御聖体における奇跡

「ああわがイエズスよ、我は御聖体のうちにおられ給う御身を、わが主、わが神として、わが贖い主、わが救い主として崇め奉る。」

<ある若者の例>

ある若者はユダヤ教の信仰の道を進みました。まだ若さの花にある彼の心は、有名な音楽家となる大きな夢を抱いていました。

ある夜彼は1つのパリの主要な教会でオルガンの演奏を依頼されました。その教会において天主は彼を御待ちになっており、彼の自己愛の勝利ではなく彼を準備なされる為に、彼に1000倍大きな屈辱を御与えになられたのでした。聖なる教会の屋根は厳粛な賛美歌を響かせ、オルガンの旋律は回想と祈りによってすべての信者の心を満たし、そして御聖体のうちにおられる主に向かい全員が頭を下げました。しかしこの若き音楽家だけは信じず、御聖体のうちにおられる天主の御前にてあえて高慢に顔を上げようとしました。しかし不可視の手で彼の頭は地へと押し下げられ、彼をへり下らせました。この若者の心は征服されました。彼は跪き、カトリックになる心を起こしました。御聖体のうちの主の御現存によって若者の心は傷つき、この教会を去りました。そしてすぐさま洗礼の水を注がれ、自分の流行の服を修道士の粗い綾織の服に取り替えました。

彼はこの世の楽しみに永遠の別れを告げました。御聖体中のイエズスの聖心の力の証として、都市から都市へ、村から村へ、主への愛を宣言して進みました。「悲嘆の日々から離れた。私は主の礼拝堂の喜びを味わったので、心の平安を見出した。」もしあなたがこの特権を持った霊魂の名をお知りになりたければ、聖なるカルメル山の修道院でお尋ねになって下さい。彼らは”御聖体のアウグスチヌス神父”であると答えられるでしょう。

「ああわが子よ、しばしば正しく聖体拝領をした永遠のうちにある霊魂は何と美しいことか!」(アルスの主任司祭 聖ヴィアンネ)

<ある男性の例>

1899年12月17日、ボルドーからパリへの速達郵便中の郵便車が衝突にあいました。車中には30歳のガブリエル・ガーガムがいました。衝突した列車は80qの速度で進んでおり、衝突によってガーガムは約15mもとばされました。彼はひどい打撲と骨折をしており、腰より下は麻痺していました。担架に乗せられた時、彼はかろうじて生きていました。病院に運ばれ、暫くは生ける死者の様でした。8ヶ月後、彼は骨ばかりに衰え、足は腐敗している様になりました。固体の食物を摂取することも出来ず、チューブで栄養を取らなければならず、常に二人の看護婦が必要でした。

その事故以前に、ガーガムは15年間教会に行っていませんでした。聖心の修道会の修道女であった彼のおばは彼にルルドに行くように頼みましたが、彼は拒絶しました。おばは何度も彼自身をルルドの聖母に委ねて祈り、彼は耳を貸しませんでしたが、何度も続けて訴えた後、彼はルルドに行くことを承諾しました。

列車には彼は担架で運ばれましたが、彼は気絶しました。彼はずっと気づかず、あたかも途中で死んでしまったかの様に見えました。彼らは途中で巡礼を取り止めにしようとしましたが、彼の母親の主張で巡礼は行われました。

ルルドに着き彼は奇跡的な水の淵に置かれましたが、効果は見られませんでした。むしろ一見した所、彼は死んでいました。帰る途中に彼らは聖体行列が近づくのを見ました。彼らは行列を通すためにわきに寄りました。彼らはガーガムが既に亡くなったと思い、顔の上に布を置きました。御聖体を運んで通りかかった聖職者は布で覆われた身体を取り囲んで悲しみにくれている団体について聖体降福式を唱えました。するとすぐに布の覆いの下より動きが見え、周囲の者を驚嘆させました。彼は自身を以前と同じ姿勢でお起き上がらせ、家族の者達が驚いて見、周囲の者達が驚嘆して見つめた後、ガーガムはこの様にしたくなったのだと力強い声で言いました。彼は直立し、小さな場所を歩きました。

ガーガムは御聖体と天主の聖なる御母への謝意から、ルルドで病者への奉仕に身を捧げました。彼はそれより15年後も精力的に献身的な仕事に従事し、超自然的な事柄の可視の証言の人生でした。

「イエズスは御自身を生命のパンとして我々のいのちに与えて下さいました。昼も夜も、主はそこに在し給うのです。もしあなたが愛のうちに真に成長することを望むならば、御聖体に、その崇敬に立ち返りなさい。」(福者カルカッタのマザーテレサ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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