アヴェ・マリア 天使祝詞 U

 

「聖霊は無原罪の聖母によらざれば、働き得ないのである。
無原罪の聖母は聖霊の花嫁であり、ゆえに無原罪の聖母は全聖寵のとりなし手なのである。」
(聖マキシミリマノ・マリア・コルベ)

<マリアよ、助け給え>

1920年 教会認可

以下のものは非常に単純な話しであると我々は言うでしょうし、その様にしばしば言われます。
これは奇跡的御とりなしへの占有を訴えませんが、我らの優しき御母が同じ仁慈深き憐れみを示し給うために与えらるるそれぞれの時は、愛の新鮮なる動機であり、全ての彼女の忠実なる願い手への謝意です。

リエグに住まうある家族は大変なる苦悩の中におり、彼らは以前にはより良い状況にありましたが、父親が日雇いのありふれし労働を強制されし後に徐々にその様な貧しさに陥りました。
慣れぬ彼の果たさねばならぬ重労働は健康にひびき、下僕的な勤めの間、生来の誇りは彼を厚顔にしました。
それに加えて彼の妻は重病に陥って衰弱し、二人の年長の子供達は病にかかりました。

彼の帰宅したある晩、長い一日の労苦の後で彼は消耗しており、妻のベッドの傍らに座り、夜通し彼女を見つめました。
彼は悲しみに押し潰されて絶望寸前の不安に悩まされました。
信心深きキリスト者であった妻は、むなしくも彼を慰めようと努めました。
長女は彼に言いました。
「愛する御父様、天使祝詞を唱えますと我らの祝せられた御母はあなたを御助け下さいますでしょう。」
「私はもうこれ以上は祈れないよ。」彼は苦々しく答えました。

その様に語って突然身を起こすと、闇夜の中を走り抜けて行きました。
長い間あてもなくさまよい、ついに涙が溢れ出し彼の痛む心が解き放たれました。
そしてひざまずいて叫びました。
「ああマリアよ、助け給え。」
自らの信頼のよみがえりを感じて、天の方に手を差し出して天使祝詞を唱えました。

彼はひざから立ち上がると、何かが地面にあるのを見ようとしてかがむと、それは紙幣が満杯の財布である事がわかりました。
それを所有者に戻す意図をもって帰宅すると、一人の紳士に出会い、紳士は財布を見なかったかを尋ねました。
貧しい男は「さあ、これを。」と応じました。
紳士は謝意に満ちて、紙幣のうちの一枚を渡し、また同時に貧しいうちにあるのかと尋ねました。
喜びの涙と共にこの幸いなる男は叫びました。
「はい、少し前にありました。しかし私はもはやそうではありません。」

数日後にその紳士はその家族の境遇に関わる詳細な調査をさせ、彼らに最大の寛容をもって永久的な援助を送りました。

喜びはその時更にこの粗末な小さな家に戻りました。
母親は即治し、子供達は再び強くなり、苦悩と貧しさは終わり除々に父親は以前さを取り戻しました。

彼はしばしば最も心からの謝意で我らの祝せられた御母が彼の困窮において彼に差し出し給いし御助けを思い起こして、一つの天使祝詞によって絶望より救われる方法を関連付けます。

 

<13世紀の欧州の伝承>

善良にして単純なる平信徒のある男はバラの花の冠や、季節の花で冠を作って聖母の御像の御頭に置く事を習慣としていました。
彼は大いなる喜びと敬虔の念をもってこの信心をしていました。

聖母は彼の心に善なる意向を御覧になられ、それを進めるのを助けるために修院での生活を始めたいという願望を与えました。
そして彼は修院の平修士になりましたが、修院で彼が日常の習慣としていた聖母への花冠を作る時間がないほどに多くの労働を与えられ、やがて
不満を感じるようになりました。
その時年上の司祭が彼の苦悩に気づきました。
司祭は賢明に彼に毎日チャプレットの中で50回の「天使祝詞」を繰り返す事を助言し、それは聖母がこれまで作られた全てのバラの花冠よりも
好まれるという事を信じさせました。平修士はその助言を守り、しばらくの間それを続けました。

ある日彼は用事のために、乗馬して強盗をかくまった森を通りました。
森で彼は疲れた馬を木につなぎ、ひざまずいて、50回の「天使祝詞」を唱えていました。

泥棒は彼を見て、彼から馬を奪う事を決めて馬を盗もうとしました。
彼は「天使祝詞」を唱えていました。
泥棒が彼に近づいた時、泥棒は素晴らしく美しい少女が彼の傍らに立っており、彼の口より各々の小さなバラを取って、彼女の製作中の花輪に加えているのを見ました。
バラの花冠が完成すると、彼女はそれを自らの頭において天に飛び去りました。

泥棒達は全く驚いて、修士かけよってあの美しい少女が誰であったかを尋ねました。
修士は答えました。
「私にはどんな少女もおりませんでした。
私が教えられました、元后なるマリアの花冠として、50回の天使祝詞を唱えておりましたのみです。
それが私の知っている全てです。」

泥棒達は自分達が何を見たかについて話した時、修士も泥棒も、それが毎日送るのを習慣としていたバラの花冠を受けられた天主の御母である事を理解しました。
そうして修士は心底より、それ以前よりも喜んで毎日50回の天使祝詞で霊的花冠を作り、また他の善良なる人々にこの実行を教えました。

 

<天使祝詞について マリアンプレスの発行物より>

1954913日 教会認可
Permissu Superiorum

T適切に唱えられた各「天使祝詞」は、聖母にもっとも大きな喜びを与える事になります。

U各「天使祝詞」は我々のために素晴らしき聖寵を得させます。

V適切に唱えられた「天使祝詞」は、不適切に唱えられた多くのものよりも更に価値を有します。
我々が全ての「天使祝詞」を適切に唱えるならば、我々の受ける聖寵は受け取りきれぬものでしょう。

W天主の御母となられし大いなる時の、聖ガブリエルの申し出におけるまさにその喜びを我らの甘美なる御母に捧げるという事を、「天使祝詞」を唱えるために完全に覚えておかねばならない事です。

Xその報いとして、我らが「天使祝詞」を唱える時、今わにおいて我らのために祈り給えと熱く求めます。
そして我らの生涯の間、また臨終において。

Y聖ガブリエルと、世の至る所で唱えられし全ての数限りない「天使祝詞」との一致のうちに、「天使祝詞」を捧げましょう。

 

聖大ゲルトルードは「啓示の書」において我々に伝えます。
我々が何方かの聖人を与えられし御恵みを天主に謝し奉る時、我々は彼らの御恵みの大いなる共有を得ます。
祝せられた御母を与えられし全き御恵みに対しイエズスへの謝意で我々が「天使祝詞」を唱える時、我々はその御恵みを受けないでしょうか?

 

「とりわけ"マリア"の射祷をよく唱えたかを考えよ。」(聖マキシミリマノ・マリア・コルベ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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