「すべての民の御母」への疑問

 

一神学者の「すべての民の御母」なるオランダのイーダ・ペーデルマンへの私的啓示が誤っているものであり、天からのものではないとする理由とつつましく敬虔なる見解。

 

背景

オランダのイーダ・ペーデルマンへの「私的啓示」は多くの人にはあまり知られていませんが、1945年3月25日から、1959年5月31日まで与えられました。

彼女はまた「聖体拝領中の体験」と呼ぶものを列挙しました。
それらは1958年に始まり、その示現と啓示は1984年まで続きました。
彼女は1996年6月に亡くなりました。

 

誤りとする主張点

これらの啓示は祝せられた童貞を、「聖母(Our Lady)」ではなく「婦人(The Lady)」と呼び、彼らはもはや「マリア」と呼び奉る事さえ出来ないと主張します。

この「私的啓示」なるものは、更に十字架の御前において、祈祷の中のこの表現、
「かつてマリアであったすべての民の御母」を用いる様に人々に命じています。(1951年2月11日の啓示)

ペーデルマンは、この「婦人」の示現との会話を詳しく述べました。
「『私は御母を再び見奉り、私は御身を何とお呼び申し上げればよいでしょうか?
(私は再びこれを尋ねばなりませんでした。)』彼女は私に答えられ、『ただ私を婦人(The Lady)と呼びなさい。』」(1950年8月15日)

マリアの御名をゆがめ、若しくは取り替えようとする試みは、アイリーン・ジョージの他の誤った「私的啓示」のそれと似ており、彼のそれは「イエズス」と「聖霊」を妙な愛称にかえました。

こうしたものは天から来るものではなく、聖三位一体と聖母を非常に侮る堕天使共より来るものです。

 

示現の記述

この示現なるものの姿は、白いドレスを着用して、地球を足掛けとして立つ女性でした。
彼女の手は磔の方法で貫かれていました。

彼女の顔は妙な顔つきで正面を直視しています。
彼女の後ろには直接十字架があり、再び磔が示唆されています。
彼女の手の傷から多くの光線が、地球の円周を囲む白と黒の羊達に向かって放射されています。
彼女の足は露出し、腰の周囲には妙な紐をくくりつけています。
彼女の頭髪は肩を横切って下がっており、頭の覆いはそれほど彼女の頭髪を覆ってはいません。

 

グアダルーペの聖母の御姿との比較

この御姿は、「すべての民の御母」とは似ていません。
グアダルーペの聖母はつつましさの内に御目を下方に向けられており、御手は祈りを示されています。

御服は花柄模様で女性的であり、御髪はほぼ完全に覆われています。
頭の覆いは広く地面につくまでの外套の如きもので、御服はつつましきながらも童貞マリアの
深遠さを呼び起こすものでありました。

 

図中に見える教義的誤り

この肖像は実際の示現によって教えられた、歪曲された教義の範囲内で見つけられる間違いの適当な目に見える図です。
事実は童貞マリアは共同贖罪者であり、とりなし手であり、擁護者であります。

しかし真正の教義の歪曲はこの肖像から明らかであり、マリアがキリストに取って代わり、この肖像ではキリストが追い出され、彼を彼女に入れ替えている通りです。

 

「すべての民の婦人」のこの肖像は虚ろで気味の悪き凝視で正面を見据えながら彼女を演じています。
謙遜の様子はありません。

聖母が真正の私的啓示においてドレスを着用され給いし如きドレスを着用していません。
彼女の衣服はドレスというよりも一層ローブに近いものであり、それはそれほど女性的なものではありません。
これは彼女の顔の表情と同様に虚ろなものです。

彼女の衣服と表情には深遠さと種々の素養はありません。

 

更に悪いのは、十字架と彼女の手の傷の意味です。
肖像では十字架上のキリストをマリアが取って代わって据えられています。
この婦人は御子に対し十字架の御足元につつましく祈ってはいません。
その代わりに御子が不在であり、彼女は十字架の前で彼の代理を務めています。そしてあたかも彼女が磔にせられし如くに、彼女には彼の御傷があります。

明らかにこの肖像は、十字架に磔にせられしキリストより来る救霊を、十字架に磔にせられし婦人に
すり替えています。

この肖像において、歪曲された教義と同様に、救霊がマリアより来る如くに見受けられます。

ところが真正の教義において、救霊はマリアより来りません。
マリアは救霊を為し給う主の助手であり、救霊は唯一キリストより来ります。

この肖像の中で婦人は有頂天であり、そしてキリストは不在です。

 

当たらぬ預言

1950年12月10日の伝達において、「満州で大騒動が起こるでしょう。」と伝えられましたが、何も起こりませんでした。

1954年5月31日の伝達によって、教区のフイバーズ司教がこの婦人のための教会の建設の許可をイーダに示されるであろう事が伝えられましたが、何も起こりませんでした。

1957年5月31日の伝達は、「(聖母に関する新たなる)教義が発表される時が今到来しました。」と言われました。
しかし特に発表される事はなく、また発表は考慮さえもされませんでした。

1958年2月19日の伝達では明確に、教皇ピオ12世の後継者が"(聖母に関する新たなる)教義の発表"をする事が伝えられました。しかし後継者である教皇ヨハネス23世はそれを行われませんでした。

1965年5月31日の伝達では、当時の教皇パウロ6世が"この仕事のために選ばれた"と主張され、また教皇パウロ6世はこの伝達の言う歪曲した教理の発表を行いませんでした。

 

イーダの言葉

イーダ・ペーデルマンは異端組織である「マリアの軍隊」の創設者、マリー・パウレ・ギグエレと懇意でした。
イーダは離婚した5児の母親であり、6千ページにも渡る「啓示」なるものを捏造したこのマリー・パウレに関して書いています。

「この女性は誰でしょうか?第二のシエナのカタリナ?第二のジャンヌ・ダルク?教会史は既に彼女の如き者を知っているでありましょうか?
我々は彼女が無比の者であると考えます。
彼女が聖なる童貞マリアの受肉であると主張する限り、私は走せよりさえ致します。
驚くべき方法において、彼女は全ての民の婦人(管理人注:現在日本語では御母と翻訳されています)の
共同贖罪者にして、とりなし手にして、擁護者であります。」

「あなたは教会博士です。」(第七の書:155頁)

「あなたは共同贖罪者です。」(第十三の書:76頁)

「あなたの御子息のピーターは偉大な平和の教皇となるでしょう。」(第一の書:327頁)

これらの言葉は公教会の信仰に決して相容れぬものです。

 

イーダの生活と交友

長期間に渡って集められた証言から、イーダ・ペーデルマンは謙遜というよりも、自己中心的でもったいぶった方向に振る舞っていた事がわかります。

彼女は全尊敬をもって天より選ばれし示現者として扱う様に要求していました。

時折"出現"をその"婦人"に期待し、勤務中においても度々持ち場を離れました。

彼女の予測のつかぬ、かつ尊大な振る舞い故に、彼女は終に解雇されました。

1946年に雇用者であったボルドート氏が死去し、彼の遺品の中に、イーダへの「啓示」の初期のものが書かれたものが見つかりました。

これは後に「青い小冊子」と改定され、その中でのいくつかの無難なものだけが用いられました。

恐らくこれは最初の展望のうちのいくつかがあまりに多くのたわ言を含んでいたからでした。

その多くのものの中の一つに、「全ての民の婦人」の運動が、1945年10月7日に彼女に洋服を脱ぐように示唆したとあります。

またイーダは好戦的なヴォン・ヘンツ将軍の示現を受け、政治的な啓示を受けたとも主張しています。

イーダはバチカンで働いていたオランダ人司祭、リエルド神父と接触を持っていました。
この司祭は教皇の雑用係を勤めていましたが、幾人かの嫌疑のかかっている「自称示現者」との接触で有名でした。
彼は「マリアの軍隊」を組織した既出のカナダのマリー・パウレ・ギグエレと「神秘的結婚」さえ行いました。

マリー・パウレは「マリアの軍隊」を去った後「マリアの軍勢」を設立しました。

1987年のカナダの司教会議においては彼女の行動の一切が禁止され、この時同時に「全ての民の婦人」への信心と祈りも禁止されました。

 

「11回目の出現」というものの中で、聖母がイーダに次のように語ったと記録されています。

「世は自らを滅ぼします。
英国国教会、東方教会、新教のような異端の教会は、ローマ公教会を崩壊させます。」

しかしこれは、聖書の言葉に明確に反します。
聖書には、公教会を崩壊させることができる者はないとあります。

1951年12月31日の「啓示」で、この「婦人」は言いました。

「この祈りは、世の救いのために与えられました。この祈りは、世の回心の為でした。
この祈りに、何であれ、あなたの日常生活で行うものを伴わせて下さい。
この祈りは公教会に、共同体の近代的手段によって、広められねばなりません。
今の世の人々は、全ての民の聖母を呼び求める事を学ばねばなりません。
彼らの代願として、彼らは堕落、災害、戦争より守られるでしょう。」

この「婦人」の要求によって、毎日の祈りをこの祈りに置き換えるならば、「主祷文」と「ロザリオの祈り」は、この祈りに替えられてしまうでしょう。


アムステルダムの祈りは表面上、公教会をして聖霊に委ねるのを奨励していますが、微妙なやり方で、キリストより離れた「婦人」への信仰へと人々を動かします。

 

1954年5月31日には、この「婦人」がイーダに、聖母に関する新たな教義を教皇に発表させるように手伝うように命令します。

「私は今、これらの三つの概念を、あなたの神学者に示しました。
これらの三つの概念は全一です。
私はこれを二度語っていますのは、一つの概念のみを受け入れいる者が若干あるでしょうからです。
教皇は前者に同意しますが、あなたは彼がこれを果すのを助けなければなりません。
それについて、間違いを犯さないで下さい。」

しかし、これは実現しませんでした。

 

それからちょうど一年後の5月31日に、「婦人」は再び言います。

「なぜあなたは教皇に、婦人の要求である教義の宣言を願わなかったのですか?」

またアムステルダムでは、客観的に証明された奇跡というものもありませんでした。

 

1952年10月5日に、「婦人」はイーダにこのように言ったと記録されています。

「御父は、主イエズス・キリストを、全ての民の贖い主として御遣わしになりました。」

イエズス・キリストを、「全ての民の贖い主」とするならば、地獄に自ら落ちた者も贖われて、救われる事になります。

 

<「すべての民の聖母」の誤り>

ラマ・P・コーマラスクミー医博

時折彼女は自らの神学上でうっかりした間違いを犯します。彼女は述べます。

「私は泣きます。私はひどく泣きます!ひどく!(非常に多くの感嘆符です!!)カルワリオの道上の人類の救霊のために十字架上の御子の御死去を見奉る事に、誰も私を聞かず、正しい者さえもおりません。」
"正しい者さえもおらず"また"イエズス"とのやり取りにおいて"イエズス"は言いました。
「警告は既に始まったのである。あなたはこれが永遠の御父がもはや我を聞き給わず、わが天の御母を聞き給わざるによる、永遠の御父よりの涙と苦悶の恐ろしき辛苦である事を解せねばならぬ。」(1967年7月9日)
祝せられた三位の第一のペルソナが、もはや第二、また我らの主の何たるわけか、御自らの永遠の贖い主の御役目を停職されたと信ずるでしょうか?

 

神学上のもう一つの誤りの例は以下の節で見出されます。

「わが御子は十字架上にて死去され、もし彼が再び地上に来り給うならば、彼らは彼に対し更に悪しき事を為すでしょう。はい、まことに。」(1967年6月9日)
問題はここです。

キリストの御受難と磔刑の、直ちに全可能なる苦しみの統合でありし時より、限りなき程度の苦しみ、責め苦と死のもう一つの型より悪しくあり得る事は明らかに不可能です。
(中略)

再び8月12日において、彼女は私達に知らせます。

「わが御心は非常に苦しめられ、浜辺で犯される重き罪、とりわけ数多の不貞の罪によりて血の涙を流します。またわが御子は十字架上にありし時よりも更に苦悶によりて引き裂かれます。」

再びこの"婦人"、より来る、真理と誤りの混合に注意して下さい。
確かに、浜辺で犯される不貞の罪が天主の御怒りを招くという事は真実です。
しかし天に在し給うキリストが地上の御受難の間の御苦しみよりも、これによりて更なる御苦悶によりて苦しまれているというのは不合理です(現在のノブス・オルド形式の聖祭がもたらす苦悶については語られていません)。

イーダは他所で言います。

「今御母より言われました。『早く!』彼女は去られ、世界中の他の幻視家のもとに行かれています。
はい、ロシアにもです。」(1965年8月15日)

聖母の御臨在の御前にひざまずいている女性からの、何と品の欠いたやりとりでありましょうか。
他の幻視家のもとを訪れようと急ぐので、バイロケーションなく「早く」と言っている天の元后を御想像なさってみて下さい。

 

つづく

 

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