ミサ聖祭のための祈り

 

聖フィリポ・ネリは言いました。
「我々が天主より求め奉る聖寵への祈願もて、聖祭において我らは天主がそれを与え給わん事を求めて
努力するのである。」

聖マリア・ゴレッティ童貞殉教者は聖祭にあずかるために24kmの道程を歩きました。

聖フベルトは聖祭中に楽園の天使達を見ました。

アシジの聖フランシスコは聖祭中に血の涙を流しました。

「キリストにまねびて」の著者は言いました。
「司祭の祝い奉る時、彼は天主に光栄を帰し奉り、天使らを喜ばせ、公教会の徳を養い、生ける者を助け、
身罷りし者に憩いを得させるのである。」

 

<ミサ聖祭に与る前の祈り>

「ああ司祭よ、これの聖祭を、御身の最初の聖祭の如く、最後の聖祭の如く、唯一の聖祭の如くに唱え給え。」

 

 

<ミサ聖祭に与る前の祈りU>

「主イエズス・キリスト、我らもし、カルワリオにて主の御苦難を見奉りしならば、我らの腸(はらわた)悲しみのために
断たれたるべし。
▲今この祭壇にて行われんとする祭りは、十字架の上にて献げ給いしいけにえと異ならざる者なれば、
我らをしてこれに適うべき思いを起し、罪の赦しを蒙り、御旨に従う事を得しめ給え。
且つ、主の我らに向いて茲にまた新たに示し給う御苦難、御死去の功徳をこうむらしめ給わんことをひたすら願い奉る。 」

 

<隠された宝 ミサ聖祭>

天主にふさわしきほまれと栄光を捧げる事が出来ないと思った聖なる霊魂、
聖レオナルドに我らの主は伝えられました。
「わが娘よ、一つのミサ聖祭を信心をもって拝聴し、
あなたが望む栄光を更に限りなく私に捧げ、あなた自身を慰めなさい。」

 

ある日聖ピオ神父様は尋ねられました。
「神父様、我々にミサ聖祭について説明して下さいませんか。」

聖ピオ神父さまは答えられました。
「わが子供達よ、私がいかにしてあなたにそれを説明する事が出来るだろうか?
ミサ聖祭はイエズスの如くに限りなきものであるのだから
…天使にミサ聖祭とは何かと尋ねなさい。

彼は真理において答えてくれるでしょう。
私はそれが何か、なぜそれを捧げ奉るかを理解しますが、
それがどれほどの価値を持つかを理解していません。
一天使は千の天使である、天国では全てこの様に考えられ、知られます。」

 

 

(聖レオナルド著 1890年1月2日 ニューヨーク大司教認可)

あなたがミサ聖祭を助ける毎に、他の意向に加えてその日の聖人に光栄を帰し、捧げ奉るべきです。

 

ミサ聖祭を信心深く助ける事により、我らの主の聖なる御人性に最大の敬意を捧げ奉る事になります。

 

ミサ聖祭を敬虔に拝聴する際、自身に授けられた聖寵を天主に、もしくは特定の聖人や天使に感謝し
光栄を帰し奉る中で天主にこれを捧げ奉るならば、あなたはその聖人や天使に対し新たに光栄、喜び、
福楽を御与えする事になり、その御者のあなたへの特別なる愛と御保護を引き寄せる事になります。

 

 

<全世界のミサの恵みを得るための祈り>

「永遠の御父よ、かつて行われ、あるいは将来行われるべき全てのミサにおける我らのつたなき現存と、
世の初めより終わりに至る人類の全ての現存を謙遜に御身に捧げ奉る。
御身に我らは、我らの生涯のすべての苦痛、苦難、祈り、犠牲、喜び、くつろぎを、親愛なる我らの主イエズスのそれらと、
ここ地上において一致して捧げ奉る。
キリストのいと尊き御血、彼の全ての御血と御傷と御苦しみが、聖母の悲しみに満てる汚れなき御心を通じて、
我らを救い給わんことを。 アーメン。」

 

<諸聖人の御言葉>

聖アルフォンソ・リゴリオ教会博士は言われました。
「諸天使による崇敬の全栄光は常に天主に帰されるのであり、全ての者による徳、償い、
殉教は常に天主の栄光がために与えられ、これら全ては共に天主に一つの聖祭と同等の栄光を与え奉る事が
出来なかったのである。

全被造物のほまれを求め、しかし聖なる犠牲によって天主に光栄を帰し奉るのは、
限りなき天主の御人性により全てが生ずるからである。」

シエナの聖ベルナルディノは言われました。
「あなたの役立つ全てのものを貧者、もしくはキリスト信者の至聖なる聖堂への巡礼の備えに
分配するのであれば、あなたは一つの聖祭より更に多くを得るであろう。」

 

 

<閉祭後のその日の祝日の聖人に捧ぐる祈り>

「ああ、我が光栄を帰し奉りしうちに、キリストの御肉身と御血の無血の犠牲を捧げ奉りし(聖人の名)よ。
天主への力強きとりなしによりて、この神秘的益によりて聴き容れ給え。
この同じ我らの主キリストの御受難と御死去の御功徳を、救霊のためにしばしば来り給うと共に、我に得しめ給え。アーメン。」

 

 

<ミサにあずかるを得ざる時の祈>

(主日と守るべき祝日とにミサにあずかる事が出来ない場合はロザリオ一環とこの祈りを唱える事を勧める。)

「救世主イエズス・キリスト、主はこの世に天降りて人となり三十三年の間、清貧、謙遜、忍耐などの徳を行い、
御自ら模範となりて天への道を教え、また世の罪を償わんために無量の苦難を忍び、十字架の上に御命を棄て給えり。主の御慈しみは厚く、
御憐れみは深きかな。

主はこの世を去らんとする前の日に、十二使徒と夕食を共にし、御自らパンを取り、全能の聖父を仰ぎ、これを祝して裂き、
使徒たちに与えてのたまいき、
"汝ら受けてこれを食せよ。これ汝らのために渡さるるわが体なり"と。
次にさかずきを取り、これを祝して使徒達に与えてのたまわく、
"汝ら皆受けてこれを飲め。これ汝らと人々との罪の赦しのために流さるる新約のわが血なり。
汝らわが記念としてこれを行え"と。

かくてパンとぶどう酒との形色のもとに、主の御体、御血、御霊魂、および天主の尊き本性をわれらに遺して御自らからミサ聖祭を定め給えり。
主は聖祭のうちに天下降りて尊きいけにえとなり、天主なる御父に献ぐべき、礼拝、感謝などを我らのために尽し、
御苦難御死去の御功徳をあまねく施し、またこの聖祭により、主は我らと共に在しまし、我らの主は霊魂の糧となり給う。

ミサ聖祭に与かる者はかくの如き御恵みを受く。
われ今この幸いを望みて限りなき御恵みを求め奉る。
聖マリア、使徒聖ヨハネ、聖マリア・マグダレナがカルワリオにて主の御死去を仰ぎ見。
御功徳を被りし如く、ミサ聖祭に与かる者はまた主の御苦難、御死去を記念し、等しくその御功徳を被るを得るなり。
我今聖祭に与かる能わざれば、深くこれを望み、謹みて主の御苦難と御死去とを追懐し、その御功徳を与えられん事をひとえにこいねがい奉る。

われまた聖体を受くるを得ざれども、聖寵を賜い、我をして再び罪を犯して主を離るる事なく、主に倣いて、謙遜、潔白、忍耐、仁愛などの徳を
修めしめ給え。
また悪魔の誘いを避け、情欲に勝ち、主の平安を保ち、地獄の終りなき苦しみを恐れ、天国の限りなき楽しみを求め、心を尽し、力を尽し、
専ら主を愛し奉る事を得しめ給え。 アーメン。

 

 

<教皇聖ピオ10世の御言葉>

「多くの人々が毎日聖祭に行く時間がないと主張する。私はこの単なる弁解の事例が大多数を占め、
莫大な数の者となる事を恐れるのである。

彼らには新聞を読む時間があり、彼らの友人を訪問する時間があり、自らを楽しませるための時間があり、
公的な娯楽に外出する時間があり、恐らく数時間を費やし、役に立たない、もしくは無用な会話に費やし、
しかしながら彼らは計り難き最重要事に対しその日の1時間と30分の与える時間を持たないと言うのである。
それは信心深くある事が可能であったにも関わらずである!」

「家庭内の義務が、彼らが聖祭を拝聴するために家を出る事を不可能とする幾らかの理由の示しを持って他に主張するのである。
確かに、これが事実である場合があり、母親は夫と子供達の世話をし、家庭で朝食の準備に専念せねばならない。
しかし格言があるのである。
"意思ある所には道がある。"」

 

<ミサにあずかるを得ざる時の祈U>

「ゆき給え、わが親愛なる守護の天使よ、わがために教会にゆき聖祭を拝聴し給え。
ゆきわが場所にて信心深くひざまずき、わがためのあらゆる聖寵を保ち給え。
奉納の時にては神性なる天主に我を捧げ給え。
我の持つ全てとわが全てを、いと尊き子羊に贈り給え。
大いなる奉献においてはわがために崇め給え。
我のもつ遠近の至愛なる者全てがために祈り給え。
キリストのいと尊き御血の流し給える我の親愛なる身罷りし者をも思い出て給え。
かつわがための食物なるキリストの御血と肉なる聖体を我にもたらし給え。
彼の御顔に向かいまみえ奉らん事を誓い、聖祭の執り行われし後、彼の祝福もて家に帰り給え。」

 

<諸聖人の言葉>

・「我々が聖体拝領する時、花がミツバチを包む如くに、愛の慰めが霊魂を包むのである。」
(聖ヴィアンネ)

・「敬虔にミサ聖祭を拝聴する習慣を持つ者は、臨終において諸天使と聖人らの現存によって慰められ、
地獄の霊共のよろずの罠より勇ましく守られるであろう。」(我らの主より聖マチルダへ)

・「全き信心もて聖祭にあずかる者は、天主の義による着手の、罪人に対するもっとも恐ろしき一撃なる
急死を免れる。
急死に対する素晴らしき予防薬を見よ。」(聖アウグスチヌス)

・「天が開き、数多の天使が聖祭の聖なる犠牲を助けるのである。」
・「目に見え、また見えざれども、聖祭にあずかる者が諸悪と諸難を免れるのは、いとも真実である。」(聖大グレゴリオ)

 

<聖祭における各祈りの意味>

(回心)
聖祭の開祭において司祭が頭を垂れさせて回心に招く時、我らはまた主の御苦悶に己を一致させ、
我らの過ちをへり下って告白し、キリストの御苦悶の御功徳によって皆の赦しを願います。

(感謝の賛歌)
我らは数多の天使らが聖祭を助けるために天下り給いたるを、そして彼らの只中に我らがおり、
我らの声が天使らの天主の尊崇と賛美に一致する事を思い起こします。
天使らは天主に我らの祈りを届けられます。

(奉献)
我らはベツレヘムにおいて主が生まれ給いしが如くに、イエズスがまことに司祭の手のうちに
生まれられし事に対し、愛と最深の敬いの念に満たされます。
司祭の聖体奉挙の時、天の御国において諸天使が主を見奉るが如くに、
我らは喜悦の恍惚のうちに我らの天主を見奉り、唱えます。
「わが主、わが天主よ。」

(御血の奉献)
我らはカリスにおいてイエズスが全く御血を流され、天主の御栄えと我らの意向のために
これを献じ奉るために、司祭と共に天主にこれを捧げ奉るを思い起こします。
これは己を、己の罪や意向、親愛なる者、カリスの中に全く存在し給う御者のうちに在す
煉獄の霊魂らを据え、この時において、世の全ての部において天主に捧げられます。

我らは奉献と聖体拝領より、聖なる畏れと愛に満たされるべきです。
我らは数限りなき崇める天使らの只中にあります。

 

 

<聖体拝領後の祝福の祈り>

(聖祭における司祭による聖体拝領後の祝福の祈りは、
現行のノブス・オルドミサでは削られていますので、
ノブス・オルドミサにあずかる場合は聖体拝領後に行うという形で対応するべきかもしれません。)


我らの主は聖大ゲルトルードに、この祈りを行う者は誰であれ、
その報いによってわが御頭を慈悲深くその者に向け、その者の祝福と誉れのいや増しのために、
わが託身の一切の実りを、わが全ての愛と共に御父なる天主に捧げるであろうと約束された。

「ああ、善きイエズス、御身の全能が我を祝し、御身の智恵が我を教え、御身の甘美さが我を充ち満たし、御身の善徳が我を引き寄せ、御身と我をとわに一致せしめ給え。」

司祭の「御言葉は人となり、我らのうちに住み給えり」の祈りの所で頭を下げ、

「我、御身に謝し、祝し奉らん。
ああ善きイエズス、我への愛ゆえに、御身はいみじくも人となり給いき。」
と祈る。

 

 

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