教会認可
一つの偉大な救いの手段として、一つの運命づけられた間違いのないという印、疑いの余地なくこの信心はいとも祝せられた童貞へのものです。
すべての聖なる教会博士達は聖アルフォンソ・リゴリオの言葉と同じ意見です。
「敬虔なマリアのしもべは、決して非業の死を遂げることはない。」
たゆまず信心深く、この信心を臨終の時まで行うことが一番大切です。
どのように喜びを持ちながら「3回の天使祝詞」の信心を行い天主の御母と特別な聖寵の数々を
引き寄せるか、数多くの実例を示す事が出来ます。
生涯の間中、そして臨終の時も、決してたった一日も省くことは出来ません。
この信心の実行は、13世紀に聖マチルダに示され、この聖女は臨終の時の間中、ずっと祝せられた御母に
援助を懇願していました。
我らの御母は聖女に御出現になり、語られました。
「私は確かに、しかしあなたが私に毎日3回の特別な「天使祝詞」を行う事を求めます。」
「初めの祈りは御父である天主に光栄を帰すためのもので、全能までに引き上げられた私の霊魂は、
天主の後のすべての被造物を高く超え、私は天国とそして地においても最も偉大な権限を持ちます。
あなたの死の時はどんな敵の力からもあなたを守り、敵の力を遠ざけます。」
「二番目の「天使祝詞」は天主の御子の光栄のために祈ります。
天主の御子は私に不可知の英知を伝えました。
あなたの臨終の時、私はあなたの霊魂を英知の光で満たし、無知と罪の闇を払いのけましょう。」
「三番目の「天使祝詞」は天主である聖霊の光栄のために祈ります。
聖霊は愛と優しさと憐れみの甘美さで私の霊魂を満たしました。
あなたの最期の時に、私は死の苦しみを天主の甘美と大いなる喜びに変えましょう。」
ポートモリスの聖レオナルドは世に知られた宣教師でしたが、「3回の天使祝詞」を無原罪のマリアへの
崇敬のため、朝と夕に唱え、これらの祈りの証明のために絶えず忠実に実行していました。
彼はこの与えられたこの信心を聴聞席における告悔において、特に不道徳の罪でもがきあがいている人の
ために実行しました。
この聖人は断言しました。
「この敬虔なる修練の、信心深き継続を定める者は、永遠の救霊の聖寵を最も確実に受け取るであろう。」
(教皇レオ13世はこの信心に対し、200日の免償を与えられた。)
この信心はまたブロイスのヨハネ・バプチスタ神父によって信心会が設立され、この信心会は教皇ベネディクト15世によって
更に引き上げられました。
「信心深く三回の”天使祝詞”を祈る全ての霊魂に、臨終において大変な驚くべき美の輝きをもって
現われ、天の慰めをもってその霊魂を満たしましょう。」
我らの祝せられた御母は偉大な聖ゲルトルードに約束されました。
「どのような霊魂でも敬虔にこの「天使祝詞」を朝と夕に唱え、無原罪のマリアに光栄を帰する者は、
だれでありましてもその人の死の時には驚くほどの輝きを持って、魂を天国の慰めで満たします。」
聖アルフォンソ・リゴリオはこの「三回の天使祝詞」の信心を跪いて行い、更に各天使祝詞に続いて
次の呼祷を加えていました。
「御身の清浄なる無原罪の御宿りによりて、ああマリアよ、わが肉身を清浄ならしめ、わが霊魂を
聖ならしめ給え。」
<パドヴァの聖アントニオと信心>
聖マチルダへの啓示により伝えられたこの信心を、パドヴァの聖アントニオもまた行う習慣を持ち、そして他の者達にも
勧めていました。
聖人のこの信心の推奨の特別なる意向は、マリアの罪の汚れなき貞潔に光栄を帰し奉り、世俗的な危うきの只中で、
精神と霊肉の完全なる純潔を保つ事でした。
多くの者は、聖人の如く、その恩恵を蒙りました。
聖大ゲルトルードは、ある御告げの祝日の朝の聖祭の中で「アヴェ・マリア」を歌っている間、突如、御父と、御子と聖霊の
御心より、三つのまぶしく燃ゆる炎が湧き出て、聖なる童貞なる御母の御心を貫かれるのを見ました。
聖女は言います。
「御父の御力、御子の英知、聖霊の仁慈に続き、マリアの御力、英知、仁慈に近似するものはありませんでした。」
聖マチルダはある時、自らの臨終において聖母が御助け下さるように願い、その答えを受けました。
「もしあなたが私に対し、この三つの御礼で日々私に呼びかけるならば、わが臨在の安らぎと助けとを感ずるでしょう。」
「めでたし聖寵満ちみてるマリア、主御身と共に在します。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
天主の御母に、御父なる天主は主の全能の大いなるのうちに、御身を高め、一切の被造物を超えし御力を授け給いたれば、
わが臨終において、我と共に在し、わが敵どもの一切の罠と狡猾とより我を遠ざけしめ給わんことを、御身に願い奉る。アーメン。」
「めでたし聖寵満ちみてるマリア、主御身と共に在します。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
天主の御母に、御子なる天主は、主の探ることあたわざる英知の優れたるにおいて御身に、いと大なる大智を吹き込み給い、
いと大なる燃え輝きによりて御身を満たし給いて、至聖三位一体を、諸聖人よりもよりまことに、親しくいとも知らしめ給えば、
誤りと無知とに我が迷わざらんよう、信徳の智もて、わが臨終において、わが霊魂を照らし給え。アーメン。」
「めでたし聖寵満ちみてるマリア、主御身と共に在します。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
天主の御母に、聖霊なる天主は、かく豊かなる主の御愛の甘美さを御身に注ぎ給いて、しかして御身は天主に次ぐ甘美なるもの、
いと平穏なる御実存なれば、わが臨終の時、わが一切の苦痛をわがための甘美となす、その御神性の愛の甘美をわが霊魂に注ぎ給え。
アーメン。」
我らの主はまた聖大ゲルトルード童貞に、次の言葉をもって日々聖母に呼び願い奉るように教えられた。
「ああ、御身は我らの代願者なり。あわれみ深き御まなこもて、我らをかえりみ給え。」
このように祈る人が、臨終の時に大いなる慰めを受くことを保証された。