我らの主のママ・カルメラ・カラベリへの啓示

1972年1月9日 テモリ司教認可

"旧約において聖霊は正式に預言者らを通じて語り給いしが、今日もまたかれは絶え間なく
語り給うのである。"

 

<ママ カルメラ カラベリの生涯>

カルメラ・カラベリは1910年5月10日にイタリアで生まれました。彼女は生涯の中で我らの主、祝せられた童貞マリア、聖ヨゼフ、
聖ピオ神父などより啓示を受け取り、それをノートに記録していました。
最初の啓示は1968年1月31日の夕方で、北イタリアのミラノ市において生涯を人々への慈悲に捧げた大家族のやもめである
カルメラが祈りを捧げている時、突然御声が聞こえました。

「お前はわが神のいつくしみのもう一人の証人となるであろう。
私はお前の助けを物乞いが施し物を求めるが如くに願う。私を助けないか?
私はお前が新しい使徒達を見出し、もう一度地の果てまでわが憐れみ深き愛の伝達が広められる事を望む。」

1970年3月22日には聖ファウスティナ修道女がカルメラと彼女の祈祷会に啓示しました。

「私はあなた方のもとに初めて来たのではありません。しかし私の希望を伝えますのは今回が初めてです。
私はファウスティナ修女でありまして、私はあなた方に特別なる信心をもって"いつくしみのノベナ"を作成する様に願います。
そうして人々は皆"神のいつくしみへの信心"に含まれます救いの神秘を信じはじめるでありましょう。」

1978年11月25日、カルメラは帰天しました。

 

 

霊的聖体拝領

(1968年6月7日 我らの主より)

「来れ、我がもとに来れ。
そしてもしあなたが私を受け取る事が全く不可能なればあなたに霊的に来たらんために私を呼び奉れ。
私に懇願する熱情が大きなものなれば、霊的聖体拝領は御聖体の秘跡よりもしばしば有効となり得るのである。

それは愛の出会いの一新の如く、あなたの信仰の再燃、あなたの行いの捧げの承認、それらに適応させ有益にするであろう。

霊的聖体拝領は実に甘美なものであり、単なる敬虔な望みではないことをおぼえよ。

あなたが私を呼び求め、私は来たる。そしてあなたが私を呼び求めるならば、それは私を愛しているからである。
私は御父と聖霊と共に来たりてあなたの内に住まいを確立する。
あなたは我らの天の御国となるのである。」

 

 

苦難の価値

(1968年7月15日 我らの主より)

「わが子よ、もしあなたが苦難の価値を知るのであるならば、日ごとの糧を求めるが如くに私にそれを求めるであろう。
聖人達はその捧げによっていかに罪人を助けられるかを知っていたので、最も激しき喜びよりもむしろそれを選んだ事を
かつて私に伝えたのである。

わが子よ、彼らを模倣せよ。それがいずこより来るかが問題ではなく、また天主と罪人のためにあなたが得られうる
まことの賜物の如くに、わが苦難と共に私にこれを捧げよ。苦難を愛することである。」

 

 

汝聖人となるも可能なり

(1968年10月29日 我らの主より)

「わが親愛なる子よ、私はあなた方の愛に渇く者である。
私には非常に多くのあなたに伝える事があり、多くの人が私の言葉を聞くべきである。
聖人となるに、わが子よ、第一に私はあなたの招きと掟を申し入れねばならない。
あなたの生命の聖なる御者は罪の除外であり、慈悲の修習である。
全てはそこにあるのである。

そうだ、わが親愛なる子よ、互いに愛しあい、あなたの心の全てをもって私を愛せ。
これは罪から逃れる事を容易にさせ、かつあなた方自身を誇張の恐れなき聖人と呼ばせる事が出来よう。
しかし私はあなたにとって他の非常に重要な事を伝える事を望む。
あなたは、あなたを残して去る親愛なる者達のために泣き、もはや彼らを見ることなく、彼らによる助けのない事に不満を言う。
わが親愛なる子よ、苦しむな。」

 

 

汝の信仰に生きよ

(1969年1月5日 我らの主より)

「わが子よ、意のままに招きを表明し、わが御母と我に一致するを許させよ。
洗礼にてあなたに与えられたこの偉大なる賜物をいかにして生きるかを知れ。
あなたの信仰に生きることは、あなたの信仰の誇りとなることである。
人々の中心におけるあなたの信仰への証人をもつことである。

常にわが信条、わが命令のどちらをも恥じるな。わが弟子なること、わが御母への熱愛を恥じるな。

最後の日にあなたの信仰はあなたの大きな慰めとなり、また最後の審判の日においては全ての者の前に振りかざす白いのぼりとなり、
それをもってあなた方自身を称えるものとなるのである。
またこれはこの道徳主義のためにあなたの生活を与えた、この信仰のために苦しむあなたの必要なる寛大である。

殉教者(イエズス)の棕櫚はただ行いによって身を捧げる者のためにあるのではなく、彼らの信条とその命令に忠実である者のために
あるのであり、それは英雄的な行いとなるであろう。」

 

 

霊的聖体拝領の祈願

(1969年1月31日 我らの主より)

<イエズスよ、我御身の御体、御血、御身の御霊魂、御神性と共に御聖体のうちに在し給うを信じ奉り、
かつこの時に我御身を受け取り奉るを熱く望み奉る。
一つのパンのもとに御身を受け取り奉ること能わざれども、わがもとに来たり給わんことを望み奉る。

我御身を既に来たり給うたものとして御身を愛し奉り、かつ我に関する完全なる所有を得られ給わんことを懇願し奉る。

ああイエズスよ、わが精神、わが心中の愛、わが肉身における行いを思い給え。
我御身の愛の統治の実現の助けとならんがため、この世の中心にて御身の善の道具とならんことを望み奉る。>

 

「わが子よ、この祈願をあなたが唱える毎に、わが住処に向けてあなたの肉身を受け取ることによって、
あなたの望みを実現させるであろう。
またそれのみならず、天主なる者としてそこに私自身が住まい、またわが御父、聖霊があなたのもとに来たり給うのである。
更に正しく言うなれば、我らのもとに来る者、我らと共にまことの提携の協定を確立する者、それはあなたである。

わが子よ、全霊で、精神の全てでもって、自らの全てでもって私を愛せ。
更に私を愛さぬ、わが聖寵とわが愛の訴えに不正に一致する多数の霊魂らのために、私を愛せ。」

 

 

汝自身を心底より我に一致させよ

(1969年5月27日 我らの主より)

「わが愛する子よ、わが呼びかけに心を開き、私に耳を傾けよ。わが指示、忠告、教訓を見落としによりしくじるな。
他の者達の行い、あるいは起こるであろう出来事に関する論評により道を踏み外す事なく、愛の行いの内にあなたの心を
私の御心に絶えず保て。

私によらざればあなたは無力であり、驚くべき事をなしえるのは唯一私とあなたの一致が完全なる場合のみである。
あなたの生命の中心である御聖体の秘蹟によって、あなた自身を心底より私にますます一致させよ。」

 

 

身罷る者の友たれ

(1968年11月4日 我らの主より)

「どれほどの霊魂が今日不意に自ら天主の正義の御実存の内にあるを見出し、現世にある間に彼の御憐れみを無駄にした事を
見出すであろうか?
私は突然にして悲劇的なる死が不意に襲う事を心に留める霊魂、彼らのわが御母への絶えざる委ねを望む。
それによりて彼女は時折前者の側らに来り給い、また時折後者の側らに来り給いて、
彼女の母性的御徳の内に外套の下に彼ら全てを受け取り、彼らを救い給うであろう。

私は殊に不意に召される被造物に向いて寛大であり、わが救霊の計画の実現のためにおいて、わが全ての御力と知恵の働きを置く。
また私は非常にしばしば、彼らが取り返しのつかぬ恐ろしき段階に応じるための充分なる時間を持たざる場合にさえ救うのである。

全ての事物が存し、過去、現在、起り得る未来を見る私は非常にしばしば精神に善なる思いと感傷を宿すに足る
特効ある放射光を与えるのである。
私は光が喚起し得る思いと感傷と、さらにそれへの一致を見越すのである。

だが現在この光はあなたの祈祷、犠牲、とりわけ愛の手段によりて臨終の者のもとに来るのである。
そのため私は日々の臨終にある霊魂の友たれと言うのである。
私はあなたの臨終において霊魂の集団があなたを向えるために来て、永遠においてあなたに冠を与える事を約束する。
わが子らよ、あなた方を祝し、感謝しよう。」

 

 

謙遜たれ

(1968年7月18日 我らの主より)

「わが愛する子らよ、わが聖心を喜ばせるように、常に更に謙遜たれ。日毎に私に謙遜の徳を求めよ。
なぜならその主張もて私に願い奉る者に対し、私はそれを与えるからである。
わが子らよ、私に倣え。私はあなたに恥辱と謙遜の全き編成による手本を与えたのである。
非常にしばしば、あなたは謙遜の徳をわがものにしたと信ずる。
なぜなら決然たる状況において、自らの謙遜を如何にして示すかをあなたは知っているからであるのだが、
しかし謙遜は全く異なるのである。

自己を低い者とみなし、隣人を時に明白に比較にならぬ者とみなすのである。
それを取るに足らぬものであり、つまらぬ資格であると、いとも容易く主に言うであろう。
それはただ惨めさにして罪であり、そうする限りは誰もあなたへのこの真実以外の承認をしないであろう。

とにかくもし上長、もしくは対等、もしくは何らかの目下に値する者に恐れずにあなたが自らの事を自ら言うなれば、
何とそれは事態を変えるであろうか!
何と膨れっ面をし、何と感じやすく、その謙遜の一つによって何と不一致がもたらされるであろうか!

わが親愛なる子らよ、楽園の戸は非常にせまく、ただ一人の小さな者が入り得るのみである。
聖福音におけるファリサイ派の者と徴税人を憶えているであろうか?
より良き謙遜者なる悔い改めたる罪人は正義と聖人性のために高慢と一致する事なく、またそれをより言わんとして誇る聖人など
いないのである。

謙遜は聖化の基にして、勝利である。もしあなた自身が自ら聖なるを望むなれば、あなた自身を小さくする事である。

常にただ主のはしためなるを望み給うたわが聖なる御母に倣え。
彼女は浄配が大工であり、罪人の母、騒がしい者達を経た後に身罷りし強盗の二つの十字架の間に在す事を存じていたのである。

謙遜は徳にして、あなたが天主を喜ばせ奉るものにして、人々にはあなたの宣教の列と永遠の生命の視野において、
あなたのために彼らは善を行うであろう。」

 

幼な子殉教者

(1968年12月28日 我らの主より)

「わが子よ、わが降誕の証を与えし犠牲、信仰の初の殉教者らの記念のうちにあなたの信仰を回復し、
あなたの十字架の受け入れと悲しみによりて、我が天主の者らと人類の益のためにわが降誕を為したるが如くに、
常に我と共に御父に自らを捧げよ。

贖罪と世の霊的再生とは犠牲と御血のしたたりであろう。
私はあなたの日々の犠牲、人類の生においていとも要されし信仰の普及に向けし働きを求むる。」

 

救霊の港

(1968年9月20日 我らの主より)

「わが子よ、私はあなたにわが母の事を語り、彼女は常にあなたにより善き事を知り給い、かくしてあなたの番において、
彼女の知り給うを為し、彼女を愛するに常により愛する事を私は望む。

マリアを見出す者は、救霊の錨を見出す者と知れ。
わが母を見出す者は、その者の母を、また彼女の平安、善徳、仁慈、そして彼女、教師にして元后のよろずの御徳を見出すのである。

従いて、彼女について語る時、彼女の信心を広める際には畏れすぎるな。
わが死は天の門を開くに必要であったのであり、もしある者が悪を粉砕せしむる事を望み、霊魂を完徳に導くを望むなれば、
彼女の内面的働きは今かつてよりも更に、各々の霊魂に欠かすべからざる
ものとなっているのである。

わが子よ、我に赦しを乞いても、御母は必要である。
なぜなら、彼女より生命は来たったからである。
このように世の初めより私は事象を立証してきた。

彼女の己を、あなたの全てを委ねよ、わが子よ。
そしてあなたは嵐の中の船の如くに、安全なる港を見出すであろう。
彼女はあなたに天主と十字架の、二つに分けられざる愛を教え給うであろう。
なぜなら、彼女は我と共に、不可視ではあれども、
同じ釘で十字架に磔にされし如くにいとも激しく十字架を愛され給うたからである。」

 

 

噂話の危うさ

(1969年6月26日 我らの主より)

「わが愛する子よ、私は噂話の危うきと悪しき会話に対する防護を皆に据えたいのである。

あなたが世における多大なるそれらの罪の拡散によって霊魂に起こされるその憂き目を知るならば!
そして、誤った道徳が個人と家庭とに為されるか!
忘れてはならぬのは、噂話とは諸刃の剣の如くであり、同時に双方を傷つけ、あなたもまた怪我を負うという事である。

従いて、常に慎重に、用心深くあれ。
この感覚において、慈悲の行いを損なわざるよう、あなたの言葉をよく考えよ。
いかにして会話をさえぎらず、速やかに別の話題をもって正しく向かわせるかを、あなたの霊魂と他人の評判を汚す事よりも
知るべきである。

あなた方の心をいと深く慈悲に一致させよ。
あなたの隣人のただ一つの過ちは、あなたの為に明らかにする事も、他人に知らせる事も必要ないであろう。
あなた自身とわがものの如くに、他の者の善き評判を羨望せよ。
その者は天主の慈悲と天主を愛する事のうちに生き、彼によって大いに愛されるであろう。」

 

 

己を克服せよ

(1968年7月21日 我らの主より)

「わが子よ、あらゆる自らに対する奮闘は、あなたをより強めるのである。
誰も己を免れ得る者はないのであり、人生はそれからの闘いである。
唯一それに勝つ者が勝者である。

私は戦いをもたらすために来たる事をあなたに教える。
しかし、あなたは私を解しない。
武器を備えての不義なる闘いではない。それは邪悪である。
人類の願う闘争、それは人類の不義、我欲であり、懲罰としてしばしば私はそれを許す。

この闘いは過てる情欲に対し、邪悪に対し、悪魔と彼の世界に対し、私が世にもたらさんと来たる。
第一に、しかり、あなたはいかにして己を克服するかを知らねばならぬ。
なぜならこの奮闘によって、他の敵共を超えて勝利するためのものと同じ方法で、あなたの意思がより強められるからである。
最初の闘いは内側であり、外側のものはその他である。

邪悪なる者は、しかし、あなたの思いや感覚、行いに働きかける。
その者はあなたの弱き所を攻める。
彼はあなたが完徳に至らんとするを知っているからである。

非常に心を配り憶えておくべきは、いかなる罠の犠牲者にもならぬ事である。
天主の御旨、或いは悪の働きかけがあなたのうちに場所を占めるならば、識別するために警戒を怠らぬ事である。
常に闘いの備えを為せ。
それが困難な場合でさえ、私は常に傍らにおり、あなたと共に闘うのである。
勝利の元后を呼び願い奉り、恐れてはならぬ。」

 

 

聖ピオ神父の啓示

(1968年9月26日 ピエトレルチナの聖ピオ神父より)

「わが愛する子らよ、私は慈悲深きイエズス、天主の御旨によりてあなた方と共にある。

私の肉身は天主の御栄光の善のためと、霊魂らの善の道具として仕えた。
刻み給いしイエズスによりて刻まれし聖痕は、尽きざる妙光を伴いて天つ御国の中で光り輝くであろう。

わが子らよ、自らの肉身を常に善の道具とせよ。
常に善と慈悲の働きを果たす事に用いられんよう、私はあなたの手を祝福しよう。
私はあなたの精神と心とを祝福し、あなたと家族を祝福しよう。
そして、天つ御国にてあなた方全員を待っている。」

(管理人注:聖ピオ神父は、御自身の霊的子供達全員が天国に入るのを見届けるまで中には入らず、外側で待っていると言われた。)

 

 

聖霊の語りかけ

(1968年11月26日 聖霊より)

「私は御父と御子の霊、聖霊なり。
公教会の魂にして、あなた方の霊魂の生命である。
わが使命は愛の拡散にして、公教会と霊魂らにマリア、わが聖なる浄配の取りなしによりて忠実なるものをもたらす事である。

私は公教会を愛し、これを啓蒙し保護するのである。
ああ、この当面の辛き時、そしてたゆみなき祈りによってのみあなたは公教会に属する者達の間に混乱の種を蒔く
邪悪なるものの監房を離れる事が出来るのである。

そのようなわけで、私はあなたが、わが愛する浄配なるマリアと共に祈るように願う。
かくして彼女の祈りはあなた方の勇みとなろう。

あなたはまたわが公教会の小さき柱であり、この柱の最初の時代に形作られる行いを新たにし、かの公教会の誕生を表させる。
私は心を照らし、精神を啓蒙し、彼らに信仰の真理にして地上的事物にあらざる天主の御考えの理解の能力を与える。

わが子らよ、しばしば私を呼び求めよ。
かくしてあなたの人生は常に善果全行に満ち、主イエズスに全てにおいてはまことにわが御旨のうちに宿りしマリア、
わが浄配に似たものとなるを得るであろう。

わが子らよ、天主を愛し、他の者を愛せ。
なぜなら、彼は愛、ただ命のうちに愛し給う御者であるからである。」

 

 

諸聖の手本に従うべきこと

 

(1968年11月4日 我らの主より)

「わが愛する子よ、もしわが後ろに続いて歩くを望むなれば、あなたの十字架を取りて我に従え。

人間的事物より慰めを見出する事なく、我より賜物と慰めとを受けんと案ずる事なく、愛の苦しみと、屈辱と、
ひっそりとある事、そして祈りを求めよ。
これらの事は、永遠の生命のためにあなたに益するものである。

地上的生のいかに短きかを、そして幾年かの間における、若さ、美、富、名誉の、全ての世の消え行くものを味わうかを見よ。
万物は瞬く間に過ぎ去るのである。
試しの時が過ぎ、あなたに少しの期待もなければ、永遠の生命があなたに開かれるのである。

これを、来生を思わざる、自らこの生に心を奪われ過ぎている愚か者共の中に見出すであろうか?

命ある時に最も時間を生かしたる諸聖の手本に倣え。
それはいとも単純にして、永遠の生命のための大いなる功徳を積むのである。

己に真理を教える事に大いに精を出し、それぞれの日に、わが真理と義を他の者達に教え給う御者のために深め、天の星の如く輝け。」

 

絶え間なき取り交わし

 

(1969年7月5日 我らの主より)

「霊魂の救霊のために、私と共に何らかの苦しみを負う事を受け入れたいとあなたは欲するであろうか?
彼らは自ら熱狂を伴いて寛大さを数多願い出るが、しかしすぐに疲弊するのである。

またこの世は、御苦しみのへ代価と御血へのありがたみとを、なお留めるのである。

各自が彼(イエズス)に払うべきであるが、彼らはかくして避難所を求めるのであり、更に他に払うべきものがあるであろう。

わが子よ、平穏なれ。
霊魂のうちに住まえる、霊魂らの聖寵の実りなる、あなたの喜悦、平安と調和を保ち、わが愛の内に留まれ。

私はわが愛の賜物をあなたに為す。
私に、絶えざる相互の取り交わしを与えよ。
あなたが私を助ける限り、私はあなたのうちに聖寵をいや増すのである。」

 

洗礼の潔白

(1968年12月1日 我らの主より)

「わがイエズスよ、いかにして己の洗礼の潔白を取り戻す事が出来ましょうや?」

 

「わが子よ、あなたに答えよう。
あなたは先ず第一に、洗礼の潔白があなたを驚くべきほどの清浄の状態に据え、ただ一つの過ちのみならず、
罪に対する苦しみの支払いより解き放たれし事を知らねばならぬ。

この霊魂が天主の御前に現れる時、その者はあたかも第一に作られし者の如く、或いは聖なる洗礼の最初の美のうちに
彼が引き戻されしが如くである。

霊魂のこの驚くべき美は、丁度洗礼盤に留まり、創造の全ての驚異をはるかに越える。
なぜなら、この天主の美の反映は、それが不滅の気息であるからである。

罪は、霊魂の汚れによりて、その者の天主の光輝を損なう。
私は請け負うが、誰も更にそれを犯す事は望んではいない。
大いなる善徳と慈悲の内に天主は正しく、人の悪と、その者の尊大さを知られる間、彼らを御自らに再び一致するようにと、
最初の美に霊魂が戻るように望まれ、罪によりて死ぬる霊魂に、生命に戻る事を与え給うのである。

彼はそれぞれの告解によりて、彼の清浄と最初の潔白、そして過ちと罪に対する苦しみの支払いの粉砕をも人々にもたらし
給うのである。」

 

 

 

苦しみを受け入れよ

(我らの主より 日付記載なし)

「わが子らよ、キリスト者の霊的生活においていとも重要であり、また苦行、償いと同じく必要なる、苦しみを受け入れよ。
苦しみと、苦行と償いの間の違いとは、次のようなものである。

通常、苦しみは天主より来たるか、若しくは天主によりて許されるものであり、それをあなたが探す事がないのである。
他の二点の間では、あなたが己に対し得させるものである。
後者は、あなたが一部分を行うのだが、前者に於いては単に、天主の御旨において勝るのである。

例えどれであろうとも、あなたが苦しみの内に据える喜びよる実りの為に、全く喜びを持って、あなたを苦しませる事を受け入れよ。
重荷の下にあえぐ雄牛の如くではなく、いかなる利益も己にないものとせよ。

主があなたに送り給う時、その天よりの賜物に対し、苦しみを愛し、主を祝し奉れ。」

 

 

偽りの諸預言

(1968年11月22日 我らの主より)

「しかり、わが子よ、善き信仰を持つ者さえも公教会と教皇に対して働きかける公教会信徒らを酷く損なう事に対し、
私はあなたの防ぎを、あなたと他の者達におく事を望む。

私はあなたに述べたが、あまたの偽りの預言者どもがいる日がやって来る。
彼らは子羊の如くに装う者で、当面は狼ではないが、それは牧者を自ら棄てた子羊、自らを狼の手に置いた者である。

虚偽の父である悪魔の域と、不義の霊魂どもに対する世人の全てのもたらす働きと、公教会の破壊を、わが子よ、憶えておきなさい。
この戦いは、世の歴史におけるこの時にあって、彼(悪魔)によって放たれるだろう。
悪しき者どもに対するのみならず、善人に対してもその力を、彼は既にしっかりと握っている。

しかしあなたはそれをあばく事が出来、もしあなたが謙遜のうちに留まるならば、公教会と、それを創立した私と、教皇と、
聖霊の御選びによって導かれ、悟らしめ給う、聖霊の御旨によって選ばれた者達と共に彼(悪魔)と戦うことが出来るのである。

また、巌の如く不変に常に戦い、波が再び己を砕かせる彼女(公教会)公教会を決して落とされる事のない天主の御約束と、
天主の御言葉が永遠に保証される事を、わが子よ憶えておきなさい。

わが子よ、これら盲目における内面の異常さと孤独と苦しみは、何と天主の御声より遠いだろうか!

絶え間なく他の者達に、教皇とわが公教会のため、誘惑に対し、出世と名誉の蜃気楼に誘われる者のために祈らせよ。

もし他者が堕落しても決して驚かず、己を天主の御前に一層謙虚となして、私が共にあるゆえに、ペトロの帆船のうちに堅く留まるのである。
天主より来たるこの徳をあなたと他者のうちに増すために、あなたの信仰の行いを常に新たとなせば、この修練のうちに保たれ、
これに対する望みを常に増す事によって広げ、増されるだろう。

私によって悟らしめ、守られている教皇から来たるものとして、あなたの信仰を守り、無傷のままこれを保て。
真理は光であり、闇路を開くものである。
彼は真理を愛し、闇を求めぬのである。
真理は天主より来たり、それ自体が天主と同一である。

真理自らある場合、公教会における分裂主義と異端という霊魂に破壊をばらまく虚偽はあばかれる。

一点、私はあなたに勧める。
聖霊にあなた自身を委ねるならば、聖霊はあなたの精神のうちに輝き給い、そして常に心から深く育み給うであろう。
決していかなる口実の下にも、真理に妥協してはならない。

己に用心深くあれ。
そのようにしてわが教えが修練におかれるだろう。
そして、あなたの作る友には、真理のうちに留まる事を確かめよ。
洗礼で受けた賜物を保て。
あなたの家は逃れ場、あなたのための愛と信頼とを持った信仰を広める一つの隠修所となるべきである。」

 

 

これは常にいつくしみの時

(1969年3月19日 我らの主より)

「わが子よ、聴き、そして記せ。

時代は悪く、この世に重々しき諸々の災いの脅威がある。
しかし、あなた方の信仰と、わがいつくしみへのあなた方の信頼は、決して落とされるべきではない。
来世への人類に対する審判はあるが、しかし、人が地上に生くる限り、これは常にいつくしみの時である。

従って、わが懲罰をあなたは恐れるな。
なぜなら、それは御自らの子らの償いを望み給う、
善に満ちみち給う御父より来たるものであるからである。
しかし、天主を慰みものにしてはならぬ。
それは、あなたがなし得るものの中で、最も悪い事である。
数千の霊魂が毎日、全く予期せざる形で、己が天主の御裁きの場に置かれ、
この決定的な審判の後、それは永遠に展開されるのである。

ああ、わが子らよ! わが子らよ、なぜわが受難を用いることを望まないのか!
それだけの価値を有する己の霊魂を愛さないのか?
ああ、私の親愛なる子ら、
不名誉な死と数限りなき苦しみによって贖われ、再び征服された天主の子らよ、
なぜ、なぜあなた方は、滅びを望むのか?
わが御心に来たれ。回心せよ。
償いの業を行い、祈り、互いに愛し合い、私を愛せ。
私はただあなたの吉祥と幸い、永遠の救霊のみを望む。

苦しむ事を恐れず、それを捧げよ。
現世でのあなたの諸々の苦しみは、
もしあなたが己の果たすべき義務の完成の人生を受け入れる事を拒絶する事によって、天主の御旨に反してそこに入る、
その永苦と比べるならば、いつも、小さきものである。

他者のための苦しみ、他者のために祈れ。
寛大であれ、己を忘れよ。
兄弟姉妹を思え。

私の最も切なる願い、そして我への信心に渇ける者に対し、
全て救われよ、一人も失わるることなく。」

 

 

聖ミカエル

(1968年9月29日 我らの主より)

「わが愛する子よ、注意深く聞け。
しばしばわが代理者、聖霊の御旨によって働かさるる公教会の守護者、天使の九階級を治むる聖ミカエルを呼び願え。

しばしば あなたの思念を 彼の力と強さの大いなるに向かわせよ。
彼は善の天使と、深淵へと降りし悪の天使との間の恐るべき戦いにおいて 反逆的な天使を克服したる畏るべき者である。

彼は異端者どもより公教会を防ぐにおいては疲れを知らぬ者であり、
彼に愛の信心をもって呼び求める それぞれの霊魂に、
人生の戦いにおいて、殊に悪魔に対する戦いに勝利を得さるために助けるのである。

彼は謙遜の天使であり、これのために彼に願い求むる時、彼は喜んで、人にこの徳の修練を教えるのである。
彼は叫ぶ。
"神に似たるものは誰か?"
これが彼の名の意味である。
これは この徳を表現するに最も似つかわしいものであり、謙遜がいとも必要とされ、
我らのはかなきとの比較において、天主の大権の知の他に、他はすべてはかないのである。

彼のとりなしによって、地上における全人類と、殊にその地の統治者の謙遜を願い求めよ。
もし天主の大権によって彼らが導かるる事をためらわずに力を貸すならば、よろずの民の間には平安の統治があろう。

驕りは事実、人を盲目とし、エゴに満ち 邪悪とさせる。
彼に祈れ、そして従って公教会のために祈るだけでなく、
全地の国々のために、そうするならば更にもう一度、彼は世を新たとし、悪魔どもの膨大な屠殺に取り掛かるであろう。

あなたの家の守護者として彼を置け。
彼はあらゆる類の邪悪を遠ざけてくれよう。」

 

 

 

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