
「聖なる天主、聖なる全能の天主、聖なる永遠の天主よ、我らと全世界をあわれみ給え。」

 

 

肉身の憐れみの行い

・飢えている人々に食料を施す。
・渇いている人々に飲料を施す。
・着る物のない人々に衣類を施す。
・家のない人々に避難所を提供する。
・囚われた人々を慰める。
・病者を訪問する。
・死者を葬る。

霊的憐れみの行い

・罪人に教え諭す。
・無学の人々を指導する。
・疑う人々に善き勧めを行う。
・悲しめる人々を慰める。
・人々の過ちに対し忍耐強くある事。
・自分を怒らせる者を赦す事。
・生者と死者のために祈る事。

 

「全世界にわがはかり知れぬ憐れみについてのべ伝えよ。」(日記1142)

 

「その憐れみが天主の御特性にして、いと大いなるものなるをのべ伝えよ。
わが御手のうちに、よろずのそれらの業は、憐れみの冠を授けられるであろう。」(日記301)

 

「いかなるものであれ、あなたの力の範囲の中でわが憐れみへの信心を広めよ。
あなたの欠きたるものを私が補う。
苦しみに満てし人類に、わが憐れみ深き心によりすがるように教えよ。
かくすれば、私は彼らを平安持て満たすであろう。」(日記1074)

 

「よろずの善は、私の在す聖体拝領ゆえである。」(日記1392)

 

「私があなたに与えたこのチャプレットを唱えるように霊魂らを励ませ。」(日記1541)

 

このノベナによりて、私は全ての可能なる聖寵を霊魂らに与えるであろう。」(日記 796)

 

「全世界のためにわが憐れみをこいねがえ。」(日記 570)

 

「わが憐れみを呼び求め奉りし霊魂の失望する事なし。」(日記 1541)

 

「何であれ霊魂は祈りの状態にあるべきであり、清浄にして美しく、
或いは失いし美の代わりとなるものをもって祈るべきであり、この浄められし、
しかるべき祈祷に続いて霊魂はひたむきに努めるのである。

霊魂は新たに回心し祈るべきであり、また或いは失いしものの代わりとなるものをもって祈るべきである。
罪深き霊魂、罪のうちに身を投ぜし霊魂は祈るべく、かくして再びよみがえるのである。
祈る義務なき霊魂のなく、各々の聖寵は祈祷によりて霊魂に来るのである。」(日記 146)

 

「もしわが御旨に違わなば、このチャプレットによりて、あなたは何事をも得られるであろう。」
(日記 1731)

 

「わが努力をくじく霊魂がある。」(日記 1682)

 

「ただ己が生活のみに熱心なる、愛、或いは信心なく、エゴイズムと利己主義とに満てし霊魂ども、
自尊と尊大さとに満てし霊魂ども、虚偽と偽善とに満てし霊魂ども、なまぬるき霊魂ども、
私はこれらに耐える事能わざるのである。

彼らに全ての聖寵を注ぎ出すも、彼らは岩の表面の如くである。
彼らは善でも悪でもない故に、私は彼らに耐える事能わざるのである。」(日記 1702)

 

復活祭の次の日曜日のいつくしみの祭日の祝し方

<1>復活祭の次の日曜日を祝する。
<2>我々の全ての罪を心から悔やむ。
<3>イエズスに完全なる信頼を置く。
<4>当日か祭日の数日前に告解に行く。
<5>聖体拝領する。
<6>この天主の憐れみの御絵を崇敬する。
<7>我々の祈祷や行いをもって、他の者達に憐れみの業を行う。

 

 

「世界に彼の大いなる御憐れみについて語り、慈悲深き救世主としてではなく、
ただ審判者として来り給う彼の再臨に世を備えさせなさい。

ああ、何とその日の恐ろしい事でありましょうか!
決然たるその審判の日は、天主の激怒の日であります。
諸天使はその前に身を震わせます。
よろずの霊魂に、まだ御憐れみが与えられている間に、この大いなる御憐れみについて語りなさい。」
(日記635 聖母マリアより聖ファウスティナ童貞へ)

 

「私は救霊のために、あなたの苦しみを要する。」(1938年2月20日)


「霊魂のまことの偉大さは、天主への愛と謙遜のうちにある。」(我らの主より 日記427)

「霊魂の全ての罪深い会話に、犠牲が求められる。」(我らの主より 日記961)

 

 

「私は二本の道を見ました。
一つの道は広く、砂と花で覆われていました。
そして喜び、音楽といった様々な楽しみに満ちていました。
人々は、それに沿って歩いていました。
そして彼らは踊って、楽しみました。
彼らはそれを理解する事なく、(道の)終点に達しました。
突き当たりに、怖ろしい絶壁がありました。
つまり、地獄の深い穴であり、霊魂らは盲目的にそこに陥りました。
彼らは倒れていきました。
彼らを数える事は不可能であるくらい、莫大な人数でした。

そして私は、もう一方の道を見ました。
それはもう一つの道よりも狭く、棘と岩が散らばっており、その道を歩いている人の目には涙があり、
ありとあらゆる苦しみが彼らにあって、幾人かは岩でつまずきましたが、すぐに立ち上がって
歩き続けました。

道の突き当たりに、種々の福楽に満ちた、素晴らしい庭園がありました。
そして全ての霊魂はそこに入りました。
(そこに入った)最初の瞬間に、彼らはこれまでの全ての苦しみを忘れました。」(日記153)

 

「あなたの特別なる道として、三徳を崇めよ。謙遜、浄き意向、愛である。」(日記1779)

 

「わが御心は霊魂達のために、大いなるいつくしみに溢れている。
もし彼らがただ一つ、彼らのためのいつくしみの溢るる奔流としてのわが御心からの御血と水にして、彼らの為に私が御父に対し
最上であることを解する事が出来るならば。
私は彼らのために、いつくしみの王としての幕やに住まうのである。

私は霊魂達にわが聖寵を授ける事を望むが、彼らはそれを受ける事を望まぬのである。

ああ、数多の善徳と数多の愛の証明に、霊魂達はどれほど無関心であるか!

彼らはあらゆる事に対する時間はあるが、聖寵のために我に来たる時間はないのである。」(日記367)

 

「主は御自らの御特質を知らせるための沢山の光を
私に与えられました。

第一の御特質は、主の御聖性を知るために、主が私に与えられたものです。
主の御聖性は、全ての力と万徳も、主の御前には震えだす、いと大いなるものであり、この天主の御聖性は天主の公教会と、
全ての生者の霊魂に注ぎ出されておりますが、それは等しき量ではありません。
天主によって完全に浸透された霊魂、かろうじて生をつなぐ者がおります。

知の第二種として、主の義の憂慮を私に御与え下さいました。
主の義は、大変鋭く、万事の思いに深く届きますので、全てのものは、真実をさらけだした姿で、主の御前に立っているのです。

第三の御特質は、愛といつくしみです。
私はまた、このいと大いなる御特質が愛といつくしみである事を理解しておりました。
創造主と、その被造物の結びつきです。
その巨大な愛といつくしみの深淵は、御言葉の御託身とあがないのうちに知られるものであり、私はここに、天主の御特質のうち、
いと大いなるものを拝見致しました。」(日記180)


「これらのいつくしみの光線は、あなたを通り越し、この聖体を通り越して、全世界に至るであろう。」
(日記441)

「ああ、この天主のいつくしみの奇蹟の霊益を受け取らざる者は何と不幸せであろうか。
あなたは声を張り上げるだろうが、しかしあまりに遅いのである。」(日記1448)

 

「天国の水門は、謙遜な霊魂を受け入れます。
そうして聖寵の海は、霊魂の上に流れ落ちます。
天主はそのような霊魂に対して、拒絶されません。
それは全ての力であり、全世界の命運にも影響を与えます。

天主はまさしく王座にまで、そのような霊魂を上げられます。

そして霊魂の方が畏まってしまうほど、
天主はよりその霊魂にかがまれます。
そして主の聖寵でその霊魂を追いかけ続け、全ての瞬間にその霊魂に主の全能を加えられるのです。」(日記1306)

 

「私はあなたのような霊魂を探し求めているが、それはわずかである。
あなたの私に対する大いなる信頼は、私に絶えずあなたに聖寵を与えさせるのである。」(我らの主より:日記718)

 

「天主はその霊魂に対する、御自らのみ御存じである
特別な方法によって霊魂に近づかれます。
この一致のうちに愛が司り、唯一愛のみによって、あらゆるものが達せられます。

優しく甘美なる方法の中でイエズスは御自らを御与えになり、主の深きうちに平安があります。
主は霊魂に数多の聖寵を御与えになり、それを主の永遠なる御思いを分かち合うことができるようにされます。

そしてしばしば、主はその霊魂に、天主の御計画を示されるのです。」(日記622)

 

「心より我を愛する、現世に生きる霊魂がある。
私は喜びをもって彼らの心の中に住まうが、しかしそれは少数である。
修院にも喜んでわが御心を満たし、わが造作を運ぶ者はあるが、それは大変に数が少ないのである。

彼らは天つ御国の御父の義の御前に、世のために慈悲を得させる手段である。
これらの霊魂の愛と犠牲が、今存在しているこの世界を支えさせているのである。」(我らの主より:日記367)

 

「あなたは私の最終の来臨のために世を備えさせるであろう。」(我らの主より:日記429)

 

「霊魂達にわが大いなるいつくしみについて伝えよ。
なぜなら恐るべき日、わが裁きの日が近づいているからである。」(我らの主より:日記965)

 

「私は罪人のために、このいつくしみの時を延長している。
もし彼らがこの我の訪れし時を認めぬならば、彼らは恐るべき事となろう。」(我らの主より:日記1160)

 

「この肖像の意味は、私が霊魂達に数多の聖寵を与えるということであり、私のいつくしみの必要を思い起こさせるものとなる
ということである。
なぜなら、最も強い信頼でさえ、働きかけなしには役に立たぬからである。」(我らの主より:日記742)

 

「臨終にある者の所で、このチャプレットが唱えられる時、私は御父と、その臨終にある者の間に立ちて、
私は義なる審判者としてではなく、慈悲深き救世主としてあるであろう。」

 

「もし彼らがわがいつくしみを崇めざれば、彼らは永遠に滅びるであろう。」(我らの主より)


「御自ら光なる天主は、清浄にして謙遜なる心のうちに住まい給うのみならず、一切の苦難と逆境は、
霊魂の聖性を明らかにするのに役立つ。」(我らの主より:日記573)


「イエズス、わが完全なる模範よ、御身に留めしわが眼によりて、御身の御足跡、聖寵へのしかりたる順応、
御身のいと聖なる御旨への一致と、わが霊魂を照らし給う御光、御身の御助けへの完全なる信頼に、生を通じて進ませ給え。」
(聖女の祈り:日記1351)

 

「いつくしみの行いを物質的な方法で行う手段がなく、しばしば案ずる霊魂のためにこれを記せ。
許可も蔵も要さざる霊的いつくしみはずっと称賛に値するのであり、全ての霊魂が把握できる範囲の内にある。

もし霊魂がいずれかの形でいつくしみを行わざるならば、裁きの日にわがいつくしみは得られぬであろう。

ああ、霊魂が自ずから永久の宝を集める方法を知りさえすれば、わがいつくしみによって、わが義を先立って制し、
彼らは裁かれぬ事であろう。」(我らの主より:日記1317)

 

「ある日、それまでの不確かさに疲れ果て、私は"イエズス、あなたは私の天主か、それとも何かの幻でしょうか?"と尋ねました。

なぜなら私の上長が、色々な幻や幻覚があるからと言ったからです。
"もしあなたが私の主であられましたなら、私を祝福して下さい。"

そうしてイエズスは私の体の上に大きく、十字架のしるしをして下さり、私もまた十字架のしるしをしました。

それまでの疑いについてイエズスに御赦しを願った所、主は私のこの疑いによって主を不快にさせなかったこと、
そして私の信頼が主を大変喜ばせた事を言われました。
(日記54)

 

「今日私は、ある霊魂に関して闇の霊との戦いをしました。
なんと驚くほど、サタンは天主のいつくしみを憎悪するのでしょう!
私は、サタンがどのようにして、この働き全体に反抗するかを見ます。」(日記812)

 

 

「ああ、このチャプレットを唱える霊魂に与えるわが聖寵は何と大いなるか。
わが柔らかきいつくしみのまさにその深みは、このチャプレットを唱える者のためにかき回される。」
(日記848:我らの主より)

 

「ああ人の霊魂よ、天主の御怒りの日に、どこに隠れるつもりであろうか?
今こそ天主のいつくしみの源により頼むべきである。
ああ、わが目に映じる莫大な数の霊魂は、全き永遠に渡って賛美の聖歌を歌い、天主のいつくしみを称えている。」
(日記848:我らの主より)



「わが娘よ、霊魂達に、わがいつくしみが防御として与えられる事を伝えよ。
私は自ら彼らのために戦い、御父の義憤を負うものとなろう。」(日記1516:我らの主より)

 

「私は世人の罪よりも、私の選びし霊魂の小さな不完徳によって、より深く傷つけられるのである。」
(日記580:我らの主より)

 

「ああ、暗黒に浸されし霊魂よ、絶望してはならぬ。
まだ全てが失われたわけではない。
愛といつくしみなる、あなたの天主の信頼にはせ来たれ。」(日記1486:我らの主より)

 

 

「私が聖堂に入りました刹那、主が私に言われました。
"わが娘よ、臨終の罪人の確かなる救霊のために
我を助けよ、私がその者のためにあなたに教えたあのチャプレットを唱えよ。"

私がチャプレットを唱え始めた時、その臨終にあった男性は、大変な責め苦と戦いの中にあるのを見ました。
彼の守護の天使は彼を守ってはいましたが、彼の霊魂のみじめな大罪に対しては無力でした。
数多の悪魔が、この霊魂に待ち構えていました。
しかし私がこのチャプレットを唱えた所、イエズスがかの御肖像で表されたようにして、イエズスの聖心から光線が放たれて、
その病者を包み、闇の力の者達は狼狽しました。

その病者は、私が自らその者の所に赴いた時に平安に満ちて息を引き取りました。

私はこのチャプレットがどれほど臨終の者にとって重要であるかを理解しました。
これは、天主の御怒りをなだめるものです。」(日記1565)

 

「あなたがいつくしみの肖像といつくしみの全ての働きを怠るならば、審判の日にあなたは数多の霊魂に対し
責任を負わねばならぬ事を知らねばならぬ。」(日記154:我らの主より)

「崇敬の間、私はかの祈り「聖なる天主」を幾度か繰り返しましたところ、突如私の上方にさっと、天主の明らかな御臨在があり、
天主なる聖主の御前に心を上げました。
私は、主の諸天使と諸聖人が、どのようにして天主に栄光を捧ぐのかを、目にしました。」(日記:1604)

 

「わが娘よ、服従として、このいつくしみの働きを数多くせよ。
しかし、私は少なくとも、あなたの聴罪司祭に明確に述べることを求める。
そうすれば、彼が決めるだろう。
あなたはいかなる形であれ、責任逃れをしてはならず、忠実に全てを実行しなければならない。
さもなければ、私はあなたに喜びを見出さぬであろう。」(日記1644:我らの主より)

 

 

「わが娘よ、罪人の救霊のために我を助けよ。」(日記1645:我らの主より)

 

「十字架称賛の今日、私はこの司祭(ソポッコ神父)が、この全ての事(いつくしみの業)に関して、
大変な反対を受けている事を目にしました。
天主の栄光に対し信心深い霊魂でさえ、彼に反対しているのです。
彼がこのような事で落胆しないのは、天主の特別なる聖寵によります。」(日記:1272)

 

「わが娘よ、あなたは私のいつくしみについて充分書き記したと思うだろうか?
あなたが書き記したものは、大海の一滴である。
私は愛といつくしみそのものであり、私のいつくしみにかない得るみじめさはなく、与えられるそれはいや増されるゆえに、
みじめさはいつくしみを消耗する事もないのである。
私のいつくしみに信頼する霊魂は、最も幸運である。
なぜなら、私が自ら、その霊魂を世話するからである。」(日記1273:我らの主より)

 

「ああ、もし罪人がわたしのいつくしみを知るならば、彼らは莫大な数の滅びのうちに入らぬであろう。
罪深き霊魂らに、私に近づく事を恐れぬように教えよ。
彼らへの私の大いなるいつくしみについて語れ。」(日記1396:我らの主より)


「(天使達の)天主に関わる深い知識、これは地上の人類は、偉大なる聖人でさえ、
天主についてのそのような知識は持たない。」(日記1332:我らの主より)


「霊魂の一つずつを失う事は、私を大変な悲しみに突き落とす。
あなたが罪人のために祈る時、あなたはいつも私を慰めるのである。
罪人の回心のための祈りが、私を最も喜ばせる祈りである。
わが娘よ、この祈りはいつも聞かれ、答えられることを知れ。」(日記1397:我らの主より)

 

「10月11日。
この晩、この天主の大いなるいつくしみと、その大いなる霊魂の益について書いていました所、サタンが大変な
立腹と激怒をもって私の部屋に駆け込んで来ました。
彼はついたてを掴み、それを壊して押し潰し始めました。
私は最初、少しおびえていましたが、私の小さな十字架の御像ですぐに「十字架のしるし」を行いました。
すると獣は静かになって、すぐに消えました。

今日、私は怒りのみの、この恐ろしい形以外を見ませんでした。
サタンの怒りは大変なものでしたが、ついたては粉砕されても、壊されてもいませんでしたので、
私は静かに書き続けました。


彼は、そのような大変な激怒と憎悪で、公然と私を攻撃し始めていますが、しかし彼は決して私の平安を破りません。
そして私の落ち着きが、彼を怒らせているようです。」(日記713)

 

「私があなたに与える聖寵は、あなたのみではなく、大変な数の沢山の霊魂のためでもある。
あなたの心は、あなたの惨めさにも関わらず、私の常に住まう場所である。
私はあなたと一致して、あなたの惨めさを除き、あなたにわがいつくしみを与えるのである。
あらゆる霊魂のうちに、私はわがいつくしみの働きを行う。
大なる罪人であるほど、彼はわがいつくしみに進む権利が大なるものとなる。
わがいつくしみは、私の御手のうちにある、あらゆる働きによって確かめられるであろう。
わがいつくしみに信頼するものは、その者の一切の関心事が私であるゆえに、滅びないであろう。
そして、その者の敵は、わが足掛け台の底で粉々にされるであろう。」(日記723:我らの主より)


「ああ天主の御旨よ、わが愛となり給え!」(日記724)



「私はあなたが愛のうちに完全に変容され、愛の潔白なる犠牲の如くに熱く燃ゆる事を望む。」(日記726:我らの主より)


「まことの感性をもってわが御受難を黙想する霊魂は少数である。
私は信心深くわが御受難を黙想する霊魂に、大いなる聖寵を与えよう。」(日記737:我らの主より)

 

「私は今日、大嵐によって目が覚めました。風は荒れ狂い、豪雨が降っていました。
そして何度も何度も落雷しました。

私はこの嵐によって何も損なわれないようにと祈り始めた時、この言葉を聞きました。

"私が教えたチャプレットを唱えよ、そうすれば嵐も収まるであろう。"

私は直ちにチャプレットを祈り始めると、唱え終えるまでに嵐は収まっており、またこのような言葉が聞こえました。

"もし私の御旨に違わなければ、このチャプレットによってあなたは何事でも得られるであろう。"(日記1731)

 

 

「私がポーランドの為に祈っていた所、この御言葉が聞こえました。

"私はポーランドに特別なる愛を持ち、もし彼女(ポーランド)が私の御旨に従うならば、力と聖性によって彼女をほめ、
彼女から来たる火花は、私の最終の再臨に対し、世を備えさせるだろう。"」(日記1732)

 

「崇敬の間、イエズスは私にこのように言われました。

"わが娘よ、あなたが私に抱く愛情と同情が、(オリベトの)園にありし私に対する慰めであった事を知れ。"」(日記1664)

 

「1938年4月16日の聖土曜日。崇敬の間、主は私に言われました。

"わが娘よ、平安あれ。これは私のものであるいつくしみの業である。あなたの事は、この中に何もない。
私があなたに命ずる事をなし、あなたが信心深く運ぶ事が私を喜ばせる。一つの言葉でも、足したり削ったりしてはならない。」
(日記1667)"

 

「わが娘よ、霊魂らを私に与えよ。
あなたの使命は、祈りと犠牲によって私の為に諸霊魂を勝ち得させ、それらを私のいつくしみに信頼させるように
力づける事であると知れ。」
(日記1690:我らの主より)

 

「私はポーランドに重くのしかかる天主の御怒りを見ました。

そして私は、今もし天主が我々の国を最大の天罰で罰され給う事になっているならば、それほどの重大なる背約によって、
主は我々を永遠の滅びで罰する事がお出来になりますので、まだ大いなるいつくしみがある事も見ます。
主が私のためにベールを少し持ち上げられた時、私は恐れで身動きが取れませんでした。

現在私は、選ばれた霊魂達が、世界の義に対する対処を成し遂げるために存在しているのをはっきりと見ています。」(日記1533)

 

「1938年1月27日の聖時間の間、イエズスは霊魂達の忘恩について私に訴えられました。

"私の祝福の見返りに、私は忘恩をもらう。
私の愛の見返りに、私は忘却と無関心とをもらうわが御心は、これらを負うことは出来ぬ。」(日記1537)

 

「霊魂達に、己の心のうちにわがいつくしみに対する障壁を置かぬようにと伝えよ。
全て彼らの戸の開いた心のうちに、わがいつくしみが働くのである。
罪人と独善者は、わがいつくしみを必要とする。
堅忍と同様に、回心はわがいつくしみの聖寵である。」(日記1577:我らの主より)

 


「崇敬の間、イエズスは私に約束されました。

"わがいつくしみに依り頼む霊魂達、そしてわが大いなるいつくしみにほまれを帰し、他の者にのべ伝える者達に、
私は彼らの臨終の時、わがつきざるいつくしみを多大に与えよう。

わが御心は悲しみにある。
なぜなら、選ばれし霊魂達でさえ、わがいつくしみの多いなるを理解しないからである。
彼らと私との関係は、堅固なる道のうちにあって不信が染み込んでいる。

ああ、わが御心の傷はいかなるものであろうか。
私は受難を憶えており、もし私の言葉を信じぬならば、せめてわが御傷を信じよ。"」(日記379:我らの主より)

 

「1934年聖火曜日、イエズスは私に言われました。
"私はあなたが罪人のため、殊に天主のいつくしみへの望みを失いたる霊魂のために、己を捧ぐことを望む。"」(日記308)

 

「"私は人類のあがないの分かち合いをあなたに与えている。あなたはわが死去の時を慰めよ。"」
(日記310:我らの主より)

 

「私は午後庭に行こうとしていた時に、私の守護の天使は言いました。
"その臨終の者のために祈りなさい。"
そこで私は庭で、その臨終の者のために一度、ロザリオを唱え始め、私達は様々な種類の祈祷をその臨終の者のために唱えました。

祈り終えた後、彼ら(一緒に祈った人々)は陽気に語り合い始めましたが、彼らが立てていた雑音にも関わらず、
私は霊魂のうちに、こうした言葉を聞きました。
"私のためにお祈り下さい!"

私には、その言葉の意味がよくわかりませんでしたが、その棟から数歩進んだところで、誰が私に祈りを求めているかを考えました。
そして私は、こうした言葉を聞きました。
"私は修女です"

その修女は、私がビリニュスいるこの時、この修女はワルシャワにいました。
"私が止めて下さいと教える時まで、私のためにお祈り下さい。私は臨終にあります。"

私は直ちに、イエズスの御心に息絶えるように、彼女のために篤く祈り始めました。
彼女は私に中断させず、私は三時から五時まで祈り続けました。
私はこの言葉を聞きました。"ありがとうございました!"

私は彼女が息絶えた事を理解しました。
しかし後日の聖祭の間、私は彼女の霊魂のために篤く祈り続けました。
その日の午後、その修女がこれこれの時に亡くなったという事を告げる葉書が届きました。
私はそれが、彼女が私に"お祈り下さい"と言った時と同じ時刻であったのを知りました。」(日記314)


「一度私は幼な子の御姿のイエズスを見ました。私は尋ねました。
"イエズス、今、私と語って下さる時、なぜ幼な子の御姿をとられていらっしゃるのですか?"
それにも関わらず、私はなおわが主にして創造主なる限りなき天主を見続けました。
イエズスは御答えになり、私が単純さと謙遜さを学ばせるまで、主は幼な子として語られるとのことでした。」(日記335)

 

「苦難は地上における最も偉大な宝です。それは霊魂を浄めます。苦難のうちに、我々の真の友を学びます。」(日記342)

 

「12月11日。
私は今日、聖祭を全て手伝う事が出来ませんでした。
私はただ、最も重要な一部を手伝ったのみで、それから聖体を拝領すると、私はすぐに独房に戻りました。
天主の御現存が突如私を包み給い、同時に私は、短い間ですが、主の御受難を感じました。
その間、わたしはいつくしの御わざのより深い知識を得させられました。」(日記808)

 

「その夜、わたしは突如目覚め、誰かの霊魂が私に祈りを求めている事を知りました。
それは多大な祈りを必要としておりました。
簡潔に、しかし私の全霊をあげて、私は彼女の為の主の聖寵を願いました。」(日記809)

 

「翌日の午後、私が棟に入ると、誰かが臨終にあるのを見、夜の間に苦悶し始めた人であった事を知りました。
私は祈りを求められたのが、その時刻に当っていた事を確かめました。
ちょうどその時、私の霊魂のうちにこの声を聴きました。
"私があなたに教えたチャプレットを唱えよ。"

私はロザリオを取るために駆け、この臨終の者のそばに跪き、私の霊魂の全ての熱意でもって私はこのチャプレットを唱え始めました。
すると突如、彼女の目が開き、私の方を見つめました。
私がチャプレットを全て唱え終える前に、並外れた平安と共に、彼女は息を引き取りました。

私は熱く、主がこのチャプレットを唱える事による、私に与えられた御約束を果たして下さる様に願いました。
その霊魂が既に主の私に約束された聖寵を得させられている事を私に御知らせ下さいました。
それが、主の御約束の霊益を受けた最初の霊魂でした。
私はその霊魂がいつくしみの御力に抱かれるのを感じました。」(日記810)

 

「私が独房に入ると、私はこれらの言葉を聞きました。
"彼らの臨終の時、このチャプレットを唱えた全ての霊魂を、私自身の栄光として守るであろう。
免償もまた同様である。
臨終にありし者のかたわらでこのチャプレットが唱えられる時、天主の怒りはなだめられ、計りがたきいつくしみがその霊魂を包み、
わが優しきいつくしみ深淵は、悲しみに満てし御受難によりて動かされるであろう。"」(日記811)

 

「ああイエズスよ、御身の祝福が万有にあらんことを。我、いと聖なる御旨を果たすを喜び奉らん。
それ、我を幸いならしむるに足れり。」(日記1403)

 

「私は(無原罪の御宿りの祭日を)共同体全体によって一般的に唱えられるノベナのみならず、
またそれぞれの日に、彼女(聖母)に千回の御礼を致す、彼女に九日間に渡り、
千回の「天使祝詞」を唱える私的な努めをなしました。

†このような方法で天主の御母にノベナを唱えるのは、これが三度目であり、それぞれの日に千回の「天使祝詞」を致すのです。

そのようにしてこのノベナは、九千回の御礼を含みます。
また私は人生の中でこれを三度目と致しますが、私の務めの間に行った二度では、最大の正確さで遂げる事に全く失敗しませんでした。

私はこのノベナを常に私の修練の時間外に行っていました。
私は唱えるために、聖祭や崇敬の間には唱えませんでした。
私は一度、病院で寝かされている間に唱えた事がありましたが、精神一到 何事か成らざん、
レクリエーションの時は別として、私は祈って働くだけでした。

私はこれらの日々の間、一言も無駄口をしませんでした。
また、こういった事(ノベナ)が、多くの注意力と努力を要すること、無原罪の童貞女に光栄を帰し奉る時に
多すぎることはない事を認めねばなりませんでした。」
(日記1413)

 

「無原罪の御宿りの祭日。
聖体拝領の前に私は、思いも及ばぬほどの美しさの祝せられし童貞を見ました。
彼女は私に微笑み給い、言われました。
"わが娘よ、特別にして唯一なる方法で、私はあなたの母となるよう、天主の御命令です。
しかし私はまた特別な方法で、あなたが私の子となるように望みます。」(日記1415)


「私の最も愛し、天主の最も喜び給う三つの御徳を修める、私の最愛の娘を望みます。
第一の徳は謙遜につぐ謙遜なること。
第二の徳は、清浄。
第三の徳は、天主への愛です。
私の娘として、あなたは殊にこれらの徳によって輝かねばなりません。"

御言葉が終わると、彼女(聖母)は私を御心に押しよせられて、消えられました。
私が感覚を取り戻した時、私の心は、それらの徳と、私の心に刻み込まれるようにそれらを忠実に修めることに
とても素晴らしく引き付けられました。」(日記1415)

 

「1935年9月13日。
夜、私の独房にいる時、私は天主の御怒りの執行者である天使を見ました。
彼(天使)は、まばゆいローブを装い、御顔は荘厳に輝き、御足元には雲がありました。

その雲から、雷と稲光が彼の御手に飛び込んでいき、
彼の御手より飛び出していくと、地球に当たっていきました。

私がその、地球と地上の特定の場所に当たろうとしていた天主の御怒りのしるしを見ました時、
その正当なわけゆえに私は名を挙げることができず、その天使に、少しばかりの間、とどまって下さるように、
世は償いを果たすでしょうから、とこいねがいはじめました。
しかし私の嘆願は、天主の御怒りの直面に対しては何もなりませんでした。」

 

「1937年11月10日。
イレーン院長が私に、このチャプレットと連祷とノベナのある小冊子を見せられました。
私はそれをちらりと見ていたので、目を通させて頂けるように願いました。
イエズスは、私が知るために、内側に(御言葉を)与えられました。
"既に多くの霊魂達が、この肖像によってわが愛に引き寄せられている。
この働きを通じ、わがいつくしみは霊魂達の内に働く。"
私は、天主の聖寵を多くの霊魂が体験した事を知りました。」(日記1379)

 

「イエズスのいと慈悲深き御心よ、天主の義の御怒りより我らを守り給え。」(日記1526)

 

「1938年4月10日。枝の主日。
私は聖祭に参加は致しましたが、枝をもって歩く力はありませんでした
(聖女は結核にかかっており、この時は帰天する六ヶ月前だった)。

私は非常に弱っており、聖祭が終わるまで何とか耐えましたが、聖祭の間、イエズスは私に御自らの御霊の御苦しみについて知らされ、主の聖心のうちに痛みに満ちて響くように、ホザンナの聖歌が反響しているのを、明瞭に感じました。

私の霊魂もまた、苦しみの海によって浸され、ホザンナは、私の心をそれぞれ深く貫きました。
私の霊魂はイエズスに一層近づき、私はイエズスの御声を聴きました。

"わが娘よ、あなたの慈悲が私を新たにする。わが受難の黙想によりて、あなたの霊魂は異なった美しさを得るであろう。"」
(日記1657)

 

「夕刻の聖時間の間、私はこのような御言葉を聞きました。
"あなたは、この瞬間、万力のうちにそれ自体が明らかとする罪人に対する私のいつくしみを見ている。
あなたがこれについて、どれほど僅かしか書き記さなかったを見よ。
それは一滴のしずくのみである。
あなたの力で、罪人達にわが善徳を知らしむるために来たらせよ。"」(日記1665)

 

 

「†私はしばしば臨終にある者と伝達を行い、彼らのために天主のいつくしみを得させます。
ああ、天主の善徳はなんと偉大にして、我々の理解よりも大いなるものでしょうか。
この時と、天主のいつくしみの神秘は天つ御国を仰天させるものです。
不可思議なる天主のいつくしみに向かって、我々の霊魂の裁きが止められますようにしましょう。」(日記1684)

 

 

「今日私は、十字架に磔にせられた主イエズスを見ました。貴き真珠とダイヤモンドが、御心の御傷より注ぎだされて
いました。

私は数え切れない霊魂達がこれらの賜物を集めているのを見ましたが、一つの霊魂のみが御心に近づき、
彼女はそれらの賜物の偉大さを知悉し、それらを自身のためだけでなく、同様に他の者達のために、寛大さを持って集めました。

救い主は私に言われました。
"見よ、この聖寵の諸宝は、霊魂達に流れ出ている。
しかし、全ての霊魂が、わが寛大の霊益を受くることを知るわけではない。"」(日記1687)

 

 

「十字架の道行きの終わりに向かい、主なるイエズスは選ばれし霊魂の愛の欠乏と、修道者と聖職者の霊魂について苦言されました。
"私は修院と教会を破壊へと導くであろう。"

私は答えました。
しかしイエズスよ、修院の中で数多の霊魂が御身を称えております、と。
主は答えられました。

"その称えが、わが御心を傷つけるのである。
なぜなら、愛が修院より追いやられたからである。
霊魂達は愛なく、信心なく、霊魂はエゴイズムと自己愛に満ちて、霊魂は驕りと傲慢に満ちて、霊魂は偽りと偽善に満ちており、
生ぬるき者はただ彼らの生命を維持するのみである。
わが御心は、これらの事を負うことはできぬ。
我の注ぎ出す一切の聖寵は、岩の表面を流れるが如くである。

私は彼らに耐えることは出来ぬ。
なぜなら、彼らは善でも悪でもないからである。
彼らによって世を聖化するために、私は修院を招いた。
彼らから来たる力強き愛の炎と犠牲が、先立って開かれなければならぬ。
そしてもし彼らが悔い改めず、彼らの最初の愛によって火を灯されぬならば、私はこの世の定めに彼らを引き渡すであろう。

いかにして彼らは、彼らの罪の意識が、世の罪の意識よりも大きい時、約束された世の審判と裁きの御座にあることができようか?
彼らには告解も償いもないのである。

ああ、心は朝に私を受け、午後には私に対するあらゆる類の憎悪で、全くいきり立っているのである!
私によって特別に選ばれし心よ、あなたを選びしこのゆえに、私に更なる苦痛を与えるのか?
世における大なる罪は、私の御心をしたたか傷つけるが、選ばれし霊魂の罪は、私の心を貫き通しである。"」(日記:1702)

 

 

「私が一人、祝せられた童貞の所に残りました時、聖母は内側の御生活について私に教えられました。

"霊魂のまことに偉大なる事は、主の御現存のうちに畏みて天主を愛し奉る事で、そして己を忘れ、
己を何でもないものと見なす事です。
なぜなら主は大いなるものですが、唯一謙遜なる者によってのみ喜ばれるからです。
主は常に、奢る者に敵対されます。"」(日記:1711)

 

「主は私に言われました。
"しばしば煉獄のうちに入れ、なぜなら彼らはあなたを必要としているからである。"

ああわがイエズス、我に語られしこれらの御言葉の意を解したり。
されどまず第一に、我をして御身のいつくしみの宝のうちに入らせ給え。」(日記:1738)

 

「主は言われました。
"わが娘よ、わがいつくしみをのべ伝える事に疲れるな。この方法によりて、あなたはわが御心のうちに憩うであろう。"」(日記1521)


「今日、主は私に言われました。
"わが娘よ、わが慈悲深き御心の内を見、あなたの心の内にその仁慈を映し出させよ。
しかしてあなたは、私のいつくしみを世にのべ伝え、あなた自身をもそれで燃えさせるのである。"」(日記1688)

 

「聖体拝領の後、イエズスは言われました。
"わが娘よ、私に霊魂達を与えよ。
あなたの使命は祈りと犠牲と、わがいつくしみへの信頼に彼らを勇ませる事によって、私に霊魂を勝ち得させる事であることを知れ。"」(日記1690)

 

「今日の夕べの祈りの時、主は私に、潔白にして物惜しみせざる心をどれほど喜ばれるかを知らされました。
私は、そのような心を顧み給う事が天主の御喜びとなることを感じました。
しかしそのような心は、騎士の心です。
彼らの人生は、絶え間なき戦いです。」(日記1706)

 

「1934年8月9日。
木曜日の夕べの崇敬において、私は十一時から深夜に渡る崇敬の時間としました。
私はこれを、頑ななる罪人の回心のため、殊に天主の御いつくしみへの望みを失った者に対して捧げました。
私はいかに天主が苦しみ給い、どれほど大いなる愛を示されたか、そして天主が我々を大変に愛し給うかを
我々が信じられないという事実について思い巡らしていました。

ああイエズス、これを理解できないものは誰でしょう?
我らの救世主は、何のために苦しまれたのでしょう。
主の御死苦され我々が納得できぬならば、どのようにして主が我々に、主の御愛を納得させることができるでしょう。

私は天つ御国の全体に、特定の霊魂達の忘恩に対して主に償いを行う事に、私を加えてくださるように願いました。」(日記319)

 

 

「イエズスは私に、償いの祈りがどれほど主を喜ばせるかについて知らされました。

"このへりくだりたる祈りと、愛ある霊魂は、御父の御怒りをやわらげ、祝福の大洋を引き降ろすであろう。"

 

崇敬の後、独房への片道で、吠えていて、私を八つ裂きにしようと飛び掛ろうとしている巨大な黒犬の群れに囲まれました。

私は彼らが犬ではなく、悪魔であることを理解しました。
彼らのうちの一人は怒りながら単刀直入に言いました。

"お前が今夜、数多の霊魂を我々から奪い取ったので、我々はお前を八つ裂きにしに来たのだ。"

私は、それがいとも慈悲深き天主の御心なら私を八つ裂きになさい、なぜなら私は全ての罪人の中でも最も惨めなる者で、私はまさしく値しており、
天主は全聖にして義、尽きざる仁慈であるからですと言いました。

この言葉に対し、悪魔全員が一つになって答えました。
"逃げよう、この女は一人ではない、天主がこの女と共にあるからだ!"

私が妨害をされずに独房に行く途中ずっと、騒音や埃のように払われていきました。
テ・デウムを終えて、天主の限りなく、計り難きいつくしみを思いました。1934年8月12日。」(日記320)

 

「私は司祭達が罪人の霊魂に、私の大いなるいつくしみに向けてのべ伝えるように望む。
罪人に、私に近づくのを恐れさせてはならぬ。このいつくしみの炎は私を燃やし、費やすようにと 騒がしく願うのである。
私はこれらを、霊魂達の上に注ぐ事を欲する。

イエズスはこれらの言葉を持って私に苦をもらされました。
"霊魂の疑念は、私の内側を裂くのである。
選ばれし霊魂の疑念は、更に激しき痛みを引き起こす。
彼らに対する尽きざる愛にも関わらず、私の死苦をもってしても、彼らのためになお足らないと思うのである。
これらの(賜物を)あざける霊魂に災いあれ。"」(日記50)

 

 

「わが御手のうちにありし、選ばれし霊魂達は、私が灯す世の闇の中の光である。
夜に輝く星の如くに、選ばれし霊魂達は地上で輝くであろう。
一層完徳に進みし霊魂は、それによってより強く光が遠くに届く。

それらに最も近きものでさえ、隠れて知られない事があるが、
その聖性は世の最も遠き隅にある霊魂達にさえ反響するのである。」(日記1601)

 

「私が御聖体の御前にて祈り、イエズスの五つの御傷に御礼を致していると、それぞれの御傷への御礼で、
私の霊魂のうちに噴き出す聖寵の奔流を感じました。
私に天つ御国の予感と、天主のいつくしみへの全き信頼を感じました。」(日記1337)


「これらの言葉を書いていると、サタンの叫びが聞こえてきました。
"彼女はありとあらゆる事を書いている、我々を大変に負かしたからだ!天主の善徳について書くな!"
そうして怒って吠え、いなくなりました。」(日記1338)

 

 

「ああ、真白きホスチア、純白のうちにわが霊魂を保ち給え。
我は御身を見捨てる日をひたすら恐れり。御身は天使の糧にして、童貞らの糧なり。」(日記1350)

 

 

「ああ暗黒に満てし退屈な日々には、私は厳粛さと祝いの目で見つめます。
永遠の御国に向けて功徳を集めるための機会に我々に与えられている時はいかに偉大にして、厳粛なるものでしょうか。
私は諸聖人がどのようにそれを用いたかを理解します。」(日記1373)

 

 

「今日、私の霊魂のうちに御声が聞こえました。
"ああ、もし罪人が私のいつくしみを知るならば、彼らは大多数の中の滅びを受けぬであろう。
罪深き霊魂に、我に近づく事を恐れさせてはならぬ。"」(日記1396)

 

「主は私に、いつくしみの祭日の前のノベナでこのチャプレットを唱える事について教えられました。
これは金曜日に始まります。
"このノベナによって、私には霊魂に対して可能なあらゆる聖寵を与える。"」(日記796)

 

「今日私はこれらの御言葉を聞きました。
"わが娘よ、私に表されるように、私に対し幼な子の如くあれ。
さもなくば、それらによって私が授ける聖寵の霊益はないであろう。"」(日記1260)


「1937年8月5日。
主は私に、我々の親愛なるイレーン院長が私に対し、祈りだけでなく、行いによっても、私を守って下さっている事を御知らせ下さいました。
この聖寵に対しイエズスよ、御身に感謝し奉る。
私は心で報いる事は出来ませんが、私がイエズスと共にあります時、彼女の事を忘れません。」(日記1266)


「1937年10月1日。
"娘よ、私は愛深き犠牲を必要としている。ただ私に対するものであるという意味である。
私に対する世界の負債は、まことに巨大である。
清浄なる霊魂達は、彼らの犠牲、霊における慈悲の行使によって払うことができる。"」(日記1316)


「私はこれらの御言葉を聞きました。
"もしあなたが私の御手に結び付けられていなければ、地上に数多の罰を降ろすであろう。
わが娘よ、解かれたわが怒りを顧みよ。
またもしあなたの唇が沈黙するならば、あなたは天の全てが揺り動かされるほどの大声でもって私に叫ぶ事になるであろう。
私はあなたの請願より逃れる事は出来ぬ。
なぜなら遠くではなくあなたの心の中で、私を求めるからである。"」(日記1722)


「"私は三倍の聖にして、最も小さき罪を大変嫌う。
私は罪で汚れる霊魂を愛する事は出来ぬ。
しかし悔い改める時、それに対する私の寛大さには限りが無い。
私のいつくしみはそれを受け容れ、正しきものとする。
私のいつくしみで、彼らの行く手に沿って罪人を追いかけ、彼らが私の元に戻る時、私の御心は喜ぶ。
私は彼らがわが御心に与えた苦しみを忘れ、彼らが私の元に戻る時、私の御心は喜ぶ。"」(日記1728:我らの主より)


「わが娘よ、言え。
私のいつくしみの祭日は、世界全体のための慰めのために、わがいと深みより、私のいつくしみが先へと流されるのである。」(日記1516)

 

「1937年5月1日。
主はおしゃべりな霊魂に対し、どれほど快く思わざるかについて知らされました。
"このような霊魂のうちに、私は憩いを見出す事は出来ぬ。
絶え間なき騒音は私を疲れさせ、その霊魂の中心では、私の声を認知する事が出来ない。"」(日記1008)

 

「主は言われました。
"私を霊魂達に与える事、わが愛で彼らを満たす事を望むが、彼らのための全ての聖寵と私の愛を受け取る事を望む者は少数である。
私の聖寵はなくならぬ。
もしその霊魂がこれを受け取らぬならば、他の霊魂がそれを受け取るだろう。"」(日記1017)

 

「イエズスは私を御覧になって言われました。
"わが苦しき受難において、悪しき思いのうちに滅びる霊魂あり。
私は彼らに救霊の最終の希望を与えている。
それは、私のいつくしみの祭日である。
もし彼らが私のいつくしみを崇めぬならば、彼らは永久の滅びに入るであろう。

私のいつくしみの書記生よ、この私の大いなるいつくしみについて霊魂達に教えよ。
なぜなら畏るべき日、わが審判の日は近いからである。"」(日記965)

 

「†今日私の霊魂のうちに、これらの御言葉を聞きました。
"わが娘よ、あなたが行いを果たす時である。私はあなたと共にあろう。
大いなる迫害と苦しみがあなたを待ちかまえてはいるが、犠牲とこの働きのよって数多の霊魂が救霊を得る事によって慰められるであろう。"」
(日記966)

 

「今日私はこれらの御言葉を聞きました。
"霊魂達のために祈り、彼らに私のいつくしみの審判の席に近づくのを恐れさせてはならぬ。
罪人のための祈りに疲れをおぼえてはならぬ。
彼らの霊魂がどれほど私の御心に重荷となるかあなたは知っている。
私の死ぬほどの悲しみを救い、私のいつくしみを分配せよ。"」(日記975)

 


「私は突然目覚め、天主の御現存に私が抱かれ、私は天主の子であることを感じました。
天主の御愛が私の霊魂に注がれ、あらゆる事が天主の御旨による事であることを見る事を与えられました。

彼は私に語られました。
"私はいつくしみの祭日に告解に行き、聖体を拝領する霊魂達に完全な赦しを与える事を望む。"
そして彼は私に言われました。

"私の娘よ、恐れてはならぬ。
もし私が不在の如く見えたとしても、私は常にあなたと共にいる。
あなたの謙遜は、非情な高みにある私の王座より私を引き寄せ、あなたにより近づいて私を一致させる。"」(日記1109)

 

 

「1937年6月20日。
我々が隣人を赦す時、我々は天主に最も似たものになります。
天主は愛、善徳、そしていつくしみであります。

"あらゆる霊魂、殊にあらゆる修道者の霊魂は私のいつくしみを映すべきである。
私の御心は、一切のための慈悲といつくしみに溢れている。
私の愛する者の心は、私の御心に似ているべきである。
その心からは、霊魂達のための私のいつくしみの奔流が湧き出でねばならぬ。
さもなくば、私はその者を、私の者とは認めぬ。"」(日記1148)

 

 

「私は主に一度、主が罪と過ちとをいかにして大目に見られて、彼らを罰されぬかについて尋ねました。
主は私に答えられました。

"私は天罰に対し非常に長く待っている。
そして私は、罪人のためにいつくしみの時を延長している。
しかしもし彼らが私の訪問の時を認めぬならば、彼らを畏怖させるであろう。
私の娘よ、私のいつくしみの書記生よ、彼らのためのこの聖寵をこいねがうだけでなく、彼らにまた私のいつくしみに光栄を帰させよ。"」(日記1160)

 

「翌日の聖体拝領の後、私は御声を聴きました。
"私の娘よ、私のいつくしみの深淵を見、私のいつくしみを称え、誉れを与えよ。
この道を行き、世界全体より罪人を集め、彼らを私のいつくしみの深淵に浸せ。
私は霊魂達に私を与えることを望む。
私は霊魂達のために叫ぶ。
私の娘よ、わたしのいつくしみの祭日には全世界を通じ、私のいつくしみの奔流にしおれたる霊魂達を運べ。
私は彼らを癒し、力づけよう。"」(日記206)


「私は今日、御聖体を望みつつも秘跡なしに臨終を迎えている苦悶のうちにある霊魂のために祈りました。
全て遅すぎたのでした。
それは私の親類、伯父の妻でした。
彼女は天主を喜ばせた霊魂であり、その時私達の間に距離はありませんでした。」(日記207)


「聖時間の崇敬の時間の間、私の惨めさの深淵を見ました。
何であれ、私のうちにある善は、ああ主よ、御身のものです。
しかしながら私はいとも小さく哀れなものであり、私は御身の限りなきいつくしみを数え申し上げる資格があります。」(日記237)

 

「1937年2月17日。
聖祭の間、私は苦しみ給うイエズスを見、主の御受難が見えざる方法で私に肉身に刻まれましたが、痛みはそれほどありませんでした。」
(日記964)

 

「今日、一日の黙想会に入りました。
私が最後の話し合いに入った時、司祭はいかにこの世が天主のいつくしみを必要としているか、
そして世人が祈りと天主のいつくしみを大変に必要としている特別な時と思われる事について話されました。
そうして私の霊魂のうちに御声を聴きました。

"これらの言葉は、あなたに対するものである。
私のいつくしみの労働を、全く可能な限り行え。
私は私のいつくしみが称えられ、人類の救霊の最終の希望を与える事を望む。
私のいつくしみに寄り頼め。
この祭日の中で私の御心は喜ぶのである。"

これらの御言葉の後、主が私から求められる聖日の義務から私を免れさせ得るものは何もないことを理解しました。」(日記998)

 

「"私の娘よ、これを知れ。
もしあなたが完徳のために努めするるならば、数多の霊魂を聖化するであろう。
もしあなたが聖化に努めぬならば、同じ理由によりて数多の霊魂は完徳に至らぬであろう。
彼らの完徳はあなたに依るのであり、これらの霊魂達に対する責任の大半はあなたにかかっているのである。"」(日記1165:我らの主より)

 

「天主は水門を開け放たれておられます。
天主の審判の日が到着する前に、それらの霊益を求めましょう。
それは畏るべき日です。」(日記1159)

 

「ああわがイエズスよ、最後の審判の日にて御身はこのいくしみの働きの報告を私に求められるでありましょう。
ああ義なる審判なれど、聖なる御旨を行わんとす私を浄配はまた同様に助け給うでしょう。ああいつくしみ、ああ天主の御徳よ!

ああいと慈悲深きイエズスの御心、私のいいなずけの君よ、私の心を御身の御心のようにして下さい。」(日記660)

 

「7月16日。
私は祈りのうちにこの夜いっぱいを過ごしました。
私は主の御受難を黙想し、私の霊魂は天主の義の重荷によりて押しつぶされました。
主の御手が私に触れられました。」(日記661)

 

 

「おやすみなさい、わがイエズス。
鐘は私を眠るようにと呼びかけます。
わがイエズス、御身は私が霊魂達の救霊のための望みに死にかけておりますのを御覧下さいます。
おやすみなさい、私の最愛の君よ、私は一日が永遠により近づく事を喜んでおります。
イエズス、もし御身が私を明日目覚めさせて下さいますならば、御身の賛美への新たなる聖歌を始めましょう。」(日記679)

 

「人生の時に、霊魂はこの祈りを唱えるうちに唯一慰めを見出します。
このような時に、いかにして祈りのうちに保たれるかを知るべきです。
これは大変重要なものです。

†イエズス・マリア・ヨゼフ。イエズス、我御身に信頼し奉る。

†1937年一月一日に対する決議。」(日記860)

 


「†私は今日、従軍司祭(テオドー神父)の元に告解に行きました。
イエズスはこの司祭を通して、私を慰め給いました。
ああわが母なる、天主の公教会よ、御身は子らを理解さるるまことの母であります。」(日記1469)

 

「ああ、イエズスが我々の言葉と判断によってではなく、我々の良心によって我々を審判される事は、何と善き事でありましょう。
ああ、思いも及ばざる善徳よ、私はまさしくその審判の御業のうちに、御身の善徳に満ちみてしを見ます。」(日記1470)

 

「†イエズス、御身のいつくしみのうちに我を隠し、わが霊魂を脅かすあらゆるものに対し我を防ぎ給え。
御身のいつくしへの信頼を、失望にさせ給わざれ。
御身のいつくしみの全能によりて我を防ぎ、同様にわが審判には慈悲深くあり給え。」(日記1480)

 

「1936年12月28日。
天主のいつくしみのノベナを始め、この御肖像の前に
自らを置き、主は私に教えられましたチャプレットを唱えておりました。

この(いつくしみの)ノベナの第二日目、私は御姿が数え切れぬランプと共にここにあるかのように来たり、
またおびただしい人の群れが、幸福に満たされて来たる見ました。
ああイエズスよ、私の心臓の鼓動は大いなる喜びと共にあります。
私はこのノベナを、二人の方々の意向、すなわちジャルブルズィコウスキ大司教よ、ソポコ神父のために致します。
天主を喜ばせるこのチャプレット、そして御肖像も認可されますように大司教様に霊感を御与え下さいますように心から主にこいねがいます。
彼がこの働きを取り消されたり、遅らせられる事がありませんように。」(日記851)

 

「ああイエズスよ、あわれみ給え。
全世界を抱き給い、御心に我を抱き給え。
ああ主よ、わが霊魂を御身の計り知れぬいつくしみの大洋のうちに我を憩わせ給え。」(日記869)

 

「1月7日。
聖時間に主は私に御受難を味あわせるために私を導かれました。
主の御霊を満たし溢るる御苦しみの御辛苦を私に分かち合って下さいました。
イエズスは私に、種々の苦労の種、渇き、誘惑に関わらず、霊魂が祈りにいかに信心深くあるべきかを理解する事を私に御与え下さいました。
なぜなら、しばしばの天主の大いなる御計画の悟りの多くの場合は、このような祈りにあるからです。
もし私達がこのような祈りのうちに保たれなければ、私達を通じてなされる事、私達のうちになされる事をくじくでしょう。

全ての霊魂にこれらの言葉を思い起こさせましょう。苦悶のうちに、彼は長く祈られた、と。
私の力と、私の務めとの一致するようにして、私は常にこのように祈りを長く致します。」(日記872)

 

「マリア、汚れなき童貞女よ、御身の特別なる御保護の下に我を受け取り、わが霊肉と精神の清浄を守り給え。
御身は模範にして、わが人生の星なり。」(日記874)

 

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