不思議のメダイ

祝日11月27日

<最初の御出現>

1830718日の夜11時半頃、ラブレ修道女は3度続けて自分の名を呼ぶ声を聞いたので、その声のする寝台の引幕を少し開けてみた。するとそこには不思議にも45歳ぐらいのうるわしい一人の子供が立っていた。白い上衣をまとい、毛髪は金色で、全身から光を発し、周囲を照らしているー子供は言った。「お出でなさい。聖堂で聖母マリア様があなたをお待ちです。」しかし共同寝室に寝ていたラブレ修道女は、自分が起きたらきっと誰かの眼がさめるかもしれないと内心考えた。すると子供は「心配する事はありません。今、夜半です。皆は眠っています。さあ、一緒に参りましょう。」子供の後につき従って行く途中、非常に驚いたことは、至る所に灯が輝いていた。かたく閉まっているはずの聖堂の扉も、子供がちょっと指先で触れただけで開いた。堂内は煌々と輝いていて、彼女の言葉を借りて言えば、夜中のミサ聖祭を思わせるほどだった。

聖女は聖体拝領台まで進んで、ひざまづいて祈った。ラブレ修道女にとって時間のたつのが長いように思えたが、ついに12時頃、子供は告げた。「聖母が見えました。あそこに見えました。」祭壇の右手の方で衣擦れに似た軽い音がはっきり聞こえ、一人の非常に美しい婦人がお現れになり、内陣に来て座られた。ラブレ修道女は霊感に駆られ、聖母の御足元に進み、御膝の上に親しく手を乗せ、聖母の御話をうけたまわった。「我が子よ、天主はあなたに一つの使命を委ねようと思し召しになっていられます。あなたは数々の試練を受けるはずですが、天主の光栄の試練と悟ってきっとこれに打ち克つでしょう。信頼の念を失わず、恐れてはなりません。」それから聖母はフランスの上に不幸が起ころうとしていること、世の中は隅々まで色々な不幸にあう事、「しかしこの祭壇のもとにお出でなさい。信頼と熱心とを持って願う者には誰でも恩恵が与えられます。」と仰った。

「この瞬間ほど一生涯のうちで甘美な感に打たれたことはありません。」ラブレ修道女は聖母の出現が終わると、また案内した子供に連れられて寝室に戻った。「この子供は確かに私の守護の天使に違いありません。私はかねがね守護の天使にお祈りしておりました。寝室に帰ると2時が打つのが聞こえました。それから私は少しも眠れませんでした。」

 

<メダイの出現>

18301127日午後5時半、黙想をしていたラブレ修道女は再び聖母の御出現を受けた。

天の元后は地球の上に乗っておられたが、それより小さい地球を胸の高さに両手で持ち、祈りつつ、それを我が主にお捧げになっているように見えた。たちまち聖母の手は指輪と宝石でいっぱいになり、四方に輝き始め、その光輝は聖母を包み、その御足元も地球も見えなくなった。ラブレ修道女が恍惚として眺めていると、心の中に聖母からの御声が響いてきた。「あなたが見ているこの地球は、全世界と全ての人々を表しています。私に求める人々の上に私が広く頒ち与える恩恵の表象を御覧なさい。」その時聖母の周りに楕円形の板が現れ、その上に金文字で次の様に読まれた。<原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、御身により頼む我らのために祈り給え>たちまち聖母の御手は下方に広げられたかと思うと恩恵を表す光輝が発射され、優雅な御姿をとられたのだった。

「お作りなさい。この姿をメダイにお作りなさい。祝福されたこのメダイを身につけ、「ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼む我らのために祈り給え」という短い祈りを唱える人には、天主の御母の特別な御保護が与えられます。特にメダイを首からさげる人には大きな恵みが与えられます。」突然メダイが裏返ったかと思うと、横木のついた十字架を乗せた”M”という文字を彼女は見た。またその聖母の御名の頭文字の下に二つの心臓があり、一つは茨の冠に囲まれ(イエズスの聖心)、一つは剣に刺し貫かれて(マリアの御心)いた。

 

<第三回目の御出現>

ラブレ修道女は聖母の御命令に従って聴罪司祭アラベル神父に御出現の次第を語った。神父はこれを冷淡に聞き流したばかりでなく、むしろ反対し、これを信じることを禁止した。謙遜なラブレ修道女はこの命に従順であろうと望んだが、いかに努力しても自分の心に銘記された御出現美しく、また喜ばしい記憶を取消すことが出来なかった。それどころか再び聖母にお会いしたいという望みにかられる念がますます強まりいく一方だった。

12月に、前回の様に聖堂で静かに黙想していると、聖母が御出現になられた。御年は40歳ぐらいに思われた。「御母よ、聴罪司祭様は私の言葉を信じては下さいません。」「我が子よ、安心しなさい。神父様は私の忠実なしもべですから、私の言葉に反対せず、きっと私の望みをはたすでしょう。」その後、聖母の御望み通り、パリのクェラン大司教の許可のもとにメダイが作られ、以来メダイは全世界に驚くべき勢いで広まり、多くの恵みや改心が行われて、誰言うことなく「不思議のメダイ」と呼ばれるようになった。

聖母が御出現になられたパリの愛徳姉妹会本部聖堂

 

<不思議のメダイ>

(表)聖母マリアの御姿は「無原罪の聖マリア」です。周囲には「「ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼む我らのために祈り給え」」と刻まれています。
御手の宝石を散りばめた指輪からから発する光線は、御母マリアに願う人々の上に与えられる恵みを表し、光を出さない宝石は、人々が願うのを忘れている恵みを表しています。
地球は全世界を表し、踏み砕かれた蛇は悪霊を意味しています。
無原罪の聖母への信仰は西欧にて6世紀頃から信者間に広まり、17世紀に日本でもキリシタン達の間に無原罪の聖母のメダイが普及していたといわれます。

 

裏)”M"はマリアの御名の頭文字です。
”I”の横木は「Immaculata(無原罪の)」です。十字はキリストの十字架です。
12の星は教会のシンボルであり、またマリアを示しています。
右下の心臓は苦しみの剣で刺し貫かれたマリアの聖心であり、左下の心臓は人々の救いのために、茨のとげで傷ついたイエズスの聖心です。

 

 

<聖コルベ神父の御言葉>

「この不思議のメダイは全てを超えたものである。」

「回心と成聖は、天主の恵みのことですから、不思議のメダイはそれを得るための優れた手段です。不思議のメダイはM・I(M−ミリチア<軍団>、I−インマクラタ<無原罪の聖母の頭文字>。つまり無原罪の聖母の軍団の意味)の第1級の武器です。忠実な騎士は、その武器で敵、すなわち悪を撃つのです。そのことによって霊魂を救います。聖カタリナ・ラブレが予見したこと、すなわち聖母が不思議のメダイを啓示し、同時に全世界と特に各々の霊魂の元后となられると啓示されたことが実現するように、私達はすべての力を動員しましょう。」

「様々な時代における種々の試みにおいて、至聖なる童貞マリアは御自分の子らの助けに走せ来たり給いて、更に容易なる救霊への到達の異なる方法を、また他の者達のサタンのくびきよりの解放を与え給うたのである。今この無原罪の概念の時代において、至聖なる童貞は人類に"不思議のメダイ"を与え給うたのであり、その天的起源は癒しと殊に無数の回心の奇跡によって証明されたのである…。」

「このメダイにはこの呼祷が刻まれている。"ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼む我らのために祈り給え。"これは無原罪なる御者が我々に知らしめ給い、その暗唱を勧め給うものであり、彼女御自身が我々の唇に置き給う祈りなのである…これはまことの我々の天的武器である。」

「汚れなくお宿りになられた聖マリア、あなたにより頼む私達のためにお祈り下さい。また、あなたにより頼まない人々、特に教会に敵対する人々、そして私達があなたにより頼むすべての人々のためにお祈り下さい。」(聖コルベ神父の祈り)

 

 

<不思議のメダイにいわれのある聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会の修道女のお話>

(ふしぎのメダイ 聖母の騎士社 より)

(問)「聖母マリア様は何を私達にお示しになりたかったのでしょうか。」

(答)「それは主に二つあると思います。その一つは神様の御恵みを忘れている人々が余りにも多いので、マリア様は人々の目を神様の方へと向けさせたいお気持ちでした。<マリアを通して神様へ>これはキリスト信者の標語となっておりますが、このことはパリの御出現に、よくあらわれています。神様の方へ目を向けさせるきっかけとして御与えになられたのがマリア様のメダイでしょう。

現代の人は余りにも物質に流れ、神様の御恵みを願う人が少ない。神様は御恵みを与えようとしておられるのに、人々は無関心で、祈らない。それを、御出現のマリア様は訴えておられるのです。その証拠に御出現の時マリア様の御手から美しい光線が出ましたが、その中に輝かない宝石があったのはそれを示しております。

第二の意義は、マリア様が御自分を無原罪の御やどりとして御示しになられたことです。無原罪の御やどりが教会で信仰箇条になったのはこの出現のあと二十四年後、ピオ9世教皇様の時でありましたが、この時すでにマリア様は"原罪なく宿り給いし聖マリア"と祈ることをすすめておられます。」

 

(問)「この出現が、ルルドやファティマなどと違う所はどこでしょうか。」

(答)「ルルドやファティマにおいては群集が被出現者について行き、脱魂や奇跡などを見ることが出来ました。しかし、パリの御出現について人々は何も知らなかったのです。つまり公ではなかった―この点が違います。カタリナ・ラブレには何の特異性も奇跡もなく、メダイは普及していましたが、同じ修道院のシスター達でさえカタリナ・ラブレ修女が聖母の御出現を受けたなどとは全く知らなかったのです。ただ信仰の深い、非常に熱心なシスターであることだけが知らされていました。カタリナ修女は出現後も四十数年間隠れた生活をし、養老院で老人の世話や家畜を飼い、普通の仕事を信心と沈黙のうちに過ごし、七十歳で亡くなられました。」

 

(問)「メダイと"お守り"はどう違うのでしょうか。"お守り"といえば必ずご利益につながっています。マリアのメダイもご利益的なお守りの役を果たしているのでしょうか。」

(答)「先ほど申しました通り、この御出現の大きな目的は人々の心を神様の方へ向けることであって、ただ単にマリア様が一修道女に現われて、メダイを作りなさい、ご利益がありますよ、と言われたのではないと思います。神様の方に目を向けさせるきっかけとしてマリア様はメダイを御与えになられたのでしょう。

メダイにはマリア様の御姿が刻まれております。人は誰かを記憶したり思い出す場合、写真や形見を身近に持つでしょう。マリアのメダイを身につけることによってマリアが身近におられ、私達を守っていられることを感じるのです。それによって神への愛とか信仰心が増すならメダイの効果はあったと言っていいのではないでしょうか。

確かに、このメダイには「大きな恵みを受ける」という約束や、信頼する人には御恵みが与えられるという聖母の言葉があります。実際、その通りです。しかし、私達は全ての恵みを、それが精神的なもの、物質的なものにしても、心から神様にもっとお願いすべきでしょう。それが神の御旨にかなうものならば、御与え下さいと。

私はメダイを病人にすすめる時、こう申します。"これをつけて病気の全快を熱心に祈りなさい。でも神様の御旨が一番大切ですから、もし病気がなおらないなら、それに耐えていく恵みを与えてくれますし、病気中、苦しみや悲しみに耐えられない寂しい時も、神様はマリア様を通して、それに負けない力を与えてくれるでしょう。このメダイはきっと、そのような時、聖母マリア様があなたの側にいて下さるしるしとなり、力を与えてくれるでしょう。"」

 

 

<聖者コルベ神父の"聖母の弾丸">

(ふしぎのメダイ 聖母の騎士社 より)

「私は長崎の聖母の騎士のよおらん時代、聖者コルベ神父と一緒に生活をしましたが、今でも師のあの柔和な容貌、意味深い講和、アクセントまでが耳に残っております。
師は御自分の全てをかけて聖母マリア様を愛され、ただ聖母によって生きておられました。そして御自分ばかりでなく私達にも何時も自己を捨てて聖母に全身を捧げる事を勧めておられ、また自分の祖国のポーランドばかりでなく、全世界にまで行って聖母に対する愛を誰にも広めたい御望みで一杯でした。
この様な聖者が生前、聖母を広める手段として使ったのが、"不思議のメダイ"でした。(聖者はこれを聖母の弾丸と呼びました。)
弾丸は当たれば(持てば)必ず傷をつけます(心を揺り動かす)。
聖者は不思議のメダイで悪魔を撃退し、人々をキリスト様へ導くために霊的武器として用いたのです。
聖者はこの武器を頻繁に、どこでも気安く用いました。

例えば人から初めて紹介された時、挨拶が済むと名刺の代わりにメダイを渡すのです。町を歩いていて、話し掛けてくる人にも、お店の店員にも、誰彼なしにポケットの聖母の弾丸を配るのです。そして祈るのです。その人の幸せのために――すると効果はいつもてきめんに現れました。

聖者コルベ神父が、このように不思議のメダイを重宝視したのは神学生の頃からでした。

ローマ留学時代、聖者はよく、不思議のメダイの奇跡があったサン・アンドレア教会に行って祈りました。1842年、熱烈な反教会派の若い法律家ラチスボーヌはここで聖母の出現を受けて改心しました。その時、どうしたことかラチスボーヌ青年のポケットに不思議のメダイが入っていたのです。当時青年の改心はイタリアに大きな話題を呼びました。

コルベ神学生は、不思議のメダイの効果をこの教会で肝に銘じ、不思議のメダイを身につける信心会"聖母の騎士会"を作りました。

聖者がもたらした不思議のメダイの恵みの一つに、昭和8年、ポーランド駐在公使河合博之氏の、臨終における改宗があります。氏は信仰に導かれ、聖母被昇天祭の前日に亡くなりました。

私達は聖者コルベ神父から沢山の不思議のメダイのお恵みを知らされました。そして私もそれを体験しております。もしも誰かがメダイをつける事を嫌がるなら、その人にわからない様に服に縫い込んだり、ベッドの下に置いたりしてもよいでしょう。本人は何も知らなくても、聖母はきっとお恵みを与えて下さいます。

私達も聖者コルベ神父にならって、不思議のメダイを利用して多くの人を聖母に導く様に努力致しましょう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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