聖なる十字架の御像について

近年御聖堂内では御復活の十字架像が多く見受けられ、またキリストの御姿のない十字架や蛍光塗料を使用したプラスチックの十字架の御像なども販売されております。
ここでは聖なる十字架の御像の取り扱いなどを考察したく思います。

 

<十字架のしるし、御像、聖遺物など>

かつて示されし如く、サタンは十字架のしるしと磔にせられし十字架の御像、もしくはキリスト御自身が磔にせられし聖十字架の聖遺物を恐れていました。
しかしある時、テオフィルス神父の手に磔にせられし十字架の御像がありし時、サタンは冷ややかに嘲笑しました。
「ハッ、お前の厚紙の十字架を持っての到着か!彼がいつ紙十字架の上で死去したのだ?
私の知識が予想を裏切らないならば、彼は木の十字架上で磔にされたのだ。」
テオフィルス神父が御像を詳しく調べると、それは本当に木製ではなく、紙粘土で作られていた事が判明しました。

また別の時にサタンはある十字架の御像中のキリストの釘付けにせられし方法をからかいました。
「イエズスの上側の足と他の足が互いに離されて釘付けにされているのは違うのではないか?」

尊者アンナ・カタリナ・エンメリックは同様の幻視と啓示を得ていました。
キリストの御左足がまず最初に釘付けられ、次により長く強い釘で御右足を通して御左足をも貫いた事、その大きな釘を御覧になられた時、聖主が震撼された事が伝えられました。
御足元にたたずんだ人々は釘が御両足を貫きし事が非常に明らかに見えたと言います。

悪魔の声明が尊者の幻視と啓示によって確認出来る傾向を有するとは言え、虚偽の父である悪魔の言に疑う事なく耳を傾ける事は危険であり、またこの言も公教会によって保証を与えられたものではありませんが、この話の中にも参考になります点がある様に思われます。

 

<テオフィルス神父の御証言>

「祓魔式が進行し、御聖体の祝福は悪魔にいとも鋭き苦しみを与えました。それは彼にとって常に耐えられぬ御ものでした。彼はどれほど唾きをし、嘔吐した事でしょうか!

彼は身体をよじり、聖十字架の聖遺物による祝福をのろいました。
司祭が彼に十字架と定められし言葉『見よ、十字架の木を!地獄の力よ、去れ!ユダ族の獅子は勝利し給いたれば。』をもって接近した時、彼は恐ろしく活動しました。
『やめろ!やめるのだ!私はそれに耐えられん!私はそれを聞けん!』と彼が言うかの様でした。

祓魔師が隠して聖十字架の聖遺物をもって彼に近づいた時、サタンは荒れ狂う狂人となりました。
『去れ!去れ!』彼はわめきました。
『私はそれに耐えられん!ああ、これは生殺しだ!これには耐えられん!』

"無原罪の御宿りのマリア"の御とりなしは、彼に恐ろしき苦痛をもたらしました。
『私は蛇の頭を踏み砕き給いし御者の御名において、無原罪の御宿りの御名において汝に命ずる。』
彼にそれがあてられた時、彼は弱り、力を失いました。
そうして彼はその(憑かれし)女性の身体上で膨れ上がり、弛緩したかと思うと突然気を失いました。」

 

O Maria sine labe concepta, ora pro nobis, qui confugimus ad te.
(ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らのために祈り給え。)

 

<赦しの十字架>

この十字架の免償は1905年に初めて、教皇聖ピオ10世によりて与えられ、1907年には煉獄にありし霊魂らに適用可能である事が公布されました。
完全なる免償を得るためには、最初に司祭より祝別される必要があります。

本来の免償は「この十字架に接吻し奉る毎に100日の免償」などでしたが、現在は免償規定の変更に遵って免償が変わっています。

この十字架の御像を持ち運ぶ者は誰であれ免償が得られます。
また敬虔に接吻し奉る毎にも免償が得られます。
またこの御像を前にして、「天に在します我らの父よ、我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え。」「わがために我らの主なる天主に祈り給わんことを、祝せられた童貞マリアにこいねがい奉る。」の呼祷を唱える毎に全免償が得られます。
またこの御像に対し習慣的に信心深くあり、告解の必要条件を満たし、なおかつ我らの主の五つの御傷、十字架称賛、無原罪の御宿り、童貞マリアの七つの御悲しみの祝祭日に従って聖体を拝領し奉る場合にも全免償が得られます。

また臨終において公教の秘跡によりて強められ、もしくはそれらを受ける事が出来なくても痛悔の心を持ってこの御像に接吻し奉りて、罪と隣人の赦しを求める者は誰でも全免償が得られます。

十字架の縦木の裏には「いとも世人を愛し給いしこの聖心をみそなわし給え。」とあり、また横木には「父よ、彼らを赦し給え。」と刻まれており、この二木の出会う中心において聖心が示されています。

 

主はかつて、福者クララ・ディ・モンテファルコに御出現になり、主の御首にかけられし十字架を与えられる賜物を受けました。
福者は、大変な慰めを受けました。
そして、指ほどの大きさの十字架の御像のかたどりは、福者の心臓の部分に刻印されました。

福者が臨終の苦しみにあった時、修女の一人がベットに十字架を探していた時、福者は彼女に言いました。
「私の心臓の所をとって下さい。そこに十字架の御像を見つけるでしょう。」

福者が息を引き取られし後に、確かにそこに十字架の御像の刻印が見つかりました。

 

<カラヴァカ十字>

1231年、スペインのカラヴァカにおけるムーア人の占領の間、ある司祭が捕えられ、収監されました。
ムーア人らは好奇心から、司祭に聖祭を唱えるように命じました。

司祭は唱え始めましたが、欠く事のできないもの、すなわち十字架がなく、止めなければなりませんでした。

その遅延にムーア人らは怒り始めましたが、その時、二位の天使によって奇跡的に、エルサレム大司教の胸にかける十字架が窓から届けられました。

この十字架はそれを記念したものです。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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