天主の偉大な賜物:告解

(天主の偉大な賜物 より)

もし人々が告解のまことの価値を知ったならば、彼らは告白に入るために奮闘するでしょう。
この和解のための秘跡は、私達の罪を私達からただ取り除く以上の事をします。
それは私達に清められた聖寵の莫大な増加を与えます。
それはいや増された天主との一致と共に、天における私達のためのより高い場所を勝ち取ります。
私達が告白に行く毎に、私達がもしそうでなければ起こっていたかもしれない多くの危険又は不幸から守られています。

告白は天主と私達との和解であり、私達の欠点を、高慢を認め、私達は天主との一致の中にあることを望み、全てのこの正直かつ人生のうちにおける真の改心は、天主の加えられた聖寵より来るでしょう。
私達に対するサタンの力は軽減されます。私達が罪に抵抗するのを助けます。
改心と和解、これらの言葉が意味するものなくしては、赦しの秘跡は迷信的習慣となることになります。
信心深き告白は、私達が聖霊の霊感を聞くのを助けます。
これは私達に霊的な腕力を加えることが与えられ、私達の守護の天使の助言に聞き従うことを助けます。
それは大罪を私達から取り除き、小罪からさえも自由にあるというより大きな望みを与えます。
それは私達に情欲の炎に対して特別に保護する影響を与えます。

教皇パウロ6世聖下は告解について、”…道徳的な知恵の学び舎、霊的な活動力の修練の理由…”と記述されました。
教皇ピオ12世聖下、聖ビンセント・デ・パウロ、聖フィリポ・ネリ、尊者アグレダのマリア、そして他の多くの聖人が毎日告解に行きました。
ローマの聖フランシスコは1日に3回告白しに行きました。
彼らは告白が霊魂に良いものであるという事を知っているのです。
パオラの聖フランシスコによって設立された修道会では、毎日の告白の実行は最も小さな規則によって、必修のものでありました。この500の修道院の設立者は、病者を治癒し、死者を生き返らせ、預言の賜物を受け取りました。
彼の規則は教皇シクスト4世聖下と枢機卿団によって承認されました。

<告白の祈願>

 「全能の天主、終生童貞なる聖マリア、大天使聖ミカエル、洗者聖ヨハネ、使徒聖ペトロ、聖パウロ、及び諸聖人に向かいて、我は思いと言葉と行いとをもって多くの罪を犯せしことを告白し奉る。▲これわがあやまちなり、わがあやまちなり、わがいと大いなるあやまちなり。
これによりて、終生童貞なる聖マリア、大天使聖ミカエル、洗者聖ヨハネ、使徒聖ペトロ、聖パウロ、及び諸聖人に、わがために我らの主なる天主に、祈られんことを願い奉る。願わくは全能の天主、我らをあわれみ、我らの罪を赦して終りなき命へ導き給え。▲アーメン。
願わくは全能にして慈悲なる主、われらをあわれみ、罪の赦しを与え給え。▲アーメン。 」

 

<地獄に行ったある若者の霊魂の話し>

10代になったばかりの子供でさえも告白に行く必要があるという事実は一部の人にとって不可解な事柄です。
しかしながらイエズス会のある司祭は伝えられます。この司祭にはアメリカでの宣教活動を支えたG神父という親しい友人がいました。

これは1920年代の出来事です。一つの寄宿学校では毎朝少年達がミサ聖祭にあずかるために早朝に起床していました。
ある朝ミサ聖祭の直前になって、G神父は一人の少年から部屋に来てほしいと頼まれました。
この少年と同室の一人の少年が就寝中に息を引き取っていたのでした。
その少年は13歳ぐらいでありました。
そして聖祭の準備が直ちに行われ、G神父は少年達に今朝のミサ聖祭が息を引き取った少年のために捧げる意向でもって執り行われる事を伝えました。

G神父はミサ聖祭のために祭服を着用しようとして、イエズス会の司祭と共に部屋に入ると、突然彼ら二人の前に亡くなった若者の霊魂が立ちはだかりました。
少年は二人を見て、そして言いました。

「神父様、僕のために聖祭を行わないで下さい。
僕は地獄におります。昨夜眠りにつく前に、僕は不道徳で汚れた考えを楽しみました。
僕は寝入ってしまう前にそれらの事を悔やみませんでした。僕は就寝中に地獄に行ったのです。」

少年は驚いている二人の司祭を残して姿を消しました。

<我らの主より聖ファウスティナ童貞へ>

「あなたが告白の場に赴く時、この事を知れ。
私自身が告白の場であなたを待っているのである。
私はただ司祭の近くに隠れているだけであるのだが、私自身が司祭の霊魂の内に働くのである。
ここで霊魂のみじめさは憐れみなる天主に出会うのである。

霊魂らに教えよ。この御憐れみの泉より、霊魂らはまことの器のみによって聖寵を引き寄せるのである。
もし彼らの信頼が大なるものであるならば、わが寛大は限りのないものであろう。」

 

<我らの主よりヨゼファ・メネンデス童貞へ>

「聖寵の内に霊魂を赦し回復させんとする、わが熱烈なる望みの全世界の理解を私は長く待ちわびているのである。」

「わが御心は赦しに大いなる喜びを見出すのである。赦す事以上の福楽やそれ以上の望みを持たぬのである。」

 

<諸聖人の言葉>

「天主の神秘の分配を任られし者なる我々の罪を告白する事が必要である。旧約の時代よりの償いの行いにも、諸聖人の御前にそれを行いし事が見出されるのである。
洗礼者聖ヨハネの御前に彼らの罪を告白せし事が聖福音中にも記述され、(マタイ3:6)行いのうちに使徒を認めたのである。」
(聖大バジリオ)

「蛇が何者かを噛むならば、彼はその者を罪の毒によりて汚すのである。
また噛まれし者が沈黙を保ち、償いを行わぬならば、また彼の負いし傷を認めぬならば…その後彼の兄弟達と、赦免の御言葉を保ち給える彼の主は彼を案じるであろうが、彼を助ける事こそ能わぬのである。」
(聖イェロニモ)

 

<聖ドン・ボスコによりてよみがえされし少年の例>

ある15歳の少年がトリノにおいて臨終を迎えました。少年は聖ドン・ボスコを求めましたが、丁度聖人はトリノを離れており、やむなく他の司祭が少年の聴罪にあたり、その後少年は息を引き取りました。
聖人がトリノに戻ると少年の訃報が伝えられましたが、聖人はそれが誤解であると主張しました。

聖人は少年の部屋で祈祷を捧げ、「カロロ!よみがえりなさい!」と大声で叫びました。少年は目を開き、起き上がりました。
「神父様、僕は今地獄にいるべきです!」少年はあえぎながら言いました。
「僕は二週間前に僕を罪に導いた悪い仲間とおりましたが、最後の告解で伝える事をためらいました。ああ、僕はたった今恐ろしい夢から出て参りました!あまたの悪魔共によって囲まれた巨大な炉の端に立っている夢を見ておりました。彼らが炎を僕に向けた時、美しい婦人が現れて彼らを制止しました。
彼女は僕に伝えました。『カロロ、あなたには未だ望みがあります。』『あなたは未だ審判にはありません。』」

「その瞬間、僕はあなたが僕を呼んで下さるのを耳にしました。ああドン・ボスコ!再びまみえる事が出来ますのは何たる喜びでしょうか!どうぞ僕の聴罪をして頂けますでしょうか?」
少年の聴罪を終えた後、聖人は言いました。「カロロ、今天の門はあなたに広く開かれているが、あなたはそこに行きたいであろうか。もしくはここに我々と留まりたいであろうか?」
少年はしばらく視線をそらし黙した後、目に涙をたたえながら「ドン・ボスコ。」と言いました。「僕はむしろ天国に行きたいです。」

少年は枕の上に仰向けになり、目を閉じると再び死の静寂に入りました。

 

<聖ジェラルド・マイエラに良き告解を求むる祈り>

「聖ジェラルド、良き告解の保護者にして恐れと恥じらいを克服せし霊魂を勇ませし御者よ。
彼らの心に嘆き、彼らの意に決意、彼らのためらう唇に真理を与え給う御者なれば、良き告解を為すを助け給え。
わが罪を知らせ、それを真に嘆かせ、天主の聖寵よりて二度と罪を犯すまじと決心させ給え。」

 

<祝せられた童貞と諸聖人に良き告解のとりなしを求むる祈り>

「罪人の回心を喜び給う天主の天使と聖人は祝せられんことを。
わけても御身、ああ祝せられたる童貞、悔い改むる者のより所にして、贖慮の御母よ、わがためにとりなし給え。
この告白、我今為さんとすものが、我の犯せし罪の描写の効をあらわさざることなく、天主を長く怒らせしに和解の幸いと、決して更に彼を怒らせざる聖寵とを我に得させ給え。

同じくわが善なる天使、わが霊魂の忠実なる保護者にして、わが罪の過ぎ去りし不義を見し御者よ、再起せんがために御身の祈祷によりて我を助け、この聖なる秘蹟において我が助けを得、来たれる時には新しき生を送るを能わしめ給え。 アーメン。」

 

<聖ヴイアンネの要理>

「皆さん、霊魂にちょっとした汚れでもつけば、丁度丁寧に立派な水晶の玉をしまっている人のようにしなければなりません。
この玉に少しでも塵がついているのに気がつくと、海綿で綺麗にふき取ります。
すると、どうです。この玉は明るく輝き出します。
このように、皆の霊魂にちょっとした汚れでもあるのに気づくと、すぐにうやうやしく聖水をつけなさい。
また罪の赦しがつけられている善業、例えば施しや聖体の御前に跪く事やミサ聖祭にあずかる事などを行いなさい。

皆さんは丁度、ちょっとした病気にかかった人のようなものです。
医者まで行く必要はありません。ひとりでに治っていきます。
頭が痛ければ、寝ればよいのです。飢えれば、食べればよいのです。
だが重病だったら、そして大きな傷だったら、医者が必要です。
医者の次には薬が必要です。そして何度も何度も医者、薬と繰り返さねばなりません。
何か大罪に陥った時には、司祭という医者のもとに馳せつけ、告解という薬を貰わねばなりません。

皆さん、神様は大きな愛をもってこの偉大な改悛の秘蹟を定めて下さいました。
人々はこの神様の愛がどんなに大きいかを分かる事が出来ません。
この秘蹟をわが主に願うための聖寵が私共になかったならば、これをお願いするなどとは決して考えもつかなかったでしょう。
しかし主は、私共が弱く、善の中にいつまでも留まっている事が出来ない事をよく御存知でした。
そして主の愛は私共が敢えて願う事が出来なかった事を、願うように仕向けて下さったのです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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