イエズスの聖名の崇敬

「ピラトは十字架につける木の札に"ユデア人の王、ナザレのイエズス"と名を書いた。
あなたもまた、人のあざけりと悪魔のずるい攻撃に対して、この名を書け。ただし心に書くのである。
この御名のまことの力によって、あらゆる不義の攻撃を免れるであろう。」(アルバン・デ・チガラ)

 

イエズス

<あらゆる行為が愛の行いである>

教会認可

我らの主より名を知られていない霊魂へ

「私はあなたが如何にして全ての行為をわがために捧ぐ愛の特別なる行いとするかを教える。
過去にあなたはただ一つの一般の意向を為した……これに長い公式は不要である。
全ての行為の前に、入室或いは退室の前、また全ての行動の前にただ単純に"イエズス"と言いなさい。
私はそれを捧げとして受け取るであろう。」

「わがために苦しむ事に、あなたは大いなる肉体的、心理的、霊的な十字架に耐える必要はないのである。
殆ど悩まされる事のない、期待はずれと不快さを、あなたの義務と同じ方法で私に捧げる事が出来るのである。
あなたが過失を犯したり、寒さを感じる時、ただ単純に"イエズス"と言いなさい。
私はそれをわがための耐久としてその苦しみを受け取るであろう。」

「人々が地獄に陥るために、どんな罪を犯しますか?」
「知りません、多分日曜日聖祭に与らないで、盗みをしたり、悪い言葉を言って、罵って、天主の御名を冒涜するためでしょう。」(ファティマの牧童の一人、ルチア童貞)

 

<聖名のチャプレット>

このチャプレットは、十字架像と、一連が一つの大珠と10個の小珠からなる三連によって構成されています。
もし専用のチャプレットをお持ちでなければ、一般のロザリオを数を調節されながら用いられて構わないと思います。

始めに(十字架の御像で)「痛悔の祈り」を唱えます。

「ああ天主、我主の限りなく嫌い給う罪をもって限りなく愛すべき御父に背きしを深く悔やみ奉る。
御子イエズス・キリストの流し給える御血の功徳によりてわが罪を赦し給え。
聖寵の助けをもって今より心を改め、再び罪を犯して御心に背くことあるまじと決心し奉る。」

「天主よ、わが助けに御意を傾け給え。ああ主よ、わが助けに急ぎ給え。」

第一連の大珠において祈ります。

「主よ、御身は求めよ、さらば与えられん、探せよ、さらば見出さん、叩けよさらば開かれん、とのたまいき。
我この恩寵を求め奉る。(ここで願います)」

各小珠で祈ります。
「天主よ、わが助けに御意を傾け給え。ああ主よ、わが助けに急ぎ給え。」

第二連の大珠において祈ります。

「アーメン、汝らわが名によりて求めしものを御父は汝にことごとく与え給わん、とのたまいき。
主よ、そは御父にして御身の御名において我この恩寵を求め奉る。(ここで願います)」

各小珠で祈ります。

「天主よ、わが助けに御意を傾け給え。ああ主よ、わが助けに急ぎ給え。」

第三連の大珠において祈ります。

「主よ、御身は天地は過ぎ去れどもわが御言葉は過ぎ去らず、とのたまいき。
まことなりし御言葉にして御身の、そをのたまいき故にこの恩寵を御身が与え給わんことを求め奉る。(ここで願います)」

各小珠で祈ります。

「天主よ、わが助けに御意を傾け給え。ああ主よ、わが助けに急ぎ給え。」

 

<聖ヴィアンネの言葉>

アルスの主任司祭聖ヴィアンネはかつて語りました。

「天主は人間にたった10の掟しか与えませんでした。
10のうちの1つのものは、彼の御名によってその唯一の対象に敬意を持つことです。」
聖人はまた「天主の御名を乱用した人々が、その場で命を落とさなかったのは驚異的な奇跡であった。」
と言いました。

しかしこの聖人は警告しました。
「不敬の罪があなたの家にはびこる場合、その家は確実に滅びるでしょう。」

イエズス

「主イエズス・キリスト、我を憐れみ給え。(毎日600回唱えなさい)」(ピエタ小冊子より)

 

<イエズスのマリア童貞への啓示>

私達の主は、聖ピエールのマリア童貞にかつて啓示されました。
それは人類の不敬の恐ろしい罪に対する償いの必要でした。聖主は童貞に言われました。
「ああ、もし聖名を一度ずつ唱える度にどれほど偉大な功徳をあなたが得られるか、それを知るだけでも、天主の御名に驚嘆するであろう。」

不敬の償いの意向を持って、我らの罪深き国々への天主の激しい御怒りを和らげるため、この「イエズス」の御名を度々繰り返し唱える事がすすめられています。

イエズスの聖名は最も短く、最も容易で、そして祈りの中でも最も力強きものです。

誰でも日々の労働の中でも唱えることが出来ます。
敬意と愛とそして適切な意図をもって我々がイエズスの聖名を唱え奉る毎に、天主に大きな栄光を捧げ奉り、我々自身は尊き聖寵を得ます。

我々は恐ろしき苦しみのうちにある多くの煉獄の霊魂達を解放する事が出来ます。
過去には煉獄の霊魂に適用できるものとして、300日の免償が与えられていました。

「罪人のために沢山祈りなさい。沢山の祈りを唱え、犠牲を捧げなさい。沢山の霊魂が地獄に落ちて行きます。
誰もあの人達のために、身を犠牲にする者がないからです。」ファティマの聖母

 

イエズス

<聖名の唱え方>

イエズスの聖名を響かせる間中、ずっと信心深く敬虔な態度を持って「イエズス」の聖名を何度も繰り返します。

聖人方の多くは、イエズスの聖名への大きな愛を持っていました。
例えば使徒聖パウロ、聖トマス・アクイナス、聖アウグスチヌス、聖フランシスコ・デ・サレジオ、また聖イグナチオ・ロヨラがそうです。
イエズスの聖名は地上の人々の間において、天主の御受肉を言い表し奉るものです。
それは全ての名を超えた御名であり、最大のほまれと栄光に値する至聖なる御名であり、他の全ての祝祭を超えたものです。

「イエズス」の聖名のうちに私達の生命の希望があり、我々は復活と永遠の救霊の保証を持つのです。

「それゆえ、天主はこの上なくかれを高め、全ての名に勝る名を惜しみなく御与えになった。
こうして、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものはすべて、イエズスの名においてひざをかがめ、全ての舌は"イエズス・キリストは主である」"と表明し、父である天主の栄光を輝かす。」
(フィリピ2:9−11)

<イエズスの聖名の賛美>

イエズスの聖名は限りなく賛美されんことを!

イエズスの聖名は限りなく賛美されんことを!

イエズスの聖名は限りなく賛美されんことを!

イエズスの聖名は限りなく賛美されんことを!

イエズスの聖名は限りなく賛美されんことを!

 

<御名に光栄を帰し奉る祈願>

「ああイエズスの栄えある御名、憐れみ深き御名、愛と力ある御名よ、御身によりて罪は赦され、敵共は克服され、病者は病より解放され、苦しむ者は強く快活となりたり。
御身は信ずる者に光栄を与え給い、説教者を指導し、懸命に働く者を強め、疲弊した者を養われ給う。
御身によりて我らの祈願は聴き容れられ、御身への我らの愛は熱く燃え立つなり。
御身を黙想し奉る者の霊魂は、天の御国の全ての祝福もて溢れんほど満たされ、かつ御身の栄光もて満たさるるなり。
これの御身の至聖なる御名によりて、我らもまたこれを行き渡らせんことを。アーメン。」

 

<聖名の驚異>

(ポール・オ・サリヴァン神父)

聖パウロは私達に、言葉においても行いにおいても、すべてイエズスの御名において行うように伝えます。
「言葉にしろ、行いにしろ、何かをする時には、主イエズスを通して父である天主に感謝しつつ、全てを主イエズスの名において行いなさい(コロサイ3:17)。」
この様にして、全ての行為は愛と徳の行いとなります。
また更に聖寵と全てを完全に良く行う助けとを得るのです。

我々は聖名を唱える習慣を作るために、最善を尽くすべきです。

「イエズス・イエズス・イエズス。」

毎日しばしばよく唱えます。服を着ながらでも、労働しながらでも…私達が何かをしていても、悲しみの時においても、家の中でも、通りを歩いていても、どんな場所でも。

もし私達が一定の決められた方式の中で行うのであれば、それほど容易な事はありません。
我々は毎日数え切れぬほどの回数を唱える事が出来ます。

我々が「イエズス」と信心深く呼び申し上げ奉る毎に、
1.我々は天主に大きな光栄を与え奉り、
2.私達自身のための偉大な聖寵を受け、
3.煉獄にある霊魂を助けることが出来る、ということを覚えていて下さい。

 

<リスボンの街を救いし聖名>

1432年リスボンにおいて、壊滅的なペストが発生しました。
可能であった全ての者は都市より逃れ、この様にしてポルトガルの国中の隅々までにペストが運ばれました。
全階級の数千人もの男女と子供が残酷なる病によって掃討され、悪性の流行病で人々は皆食卓で、街道で、家で、店先で、市場で、教会で亡くなりました。
歴史家の言を用いるなら、それは人から人へ、ペストに襲われた者に使用された外套から外套へ、帽子から他の衣類へ電光石火の如くに伝わりました。

司祭は、医者は、看護師は道中に横たわって放置されているあまたの者の遺体を運び出し、そうして犬は血を舐め死者の肉を食して自ら恐ろしいペストに感染し、不幸な人々の間にますますそれを広げました。

彼らの中で、衰えざる熱意を持って死につつある者を助けた、尊ばれるべき司教、聖ドミニコ会修道院に居住されたモンシニョール・アンドレ・ディアス、この聖なる人は伝染病が小さなものから日々拡大するのを見て、人々の助けにおいて絶望し、イエズスの聖名を呼び奉るように不幸な者達に促しました。
ペストの最も激しき所には何処でも生者と瀕死の者、同様にまだ病にない者に対し、"イエズス・イエズス"と繰り返す様に力説し、嘆願しました。

"カードにそれを書きなさい"と彼は言い、"あなたの者達の所でこのカードを保ちなさい。
夜間は枕の下に置き、あなたのドアにそれを置きなさい。
しかしとりわけ絶えずあなたの唇とあなたの心中でこのいとも力強き御名を呼び奉りなさい。"
"彼は平和の天使が勇気と信頼と共に病者と瀕死の者に飛来し給う様に着手しました。

貧しき病める者は新しい生命を内側に感じ、イエズスを呼び奉りて、カードを胸の上に着用、もしくはポケットに携帯しました。
その後聖ドミニコ大聖堂に更に求められ、司教は更にもう一度イエズスの御名の御力と、同じ御名において祝せられし水(聖水)について語られ、全ての病者と瀕死の者の顔に聖水を自ら散布する様に命じられました。

奇蹟中の奇蹟よ!病者は快方に向い、瀕死の者苦悶より立ち上がり、ペストは終焉を迎えました。
かつてリスボンを襲った中でも最も恐ろしき鞭より数日の間に解放され、その知らせは国中に広まり、人々はイエズスの御名を呼び奉るために一致しました。

イエズスの御名に対するこの大いなる信心は、やがて全世界に広まっていきました。

 

<聖マチルダ童貞と聖名>

聖マチルダは煉獄の霊魂らのために、世の全ての聖祭との一致のうちにイエズスの御受難を捧げ奉る習慣を持っていました。
我らの主は一度聖女に煉獄を開き給いて、数千もの霊魂が、聖女のその「イエズス」と呼び奉る小さき祈祷の結果として煉獄より天の御国に昇りし事を御示しになりました。

我々が「イエズス」と唱え奉る時、我々は世の全聖祭と御受難を我々自身のため、もしくは煉獄にありし霊魂らのため、もしくは我々が願い奉るいかなる意向のためにも捧げ奉る事が可能です。

我々はまた世界と自国に対して常に捧げ奉るべきです。

 

Raccolta119 信心深き修練>

信心深き者が五回の「栄唱」を次の呼祷と共に唱えるならば300日の免償。
19061119日 教皇ピオ10世 謁見において)

呼祷

「イエズスのいと聖なる御名は世々にとこしえに祝せられんことを。」

 

Raccolta726 祈願>

「我らを助け給え。ああ天主、我らの救い主よ。
かつ御身の御名のほまれゆえに我らを救い給え。
御名ゆえに我らの罪の赦しを与え給え。」

「聖名のほまれゆえに、我らを救い給え。」

「御名ゆえに我らの罪を赦し給え。」

祈願

「御身の者らの祈りを慈悲深く聴き容れ給え。
我らは御身にこいねがい奉る。ああ主よ。
我らの罪ゆえの受苦は真っ当なれど、御身の聖名のほまれより慈悲深き救いを得しめ給わんことを。
我らの主キリストによりて。アーメン。」

3年の免償。 1849118日 聖座認可)

イエズス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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