天の門なる童貞マリア

「ああ全ての者の救いの御母よ!」聖アグネス

(ステファノ・マネリ神父)

永遠の救いの保証、楽園への定めのしるしとして、我々は聖母への信心を持つべきです。聖アウグスチヌスは、「地上に定められた全ての者は、マリアの御胎内のうちに囲まれるのである。」と言いました。

聖ボナヴェンツーラは、「マリアへの信心を行う者達の中に名を記載することは、誰でも生命の書に登録されるのである。」と宣言しました。もしくは更に明確な言葉で「聖母を愛し奉る者は、誰であっても楽園の保証を持つのである。」

聖アルフォンソは「聖母を愛し奉るかれは、あたかも既にそこにいるかの如く楽園を同じく確信出来るのである。」とあえて語りました。

したがって、聖母への信心は天つ御国の保証であります。聖母が「天の門」と呼ばれ給うのも、なぜなら聖母によらずして楽園に入りうる者が一人としてないからです。したがって聖ボナヴェンツーラは簡潔な方法で、「門なるマリアを通り抜けねば、誰も楽園に入る事が出来ぬのである。」と語りました。これは全ての人が聖母への信心を行う事が出来るように、この"天の門"に両聖人と罪人、信者と不信心者が近づき奉る事が出来る慰めと考える事が出来ます。

<罪人のよりどころ>

これは絶望に陥った聖母に御助けを求める霊魂達、罪の中にいる人々の道の導きと救いを私達の神がすべてをこえた天の御母に託されたことを知って慰められるものです。

聖大ゲルトルードは幻視の中で、聖なる童貞が大きなマントを着用されておられるのを見、その下には避難したすべての種類の動物が現われました。童貞マリアは御自身に訴えかける罪人みなが、避難と救いを見出したことを理解させました。

偉大な聖人方と教会博士は、問題の多い心に偉大な希望を示し、言葉をもってこの真実を私達に保証します。私達はそれらの考えのうちのいくつかを示します。

 

聖大グレゴリオは正しく宣言します。「御身の御力に屈しない者は存在せず、ああマリアよ、そのため御子は御身の祈願を聴き容れ給う時、義務を果たされんがために現れ給うのである。」これはイエズスが御母に向かって現れ給うという意味ではありません。

聖ジェンマ・ガルガーニの御生涯の中で、ある日聖女は高位の石工である頑なな罪人の回心のために恍惚の中でイエズスに祈っていましたが、イエズスは御聴き容れ下さいませんでした。「彼はあまりに聖寵を悪用した。彼の邪悪なやり方で彼は頑なになった。私は彼を見捨てたのである。」

聖女は諦めませんでした。聖女は更に願いましたがしかし聴き容れられませんでした。イエズスの断固とした拒否を考慮する中で、最後に失望して叫びました。「それは結構です。私は理解しております。私は御身の御母に話しましょう。また御身が御母に否定をされますかはお任せ致しますから!」聖女は御母に話しました。御母はイエズスに御眼を投じられ、イエズスは微笑まれました。そしてまさにその日、その罪人は告白に行きました。

1812年3月21日の夜、福者アンナ・マリア・タイギは教会と人類の不幸のゆえに祈りを注いでいました。福者はその後幻視を得、炎の只中に地球があり、地球がまさに破壊されるところであるのを見たのでした。更に十字架上におられ給うイエズスの御血が祝せられたる童貞マリアの御足下まで流れ出るのを見ました。マリアは罪人達のために、その恐ろしい懲罰を止められるように、その御血の御功徳によって祈りを御捧げになりました。御憐れみが得られました。またクララ会修道女であった聖コレッタもまた同様の幻視を得ていました。

それより数世紀前、偉大な聖教皇聖グレゴリオの時代に、ひどい感染病がローマに流行し毎日数千人もの人々が亡くなりました。聖グレゴリオはサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂よりサンピエトロ大聖堂への悔い改めの行列を御命じになられました。行列において教皇は素足で歩き、悔い改めの衣服を着用され、聖母の御姿を運びました。「聖なる天使の橋」の市を通り抜けた行列に、上空より現在聖なる公教会の御復活祭の典礼にて歌われる交唱を歌う天使の聖歌隊の音楽が届いてきました。

「天の元后喜び給え。アレルヤ。御身に宿り給いし者は。アレルヤ。のたまえる如くよみがえり給えり。アレルヤ。」

 

<聖ピオ神父の幻視>

「我らの主は楽園を通って歩かれました。また彼は、楽園ではなく地獄にふさわしい多くの罪人に対面されました。彼は聖ペトロを呼ばれ、ふさわしくない者達を誰であっても楽園の中に入れないように警告されました。

翌日、我らの主が別の歩行をとられると、また再び彼は多くの罪人に遭遇されました。彼は再び聖ペトロを呼ばれ、今回は厳しく彼に忠告されました。聖ペトロは恥ずかしくなり、彼に最大限の警戒を約束しました。

しかし翌日、また同じ事が起こりました。我らの主は新しい罪人達に遭遇されたのです。この時彼は聖ペトロを呼び出して、彼を罰して楽園の鍵を彼より奪い取り、彼をこれから遠ざけてしまう事を決められました。

しかし罪人達が楽園に入る方法を見つけたペトロは自己弁護の方法を知っていました。夜の暗闇の中、万物が眠っている間に我らの祝せられた御母は天国のドアを開かれて罪人達を入れていらっしゃるという事を主に申し上げ、「さて」と聖ペトロはしめくくります。
「御身の御母に対し、私は何もする事が出来ないのです。」

そして我らの主は付け加えられました。「私もまた何も出来ないのだ!」

 

<聖ドン・ボスコと童貞マリア>

例えば、我らの御母が聖ドン・ボスコの困難の直面から幾度救い出されたか、その数を数え上げる事は出来ません。
一度たまたま、いつものパン屋が、聖人がこれまでの借りを全て返さなければ空腹の彼の生徒達に一切パンを持って来ないと伝えました。借りは既に相当な金額になっていたのです。しかし聖人は現金を持っておらず、我らの御母がこの日のうちに負債の支払いを御取り計らい給うであろうから、とにかくパンを運んで来る様に頼みました。

そしてパン屋はパンを運んできて代金を求めようとしましたが、しかしその時聖人は丁度聴罪中でした。そのパン屋は後でまた戻る事にして一先ず去りました。聴罪が済むと、聖人は何を行って良いかわからず、自身の助けを我らの御母に願い出ました。すると次の瞬間、見知らぬ紳士が現われ聖人に封書を手渡しました。聖人はそれを開けずに署名をして、ミサ聖祭を執り行うために出て行きました。ミサ聖祭を終えて食堂に行くと、聖人はパン屋に負債の支払いを求められていた事を思い出し、続いて自身が署名を入れた封書を思い出しました。それを開けると、パン屋の要求を満たすに十分な、寛大なる提供を見出したのです。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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